松下

2018年10月24日 水曜日

冬に向けた薪準備と大工見習い。

高田造園スタッフブログをいつもご覧くださいます皆様、
ご無沙汰しておりますスタッフの松下です。

最近高田造園では親方のブログでも掲載されておりました通り、
工事も今まで掛からせていただいておりました現場もひと段落し、
早くも次の工事の準備に取り掛かっております。

工事や手入れの合間を縫って、雨など天候の優れない日には
事務所では冬支度もしております。

千葉では昼はまだ25度を超える日もありますが朝晩はひんやりとしており、
通勤にはジャンパー、朝早くの身支度にはヤッケは欠かせなくなりました。



こちらは千葉某所から大量に運んできた薪を事務所横の薪棚へと
運び込んでいる様子です。

軽トラを一台満載にし、軽トラをヒーヒー言わせながら運んで参りました。



この薪は佐倉市にあります岩富ダーチャいのちの杜で、
今年の春、私たちがこちらもまた仕事の合間で割った薪です。

直径3、40センチはあろう広葉樹の幹丸太をみなで斧で割りました。


事務所にありますストーブはダルマストーブで、



本来は薪ストーブではなく石炭ストーブなので、
燃焼力が高く薪が早くなくなってしまいますが、
部屋全体に幅広く熱が広がるので、
事務所の冬には欠かせない存在です。



事務所に積み込み終わった後は、
土気ダーチャフィールドにも運び込みます。

いつも薪を使って火を起こしていると、
薪棚が薪で埋まると何とも言えない安心感があります。

今年も薪ストーブが恋しくなる季節がもうそこまで来ています。


さて、こちらは春からスタッフの石井、松下の同僚コンビで
参加させていただいている大工塾の様子です。



仕事で木工をするので、それを大工仕事を通して身につけたいと志願し
毎月1回のペースで行かせていただいています。

第1回目には製材所へも連れて行ってもらい、
丸太を製材する様子も見せてもらいました。

普段何気なく柱材や板材を扱っていましたが、
実際に見せていただくとより身近に感じることができます。



これは曲尺(さしがね)と呼ばれる必須の大工道具で、
この丸太から最大で何寸角の角材が取れるのか教わっています。

曲尺の表と裏側を使うと計算なしで割り出せます。

今まで曲尺は矩(かね)を出して墨を打つ(線に対して直角に線を引く)
ためにしか用いたことありませんでしたが、
大工さんはこの曲尺を巧みに使いこなし、
素人では思いつかないような部分の寸法を容易く割り出します。



これは第2回で体験的に作らせてもらった木材と木材の継手です。

日本建築の伝統工法では角材と角材は、継手で組んで作られます。



最初に寸法通りに墨を打ち、その墨通りにノコとノミで削っていきます。

これは家の基礎の上に回る土台の角材と角材を継ぐ、
「鎌蟻継ぎ」と呼ばれる継手です。



見た目通り複雑なので、簡単に浮いて離れることはありません。



第3回では現場に行くと既に棟上げが終わっていました。

やはり最初から実際に見たかったので残念でした。

ですが、自分たちが加工した継手は大工さんたちの手によって、
きっちりと基礎の上に納まっていました。



さすがに現場では大工さんが主導で、私たちはその手元といった感じです。

小さい頃に自分の家が木造で建てられたときに、
正に基礎の上に柱組だけしてある現場に行ったことがありましたが、
その時はここまでまじまじと観察もしなかったので、
家が徐々にできていく様を見るというのは勉強になりますし、楽しいです。



これは柱と柱のあいだに貫(ぬき)と呼ばれる板をはめ込んでいる様子です。

伝統工法の日本家屋が地震に強く100年、200年と持つのは
柱と柱の上に渡された梁(はり)、桁(けた)、胴差しと呼ばれる骨格材と、
この貫で箱状に一体化させることで
全体で持たせる構造になっているからです。

建築基準法の改正で現在の住宅は筋交い(斜めに入れる補強のつっぱり)と、
固定金物を使用しないといけなくなっていますが、
昔の建築物には用いられていませんし、用いられていない住宅で
100年、200年と持っているものも今となっては少ないですが、あります。

昔の家というのは、石の上に柱が建っているので
地震で揺れても建物だけが滑るように揺れを吸収し、
また筋交いがないので、全体の木が連動して動き、
グラグラ揺れるけど、力を逃がせる構造になっているのです。

