お知らせ

2016年5月 8日 日曜日

大宮、山登り、琳派

連休もあけて、日中の異様な蒸し暑さがいよいよ外仕事にはうっとうしく感じてくるこの頃、皆さまいかがお過ごしでしょうか。
高田造園の石井です。

作庭のお待ちいただいているお客様方には申し訳なく思いつつ、高田造園も五月の頭には連休をいただき、私も連休期間中は、普段の週末ではできない知識や経験を養う時間あるいは家族と過ごす時間として活用させていただいています。

今回のスタッフブログでは、(といってもやはり毎度同様の形式ですけれども、)連休期間中に訪れた場所を紹介させていただきます。



連休初日の五月一日は掃除や自炊の作りだめ、帰省の準備を行い、その荷物をもって五月二日、日本百名山が一つ大山の山塊のまた一つであり表丹沢最高峰の塔ノ岳と、そこから縦走ルートを経て鍋割山に赴きました。


登山途中、まばゆい程の新緑の雑木林

前回丹沢に赴いたときは大山を伊勢原市側から阿夫利神社経由で登山したため、今回は違うルートを、と思い、塔ノ岳に登山することにしました。
ルートは、大倉より「バカ尾根」と呼ばれるひたすらに長い尾根を登って、塔ノ岳山頂へ、そこから少し戻って金冷シの分岐点で鍋割山山頂へ縦走して、西山林道を経由した高低差の少ないルートで下山、という計画です。
駐車場が営業を開始する八時半を目安に現地へ赴き、いざ丹沢へ。


ビジターセンター付近にいた、人に慣れているツバメちゃん

今回は野鳥観察というのも一つ目的に定め、安物の双眼鏡を購入して、所持していた野鳥図鑑で少し予習して、それに付属していた鳴き声のCDを車でかけながら現地に赴いたのち登山したのですが、恥ずかしながら予習不足のため、大した成果は得られず...


山道入り口付近にあった釜場


開けたところから

丹沢に限った事ではないと思われますが、人工林の杉林を混交林にする働きが最近活発なようです。

晴れていたのですが、雲行き、が、怪しい...


その名の通りな、ヤブレガサ(以前のブログでもアップしたかもしれません)
大学時代にサークル活動で植栽したこともあって少し思い入れがあり、個人的に林床に見られるとうれしい植物のひとつです


ジュウニヒトエかなと思って近づいてみましたら、キランソウでしょうか


柔らかな樹形のハナイカダ。最近よくお客様の庭にも植えさせていただいています


根の下のキノコ型地形と谷

自然は風水の流れが激しい環境を自律的に整えようと谷を掘るようです。
雨から守られたキノコ型地形の下にはうっすら地苔が、なだらかな斜面になった谷の地表の落ち葉が根っこによって捕捉され、実生木がちらほら。


モミジの巨木と、植樹されたモミジのトンネルをくぐって、ひたすらに長い長い階段を振り返ります...まだまだ長いです...


一人寂しい登山中ずっと付き合ってくれていたスミレが、白色に

後ろを歩いていた元気なおばちゃん登山グループの先頭の方がおそらくこのスミレをみつけて、
「ちょっとヤダ見てこれ私みたいかわいいい」「白いスミレよお」
一人寂しい登山でしたが、声を出して笑いそうになりました。私もいくつになってもそのような感性(=センス・オブ・ワンダー、なのでしょうか...?)を持ちたいと思います。


長い長い尾根を登り続けると、標高を感じさせる植生、山肌になってきます
く、雲が...


そして、長い長い尾根を経て...

山頂に到達しました!...


山頂の周辺と、そこからの景色です!


雲が...すごい幻想的でした...




天気が良ければ富士山、相模湾が一望できるといわれるこの標高1490mの塔ノ岳の山頂からのこの日の景色は、少し歩かなければ目の前にある大きな山小屋の存在にすら気づけないほどでした...

そして来た道を戻り、鍋割山を目指します。


この縦走ルートは、美しいブナの原生林に囲まれながら山頂間を歩くことができます


頂上付近では、マメザクラでしょうか、スポーツドリンクをお酒代わりに、遅れた花見を楽しめました


そして、鍋割山頂です。例によって頂上からの眺めはご想像通りですので割愛します...


鍋割山頂の山小屋「鍋割山荘」
ここの...

鍋焼きうどんが名物らしいので、それを注文。評判通りのおいしさでした!


頂上のトイレは、微生物を嫌気発酵させるバイオトイレのようです


そして、西山林道経由で下山します。このルートは傾斜が穏やかで車が登れるほどの整備も進んでいるため、あまり山の多様な植生や地形が楽しめるわけではありませんが登りやすく、沢沿いを登っていくため水辺の特有の景色は楽しむことができるようです。


このような場所には、やはりフサザクラが似合いますね


ブラシの先のような可愛い白い花のウワミズザクラ

これよりさらに下っていくと、あとは緩やかにカーブするワンパターンな整備通を下ります。
様々な植物が新緑を広げるこの季節、中腹から山頂付近の雰囲気があまりに気持ちよくて、これ程山から下りたくないと思ったのも初めてでした。
登山は丹沢に始まり丹沢に終わる、という言葉があるそうですが、僕のような素人が楽しむ日帰り登山から、一泊以上の宿泊もできる西の丹沢の奥深さなど、本当にいい山塊だなと感じました。
今度は別の百名山を登るのも面白そうですが、丹沢の深い方にも行ってみたいなと感じました。




そして三日は家族と静岡へ。浜松は弁天島に昔母方のおばあちゃんが住んでおり、お墓参りや親戚の方へのご挨拶のついでに観光をしてきました。
東名高速からの足柄SAの道程などは、子供のころピックアップトラックで走った思い出のルートでもあり、昨年の三ケ日出張の際も通ってきたものでもあり、複雑な気分で浜松へ。


挨拶回りの際に撮影させていただいた、おばちゃん家の玄関先。突然の訪問だったためご挨拶だけしに来ましたという母に対し、
「ひさしぶりだにー寄ってきなさいよお茶位だすわよ、寄ってかないならなんかもってきなさいよこれソラマメと玉ねぎと...
あ!うなぎがあった!(このとき隣の親戚の方が保冷材と野菜を抱えてきてくださいました...)
もー畑まで行けばもっといい玉ねぎもあるでよーお茶位してきなさいよー」
会話までとっても有機的で、心温まります。


そして浜から海を臨んで、浜名湖ガーデンパークへ。ここは、2004年に行われた花博の会場跡地として整備された都市公園で、市民や行政がともに育てていく公園を目指して管理運営が行われていることが特徴です。


右に見えるのは展望台のきらめきタワー


登ってみると、園内や遠景が一望できます。少し終わりかけのネモフィラ花壇にかかれた絵もきれいです。


ただの展望台と侮って登ってみたら、園内の植物や構成を俯瞰して楽しめる高さを持ちながらも、眼下の人たちのしぐさや行動もわかる絶妙な高さに配置されていて、園内で一番感心させられた構造物でした。









国際庭園エリア。ここには、延べ10か国以上の庭園の様式(と思われます)が縮小されて再現されており、とてもユニークな空間になっています。
さすがに構造物に若干のチープさと植生の再現に限界を感じるところはありますが、それぞれのスペースに適度な目隠しを設けて高低差や小休止できるスペースを配することで空間ごとに落ち着けるスペースを造っています。
そしてその庭園同士の間に、周辺の環境ではめったに見られない品種物からありふれた原種系の植物等が科ごと等に固まって植えられたスペースがあり、植物の標本的なコーナーとしています。

連休期間中のイベントの不充実さなど、なかなかこれだけの箱全体の活かし方としては考える余地を残しているような公園でしたが、基本入場料無料でこれだけの植物や開放感のある芝生を楽しめる空間があるというのはそのような利用を主とする人にとってはありがたい場所になっていると感じました。