古くから「柔よく剛を制す」とはよく言ったもので、
言葉の使いどころは違えど、
日本人の精神が垣間見られる工法と言えます。

実際に補強で用いられる斜めの筋交いは
元々は西洋建築から来ていて、
明治以降に入ってきたものだそうです。

自然を力で押さえ込もうとする西洋と、
自然の力に畏敬の念を持ち、その中で生きようとする日本人の姿勢が
工法としても対照的です。



組みあがっていくと柱と柱が、梁と桁と貫で
つながっているのが分かります。

このあとは鉛直方向を「下げ振り」という道具で確かめ、
「屋直し」を行います。



屋直しとは、そのままでは垂直に建ってない柱組を、
引っ張り起こして、きっちりと垂直に建てる作業のことです。



これを外周4面すべてで確認し、調整しました。

そして、屋直しを終えると在来工法のため筋交いを設置し、
梁の上に「小屋束(こやづか)」を立て、中心に「棟木(むなぎ)」を渡し、
そこから下に「母屋(もや)」を取り付け、「垂木(たるき)」をその上に架けて、
屋根を付ける前の骨組みが完成しました。



普段植木屋ですので、高いところは慣れたつもりでいましたが、
木の上とはまた違った、掴まるところのない高所で、
スイスイと動かれる大工さんの手際の良い作業に
ただただ見とれながら作業の様子を観察していました。



普段建設真っ只中の現場には踏み入れたことがなかったので
今回の経験は建築をよりリアルに感じる上で良い体験となりました。

次回以降の作業は、また次に書き記します。


最近は昼間はまだ温かいですが、朝晩は急に冷えてきますので
皆様体調を崩さぬよう気をつけてお過ごしくださいませ。


投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | 記事URL

2018年7月22日 日曜日

シェアハウスでの環境改善を兼ねた住環境づくり



関東では梅雨が例年よりも半月早い6月末に開け、
容赦ない暑さと痛いほどの日差しが降り注ぎます。

このブログを書いておりました先週の金曜日から日曜日には、
全国的に大雨が降り続き、全国各地で甚大な被害となりました。

被害に遭われた方々には深くお見合い申し上げます。

私も以前、集中豪雨被害地域のボランティア経験がありますが、
床下浸水でも土砂の除去は大変で、私たちが普段工事で使っている角スコで
ひたすら泥をさらい一輪に乗せて運ぶという果てしない作業でした。

今回は2階の軒下まで浸水された地域もあり、
その被害からの復旧の手間、大変さを考えるとそのご苦労は
想像を絶します。

関西、中国地方へ行ける機会があれば、
少しでもお力になれたらと思います。

さて、最近は少し現場のことがご報告できておりませんでしたので、
今回は現場の様子を少しご報告させていただきます。



こちらは先日6月末に作業に入らせていただきました、
東京は町田市の隣、玉川学園にありますシェアハウスの様子です。

この玉川学園の現場は、昨年の秋に初めてワークショップという形で
皆様方に多数ご参加いただき着工致しまし た。

最初はこの写真からは到底想像もできない程、雑草やツル繁茂しており、
最初は私たちスタッフで草を刈ることからスタートしました。



シノダケやクズ、イネ科の草で覆われた庭の草は激しく、
私たちの背丈ほどまで成長し、目の前も見えないほど藪化していました。



もともと和風の庭があったであろうこの土地は
家の持ち主が不在になってからというもの、
庭の下にある擁壁によってその土地の水が逃げ場を失い詰まり、
土壌が荒れ、雑草が伸び放題となっていました。



こちらはスタッフが先駆けて行った草刈後に
親方がレクチャーしている写真です。

草はいきなり地際まで刈戻してしまうと
反発でまたそのあと強く伸びてくるということで、
今回は膝丈ほどまで刈払いました。



刈った草たちは点々と山にしておき、
後の改良資材として利用します

草刈後はなんとなく見えてきた道を頼りに、
スコップを使い溝切りや、縦穴を開けていき、
第2回の改善作業へと続く先駆けとしました。

第2回は今年に入り2月に行われ、またワークショップという形で
大勢の方にお集まりいただき皆様で作り上げてきました。



第1回の作業でなんとなく見えてきた道に通気浸透を考え、
スコップで地面を直角に切り落とし、枝しがら組みを行い、
土壌へと菌糸が絡みつき、健全に木々の根が張り巡らせるよう
処置を行いました。