四日は、大宮は盆栽村で盆栽祭りへ。



ここ盆栽村は盆栽の歴史ある会社が多く存在することで有名で、五月の連休中には露店などに実生木や鋏、鉢などが売り出される盆栽祭りが毎年行われ、国内外問わず様々な観光客の方でにぎわいます。特に盆栽は今ドイツなど海外でも人気が高いそうです。

盆栽の、樹木を最小単位で管理するその手法は、鉢の用土の敷き方から水やりに至るまで、地球の営みの縮小系である、ともいわれます。雑木の庭は、庭単位でありいわば人間がその空間の中に入って自然を体感するため、スケール感や雰囲気の出し方に関していえば異なる点が多いですが、同じ樹木を扱う分野として共通する、勉強になる部分も多くあります。
会社の畑のどうせ育たない場所に生えた実生のモミジなどを移植して植えてみたりしてからというもの、盆栽という分野に少し興味が増し、また由緒ある盆栽の会社に大学時代の友人が就職していたため、その友人に挨拶も兼ねて、まつりに赴きました次第です。
一日では見切れないほどの露店やイベントが催されており、大変有意義な時間を過ごせました。有人の勤めているところで購入した鋏等を早く使ってみたいと高揚感が後を引きます。



恥ずかしながら、私の処女作です...。
畑の実生のモミジをポットに移して一年育てたところ、数センチしか育たなかったため、拾った朽木に赤玉土を入れ苔を張って植えなおしたところ、僅か二週間で、昨年の生長を上回る伸長を見せ、葉の状態も驚くほどよくなっています。
昨年度はポットに残土のような排水性の悪い土を詰めてしまったのが良くなかったのでしょう。
今回購入した道具や肥料などで、大切に育てていきたいと思います。
いろいろ教えた頂いた大学時代の友人に感謝です。


四日はそこから表参道に向かい、根津美術館へ。



根津美術館は、東武鉄道の経営でも名をはせた実業家であり、近代数寄屋でもある初代根津喜一郎のコレクションが展示されている美術館です。
元は長谷寺の土地と言われるこの場所の谷地形とそこからの湧水を存分に生かして作られた美術館、茶室や庭がありました。海外への美術品の流出を食い止めようと豪快に集めたコレクションを市民とともに楽しもうとしましたが志半ばで亡くなった初代の思いをついで、二代目が美術館を開館させるも、同年に起こった空襲によりここ近辺一帯は一度で灰に帰しています。(コレクションは疎開により無事)
焼け野原からの美術館及び庭園の再生に関しては、茶室の藤森豊、露地の風間宗丘が深くかかわっており、斑鳩庵などにおいては同じく近代数寄者の益田克徳などが関与しているなど、復興されたものとはいえ近代造園史を語るうえでは外せない庭園と言えるでしょう。また近年建設された展示館の建築は隈研吾が行っています。


庭園内の美術品もコレクション

この時期根津美術館と言えば、尾形光琳の燕子花図屏風が展示されるうえ庭園内にも燕子花が咲き誇ります。
東京出身でありながらこの時期の根津美術館とその庭に行ったことがなく、これまた恥ずかしながら、高田さんの元弟子の方や尊敬する庭師の方々から「琳派」(美術史における一つの流派)の話題が出た際あまりの無知さを露呈してしまったため、琳派の代表者の一人と言える光琳の絵が見れるとあって赴きました。


まずは庭園、メインの燕子花を
改修後の現在も高低差と流れを活かした庭園構成がとられています


流れに浮かぶ小舟(実物は写真で見る以上に小さいです)


井筒から湧水が


静寂な雰囲気に包まれた園内

雰囲気は、場所場所でいい場所もありますが...


かなりの木々に、枝枯れ等の跡が見られました。

表参道という大都会で周囲が開発の波から逃れられない、来客が多いなどの難しさから、木々にとって善い環境を保つことが難しいということは容易に推察されます。
高低差の土留めなども、通気排水に配慮しているとは言い難い方法で改修されていたり、根津喜一郎が好んだこの谷地形の恩恵に育まれた庭の精神性は、現代との兼ね合いの中でどう保ち続けていくのか、大変難しい課題でもあると感じました。


そして、本館へ。美術品は撮影が禁止されていますので端的に説明のみで紹介させていただきます。


前述したようにこの時期展示される国宝燕子花図屏風は尾形光琳の描いた屏風で、伊勢物語の一説、故郷を思う主人公がかきつばたの五文字を句に呼んだ場面に基づくと考えられています。
尾形光琳は、京都の呉服屋に生まれ、当初狩野派を学んだのち、俵谷宗達、本阿弥光悦の作品に出会い、その様式を確立させていきます。
琳派と言えば、前述した創始者として宗達、光悦、そして半世紀後にそれを見出し感銘を受ける尾形光琳、乾山兄弟、そしてさらに半世紀後に頭角を現す酒井抱一の三者が名高く、琳派の作品にみられる特徴としては、やまと絵の技法を基盤に、絵師ごとの解釈で大胆な構図やデフォルメされた植物や動物たちの絵としながらも、けっしてそのらしさは失われないというようなことが言えるのではないかと思います。精神性や背景としての特色を挙げるとすれば、同時代活躍した狩野派とは異なり、血統などに依存しない継承のされ方が特徴と言えるようです。創始者と言える宗達えお光琳が、光琳を抱一が、という様に、その間には半世紀ごとのスパンがありますが、各人が先人を見出し敬意を払うとともに行われる模写も、一つの特徴と言えるようです。三人の各人ごとに微妙に異なるニュアンスで書かれた風神雷神図屏風もあまりにも有名ですね。




大変に長くなってしまいましたが、連休期間は、様々な場所に訪れることができ、これまでの連休の中でも特に刺激的な連休を過ごすことができました。

盆栽にしろ庭にしろ琳派にしろ、そしてあるいは山登りにしろ、「自然」と「表現」は切っても切れない関係にあるようです。
見るからに自然環境の劣化がすすむ現代において、それはどのように活用されるべきなのか、エゴイズムと表現、必然性など、どこで折り合いをつけるのが良い造園なのか...
悩みは尽きませんが、この連休で得たものを糧にして、また精進していきたいと思います!



投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | 記事URL

2016年4月 4日 月曜日

梅に鶯、桜に幕

日中の暑さが春を通り越して初夏をも感じさせるようなこの季節、いかがお過ごしでしょうか。入社して早一年になります、石井です。
関東では桜が見頃を迎えていますね。先日の土日は天気が不安定でしたが、この週しかないとばかりにお花見に行かれた方も多いのではないでしょうか。



私もその一人でした。あまりぱっとしない場所の桜ですが、私が大学生だったころよく通りがかった少し思い入れのある駅前の公園の桜です。こんな地味な公園ですが、桜を見上げにわざわざ立ち寄る人、本格的な機材で花を背景に撮影を行っている人などが見受けられました。ここから多摩川をぶらぶら散歩して、川沿いの公園等に植えられた桜をのんびり堪能しました。

この季節、街路樹であろうと公園樹木であろうと、桜の花を愛でない人はいないでしょう。
しかし、落葉の時期になるとその葉を嫌がる方も多いようです。また、お花見の後のごみ問題が毎年ニュースで報じられています。

有名な法話に、
「花は枝によって支えられ、枝は幹によって支えられている。又、その幹は根によって支えられ、根は土によって支えられている。然し、その根は土にかくれて、何も見えない。咲いた花見て喜ぶならば 咲かせた根元の恩を知れ」
というものがあるそうです。この素晴らしい言葉は、先日の鹿児島出張の際に姶良土地開発の町田社長のご自宅の額縁に飾られておりそこで知ることができました。

ではその根は何を求めているのでしょうか。本来の自然環境において、おそらくそれは、自身が落とした葉っぱ(が分解されたもの)だと思うのです。しかし都市環境においては、それすらもかないません。

こんな環境下でもなお私たちを楽しませてくれるのだから、落葉や根上がりによる道路の破損などだけを見て街路樹を無下に扱うような対処をするのではなく、お互いが心地よい空間を造っていければ、そしてそれに寄与できるような造園家になれればな、と桜の花に想った次第でした。