また既存の庭で据えられていた飛び石を全部取り外し
新たに見えた動線上に石を据えかえました。



また建物際にあった犬走りのコンクリートは、
やはり水が土壌へと染み込んでいくのを阻害し詰まらせる原因となるため、
ハンマーで取り壊してそのコンクリガラも庭の中で組み替えて、



飛び石を据える時の下地であったり、
樹木を植える根鉢の下の土が、根鉢の重みで圧密されないように
炭やもみがら薫炭と混ぜた土の中にも転々といれ、
鉢の重みをガラが点で支える構造にしました。



また、これは2回目に植栽を同時に行った写真ですが、
既存で枯れていた大木はあえて残し、
その横に新たな雑木を植栽しました。

土壌の水脈の観点から見ると枯れ株は、
根が枯れ分解され土に還っていく過程で、
大木の根だった場所は空間となりそこが水道となっていきます。

それがやがて土壌中の水や空気の流れる起点となり
そこに新たな樹木の根が根付いていくのです。

また今回の現場は斜面に位置した庭であるため、
高低差のある庭の中を回遊できるよう随所に階段を設けました。



この階段もただ回遊するためのものではなく、
土の地面を段々に直角に切り落とすことで、
切った断面からは空気と水が抜け、その周りの土を呼吸させ
土中の空気と水を動かします。



これは参考写真ですが、
以前他の現場で施工した際に撮った横溝断面の写真です。
この写真は冬に撮ったものですが、
霜柱が横へと張り出している様子が確認できます。



この写真からも土を直角に切り下げると
水が抜ける様子が確認できます。

斜面のままであると雨は斜面を走り、斜面を削りますが、
段切りにすることで雨はその場で地面に染み込んでいきます。

土を段切りし、蹴上リと踏み面の角部分に軽く溝掘りし、
溝に炭をいれ、竹を設置し、その背面に枝を絡ませて
土との隙間を確保します。

竹の横木は炭化させた木杭で留めています。

土側面からの通気と、その場での雨水の浸透、
枝の分解と炭の敷き込み、炭化杭によって
土中に菌糸が誘導されやすいように配慮した作りです。



土中の改善と、人の使い勝手を兼ねた階段です。

今回も皆様のお力でなんとも暖かい階段になりました。

そして、来ていただいた男性陣の方々で庭の中で最も水の集まる角地に
深さ1mを超える大穴を手作業で掘っていただき、
この土地の改善の要なるよう造作しました。



穴には炭を入れ、枝を詰め絡めて処理します。

この大穴はこの場所のもっとも地中で水の集まる場所に施すことで
この土地全体の土中の水の流れを作り出す要になります。

そして、先日6月末に追加で作業に入らせていただき、
植栽の追加と、地形下部に縦穴を掘り通気浸透改善を行いました。



写真の右の先が大穴になり最終的にはそちらの方へ
地中の流れを誘導していきます。

6月に入り雨も降り、気温も上がったため
最初はやはりある程度草やクズがまた繁茂している状況でした。

ただ以前に比べて比較的楽に少ない手間で作業が終わり、
また風通しの良い庭へと落ち着いていきました。



クズも2月やその前の11月の時点でも根っこから取り除くことは
敢えてしていません。

むしろ階段部分に走っていたクズは土留めとして利用し、
階段の一部となっています。

草たちを毛嫌いせずに、適切に改善、管理していくことで共生し、
落ち着くのを待ち、次世代の穏やかな草花に変わるのを待ちます。

改善を施して時間がそれほど経っていませんので、
最初はまだ以前の草の様相が多少は戻りますが
今後は土壌の状態と木々が育つに連れて日陰も増え
草も穏やかになっていきそうです。






今後もこの空間が育って、より心地よくなり、
自然と人の集まる場へと変化していくのが楽しみです。



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2018年5月13日 日曜日

5月連休の振り返り

皆様五月の連休は如何お過ごしだったでしょうか。
スタッフの松下です。

スタッフ一同も5月の連休をいただきまして、
久しぶりに各々羽を伸ばしてきました。

私はと言いますとその連休を利用しまして
山梨県は西沢渓谷と、長野県霧ヶ峰車山高原に
散策に出かけてきました。

その様子を今回はラフな感じで、旅目線で
アップさせていただきたいと思います。

西沢渓谷は、秩父多摩甲斐国立公園内に位置している景勝地で、
中央道で勝沼インターで下り、
ぶどう農家が軒を連ねるフルーツラインという下道を
30分ほど走った場所にあります。

仕事でこの近辺に伺った際に親方から話を伺い興味を持ち
今回訪問してみました。



こちらは、西沢渓谷駐車場から少し歩いた渓谷入口近辺の様子です。

高田造園の庭のような新緑の爽やかな景色が広がります。



しばらく渓谷方面へと上高地のような雰囲気の雑木、
針葉樹の混合林を横目に歩いていきます。

道中には日本百名山にも数えられる
甲武信ヶ岳へと続く登山道入口もあります。

西沢渓谷で最も知られている七ッ釜五段の滝までは、
往路で沢沿いの道を2時間ちょっと、
帰路で旧木材輸送のトロッコ道を一時間半の行程です。

ただ軽ハイキング程度の道ではなく、
軽登山のレベルの道が続きますので、
格好は登山の格好が望ましいです。



登山道は木の階段などがほとんどなく、
ほどよく人の手が入りすぎてないので、
歩きやすく景観としても美しく癒されます。



沢を横目にどんどん登っていきます。

新緑の沢は美しく、そこまでの高度でもないので
この時期でも新緑の葉が生え揃います。

最終地点、七ッ釜五段滝に至るまでの
道すがらにも随所に滝があり、
光が反射して青く見える水が本当に美しく映ります。



入山する前は渓谷なので、そこまでの険しさを
予想していませんでしたが、
予想を上回るレベルの道が続きます。



各所に転落防止の鎖柵があるものの
体重をかけると倒れそうなのであまり頼りにできません。

慎重に沢道を歩きながら空気を楽しみます。



今回の西沢渓谷ハイクの中で
私が最も気に入ったポイントでの1枚です。

西沢渓谷を歩いていて思ったのは
どのポイントでも美しく絵になるということです。

人の心を惹きつける美というものは、
やはり自然界が織り成すものだと改めて実感します。



そして、さらに急斜面をジグザグに登っていくと
最後にたどり着いたのが七ッ釜五段の滝です。

正面からの立ち姿です。



すごい量の水が轟音と共に流れ落ちます。

写真などで最も有名な姿が上流部の
このアングルです。



七ッ釜五段の滝という名にふさわしい
釜の形の滝が段々になっています。

こんなものが自然に作られたのかと、
ただただ水の流れる様を見て時間を過ごします。

新緑と岩の色、光が反射して青く光る水の美しさたるや、
ただただ呆然と眺めてしまいます。

看板によりますと、
澄んだ渓流の水に光が当たると波長の短い光が散乱するとともに、
水中を通り抜けた光が、水底の白い花崗閃緑岩に反射して返ってきます。

その間に赤い光は水にすべて吸収され、
残った青や緑の光が水中で散乱するために
水の色がエメラルドグリーンに見えるそうです。

山頂でお昼を済ませ帰路に着きます。

これは少しマニアックな写真ですが、
滝の近くの頂部で見かけた倒木の枯れ株の様子です。



左側に向かって倒れて枯れた株自体が
岩を巻き込み成長した様子が見られます。

さらにその枯れ株の上に芽吹いた実生木たちが
生き生きと次の世代の命を育んでいます。

このようなものに目が行くようになったのも親方に話を伺ってからです。

山の植生というのはよく観察していると、倒れた株や幹の凹みから
次世代木たちが有に大きく成長していっているものです。

以前、上高地を涸沢に歩いている道すがらにも随所に見受けられました。

私自身本職を造園としている身ですから、山に沢に学ぶことは多いです。

より自然な庭を作りたいという思いが自分自身の中でも強いので
やはり観察しかありません。



頂部付近では帰路の途中でモミやツガの巨木と出会います。

洗練された山では少し陰鬱なイメージのある常緑樹林でさえも
風通しが良く、落葉樹林とは異なったマットな落ち着いた趣を感じさせます。



常緑の巨木たちのエリアがあると思うと、
また別のところではブナやカツラ、ミズナラなどの落葉樹の巨木も見られます。

ここまで大きく生育している巨木たちを見ていると
この山の気の良さや、木々を育む地のポテンシャルの高さも感じます。

帰路は往路と異なり沢とは離れますが、
帰路は帰路で美しい道が続き一日森林浴が心行くまで楽しめます。



新緑が自らの落ち葉を背景に何とも言えない心地よさを作り上げます。

下山する最後まで景色を楽しめる満足感の高いハイキングコースでした。



機会があればまた足を運びたい、そんな気持ちになる沢です。

帰りの道中では温泉もあり、旅の疲れも癒して帰れますので
行かれたことがない方は日頃のリフレッシュにいかがでしょうか。

登山の格好はお忘れなく。

投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | 記事URL

2018年3月 4日 日曜日

春の気配ただよう今日この頃。

「三寒四温」という言葉そのものに、
日中はあたたかさを感じられつつも、
日が陰るとやはりまだ寒くもある今日この頃。

皆様いかがお過ごしでしょうか。
久しぶりの投稿となってしましました、スタッフの松下です。

高田造園での仕事にも、入社した当初に比べますと
少し慣れてまいりましたが、逆にここ最近は肉体的な疲労感から
筆が少し遠くなっておりました。

さて、千葉でも寒い日が続きますが、徐々に温かく感じる瞬間も
徐々に増えて出し、もうそこまで春はやってきていると同時に、
もう今年に入り3月を迎えてしまったのかという、
時間の速さを感じずにはいられません。



関東では梅の花も見ごろを迎え、町中でも春の気配を感じられます。

上記の写真は先日土気山ダーチャフィールドで行われました醤油絞りの時の
土気山の梅の木です。

醤油は私が入社する前の今からちょうど一年前の時期に
土気山で麹屋さんに来ていただき
様々にレクチャーを受けながら仕込んだ醤油です。



去年仕込んだの醤油の元を絞り布にいれ、絞り器で圧をかけていきますと
このように搾りたての醤油が流れ出します。



搾りたての生醤油を一部ビンに詰めつつも、
残りの生醤油は醤油搾りの先生の指導のもと羽釜で火入れしていきます。



その後また今年も新たに大豆と麹を塩水に投入し、
自分たちの「手」仕込みで新たに醤油を準備しました。



このあと仕込んだ醤油の元はまめに櫂入れを行い、時間の経過とともに
数ヶ月おきというスパンに切り替え微生物による発酵を待ちます。

また来年のこの頃には新たな醤油を味わえることを楽しみに待ちます。

さて、高田造園では先日まで奈良の吉野への出張も兼ねた社員旅行に
吉野・京都へと凱旋しておりました。

その時に伺いました京都の寺院での様子を少し振り返りたいと思います。



ここは京都市北西部・高雄にあります高山寺というお寺です。
高山寺については庭誌前回号に現在連載中の親方の記事にも
記されております。

高山寺というお寺について少し説明させていただきますと、
開創は8世紀末期で、その後1206年に後鳥羽上皇の院宣により
明恵上人が華厳宗の復興の道場として再興されたそうです。

広い境内は国の史跡に指定され、開山堂、金堂などが立ち並びます。
中でも石水院は国宝に指定されており、
中世の戦乱期に他の建物は荒廃しましたが、
この石水院は鎌倉時代初期の唯一の遺構として残っています。

寝殿風住宅建築で、庇を縋破風(すがるはふ・本屋根の軒先から
一方にだけさらに突き出した部分の破風)で処理してあったり、



天井を舟形にくぼませた舟形天井、



柱に梁を継ぐときに1点に荷重を集中させずに、面で分散せるために舟形肘木が用いられる等、



細部意匠などに鎌倉時代の特色が見られます。

自然に調和した建築である石水院は一度足を踏み入れると、
安らぎと落ち着きの感じられる空間で、時間がゆったりと流れます。



石水院で時間を過ごした後は、境内を親方の解説の元
見て回りました。

今まで寺院を見学に伺った際に自分では全く見過ごしていた視点での
環境造作についてレクチャーしてもらいながら見て回らせていただきました。

高山寺は山の谷筋に位置する寺院であり、
境内の間には大きな谷状地形の部分もあります。

谷は山の中ではその高低差から山の地中の水を動かす要となっています。

地下水や地中水というのは私たちの目で確認することはできませんが、
全国各地で湧水が湧き上がるポイントを地図上で見ていると、
だいたいは近くに川(谷)があり、段丘沿いの崖線際であったり、
山地系から平地に切り替わる際の部分であったりします。

等高線で見ても山と山の間の奥まった部分、
つまり谷であることがほとんどのようです。

京都の山寺にも同じく古くから山際で湧水があったようで、
その名残が造作として残る「閼伽井」です。



今となっては水は外見からは澱んでしまい、
清水が湧き上がっているようには見えませんでしたが、
以前はここから清水が湧き上がり、
そういったものに畏敬の念を示し、
仏教では仏様にお供えする水を「閼伽」と呼び大切にしてこられたようです。

高山寺から近い山寺で神護寺というお寺があるのですが、
ここでもやはり「閼伽井」は山地から平地に切り替わる要の部分にありました。

そういう部分を掘り、湧水を湧き上がらせることで、
地中の水と空気を動かし土を育て、木々を息づかせることで
山寺の神聖な雰囲気を守り続けてきたのかもしれません。



そのような本当に心地のよい山寺に残るような澄んだ空気は
先人たちが自然に敬意を持って守り抜いてきた遺構です。

そこには人と自然の共作と言いますか、
どちらか一方ではなく、自然の中で人が生かされ生活する中で
大切に守ってきた自然なのです。

いま現代はどうしても広大な林地や山々は、
その管理に困り、少しでもお金になるのならと木は切られ、
山は崩され瞬く間に開発されていってしまいます。

今年の2月中旬頃に寺田本家という千葉県香取郡にある自然酒の酒蔵の
上部に位置する神崎神社を親方が案内してくれた際に言っておられたことですが、



その森にある樹齢何十年という木々たちも
その木単体で見ると高々樹齢何十年かもしれないが、

それまでには何百年何千年という、
育っては枯れ土に還り、またそこに芽が吹いて
という膨大なサイクルの中で、

枯れた木の根が分解されて空洞になり
そこが新たな空気と水の通り道となって、

そこにまた新たな木々の根が元気に張り、
先代にも増してたくましく成長する。

そういうふうに見ると今生きている樹齢何十年の木々たちは
実は何百年、何千年もの命の上に立っているんだ、
その森自体は千年万年の営みなのだ、というお話でした。

そういう視点で山や里を見ると、今自分たちだけの都合で
山を切り拓いてしまうのは実に安易で浅はかなことなのかと
考えさせられてしまいます。

切るだけならまだしも切って根っこを抜いて造成し直して
しまうということは何千年もの命の土台を一夜にして
ゼロにしてしまうに他なりません。

そういう時代のどうしようもない流れなのかもしれませんが
私たち一人ひとりが山や自然を見るときにそういう視点を持てれば
今ますます侵攻してしまっている山林の開伐に
NOを突きつけられる力となるのかもしれません。

何が本当に大切なのか、残すべきものは何なのか、
よく自分の目を研ぎ澄まし見つめていきたいと思います。


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2017年10月29日 日曜日

千葉のラピュタ、鋸山に登ってきました。

秋もすっかり深まるはずが、十月末の季節はずれの長雨に、
台風に悩まされがちの今日この頃、
皆様はいかがお過ごしでしょうか。

スタッフの松下です。

前回に引き続き、今回は仕事とは別で休日に出かけました
千葉の地のご紹介をさせていただきます。




ここは9月上旬に登ってきました、千葉県房総半島南部、
安房郡鋸南町と富津市の境にある鋸山です。


千葉県は、平野と丘陵が県の大半を占めており、
海抜500m以上の山がない日本で唯一の県です。

そのため急な流れの川や、大きな川が少ないのが特徴で、
県内を流れる利根川などは他県から流れてきています。

千葉県最高峰の山は愛宕山で標高はなんと408mです。

今回登山してきました鋸山も標高329mと低い山ではありますが、
地質が第3紀中新世の頃海底に堆積した火山灰からできた凝灰岩からなる山で、

石材としても質が均一で、霜や雨にも強く火にも変化しない山頂付近の石と、
質が均一でなく火や水にも弱いが加工のしやすい中腹以下の石の2種類が採れ、

江戸時代から房州石と呼ばれ建築・土木材として利用されてきました。



寸単位で様々な大きさに加工され、適所に利用されています。
耐火・耐久性能や、木材との相性もよいことから用途は幅広いです。

江戸時代から行なわれてきた採掘は昭和60年代まで続けられており、
石切り場跡は今も現存しています。

何百年と石切が行われ続けた結果として、稜線付近の露出した岩肌が
遠目から見たときにノコギリの刃に見えることから、
鋸山と呼ばれるようになりました。



こちらは正確に言うと鋸山周辺にある別の山の写真ですが、
鋸山も山頂付近がこのように切り取られたイメージです。

全景は千葉と館山を結ぶ富津館山自動車道を館山方面へ走っていくと、
富津金谷インターと鋸南保田インター間で走行中に視界に飛び込んできます。

以前仕事で鋸南町のお宅にお邪魔した際に鋸山を知り、
また親方にも話を伺い今回登ってみた次第です。



登山口はいくつかあり、今回は「車力道」を選びました。

車力道は鋸山から切り出された房州石を運びおろした道で、
車力とは石を運び下ろした人達のことを言います。

1本80kgの房州石3本をねこ車と呼ばれる荷車に載せ、
ブレーキをかけながら引きづりおろしたそうです。

石を山麓や港で下ろすと石切場まではネコ車を担いで登ったそうです。
車力の仕事はこれを1日3往復だそうで、登山口から石切り場までは
今回の登山で1時間以上有しましたので想像を絶します。

しかもこの車力というのは主に女性の仕事だったというから驚愕です。

私自身も造園という力仕事に従事しておりますが、
いかに昔の方々の方が馬力があったかということに感嘆とさせられます。



ねこ車のタイヤはゴムタイヤではなく、
松の輪切り、車軸はカシというからまた驚きですが、
昔のことを考えると当たり前なのかもしれません。

N字状の縄掛けは安定する独特の縄掛けだそうで、
植木屋としても興味深い要素がたくさんあります。



案内看板に撮された明治期の写真だそうですが、
確かにねこ車を引いているのは女性です。

まさにこの車力道は当時の石切の繁栄と、
それを担った富津金谷の女性たちの息づかいが聞こえてくるようです。



緩やかな林の中を抜けていきます。

随所緩やかなところと急傾斜の繰り返しで、
岩間をくり貫いて道を通した切通しが車力道にもありました。



このような道をしばらく1時間ほど登るとあっさりと石切り場近くまで
行くことができました。

石切り場近くまで登ると山の中腹とは思えないような遺跡のような
大胆な岩の切通しの通路が出てきます。

ひだのあとの残るラインに沿って、
徐々に年数をかけて上部から切り下げてきたとはいえ、
人力で石切りツルを使って切り下げてきたと考えると
やはり昔の人の凄さを思い知らされます。



上を見上げるとまるで天空の城ラピュタの世界にきたようです。

そんな巨大な切通しの道を抜けてようやくたどり着くのが
石切場跡です。



まさに遺跡です。

こんなものがこんな山の中にあるとは到底下からは想像もつきませんでした。



この長年の石切によってできた断崖は垂直高最大96mにもなるそうです。

下から見上げるとすごい迫力です。



下の方には切り出した石の破片が多数積み上がって残されています。
下部は奥行がそこそこあるように見えました。

鋸山は褶曲構造の向斜になっているそうで、
良質な石材を求めて地層に沿って掘り進めてあるそうです。

また階段状に掘り残された跡は崩落防止のためでもあるそうです。



昭和20年当時の様子です。



機械化されチェーンソーが導入される昭和33年までは
ツルで作業されている様子が伺えます。



私自身造園業に携わっている身でありますが、
石材がどのようなところで、どのように加工されて出てきているのかを
あまり知らないまま来ておりましたので、
今回の登山で少し勉強させていただきました。

今後はより一つ一つの知識にも自分で足を運んで見て、
さらにその背景や歴史を知ることで、
知識一つ一つに奥深さの厚みを増していきたいと思いました。

自分の好奇心の赴くものには躊躇せずに飛び込み
より一つ一つの見聞きが自分の実体験として刻んでいけるよう
今後も1日1日大切に積み重ねて参りたいと思います。


投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | 記事URL