本日(4月4日)は生憎の雨天。現場には出れないため、倉庫の掃除と、整理を兼ねて竹の穂で手箒を作りました。(そののちこのブログを執筆しています・・)
今週は雨が多いようで、桜も落ちるところは落ちてしまいそうですね。桜が週末まで持ちそうなところは、晴れそうな今週末がお花見日和と言えそうですね。幕引きになる前に、お花見をお楽しみください。


さて、今回も見学に訪れた造園空間の紹介をさせていただきたいと思います。

今回は、私の恩師である東京農業大学造園科学科の粟野隆准教授が、雑誌「庭NIWA」の今月号(no.223夏号)に寄稿しています「国際文化会館庭園」を先生自らが案内して下さる機会があったため、そのご紹介をしたいと思います。



国際文化会館は、日本と世界の方々の文化交流と知的協力を通じて国際相互理解の増進を図るために、1952年にロックフェラー財団をはじめとする様々な個人、企業の支援により設立された公益財団法人です。会員制の宿泊施設でもあり、レストランで食事や結婚式を行うこともできます。



庭園の全景です。(建物に対しては結婚式中のためカメラを向けられませんでした、そのため写真も微妙なアングルになりがちです。公式サイトを参考にしてください・・)

国際文化会館の建つ地は、江戸期には大名藩邸が置かれていましたが、以降所有者の変遷を経た後、三菱財閥四代目社長岩崎小彌太が購入、和館、庭園を造営しました。
小彌太は「外国の賓客を迎えられる日本式の邸宅を」と、建築を日本建築の大家である大江新太郎に、庭園を植治こと七代目小川治兵衛に依頼しています。そして当時植治にいた岩城亘太郎もこの造営に関わったとされています。



空襲により建物は消失してしまいましたが庭園は残り、三菱解体後、ロックフェラー三世と意気投合した国際的日本人ジャーナリストの松本重治が国際交流の場として強く提案、金策を巡らせた甲斐あって、戦後には当時の建築界の巨匠、前川國男、吉村順三、板倉準三の共同設計で様々な交流施設を秩序良く有する会館が新設されました。



石の寝かせ方、表現にいかにもな植治らしさを感じます。





池周辺。細かく細かく手が入っている樹木のバランスは、かの重森千靑氏の監修によるもの



二階部分の室内から。芝庭と柵の向こう、屋上のぎりぎりのところまで枯山水が・・くだらない心配ですが、砂利はこぼれないのでしょうか・・

式開催中の他、あまりにも人が多かったため、全体を把握できない写真配置で申し訳ありません。素晴らしい写真と解説、図面は前述の庭誌に特集されていますので興味のある方はそちらをご覧ください。



それにしても、庭園巡りなどが趣味の方はお分かりかと思いますが、特に東京都近郊の庭園には岩崎家の名前がそこかしこに出てきます。大名庭園を買い上げて保存したり自邸が文化財になっていたり・・それだけ財閥の力が強かったことを表していますが、僕自身岩崎家と関連する庭園遺産を整理してみたかったのでここに記してみたいと思います。コアなジャンルですが・・庭園巡りがお好きな方はご参考ください。



まずは初代社長の岩崎彌太郎。

写真の桜は駒込にある六義園のものです。桜のライトアップでも話題になるこの庭園は、江戸の五代綱吉の時代に林業政策でも高名な柳沢吉保が造営した池泉回遊式の庭園で、明治には彌太郎の所有となったのち、東京市に寄付され一般に公開されました。

そして同じく都内は江東区の清澄庭園も、江戸期に形作られ、のち荒廃した庭園を彌太郎が買いあげ、全国の石を配した名園「深川親睦園」として社員や貴賓に対して用いられていましたが、関東大震災において図らずも防災的な役目を果たし、その用途を重視した岩崎家が公園用地として東京市に寄付しています。ちなみにですが、初めてコンクリートが用いられた庭園ともいわれています。



二代社長の彌之助は、彌太郎の弟にあたります。箱根の現高級温泉旅館である「吉池旅館」に、その別邸が文化財として保存されています。水力発電発祥の場でもある他、茶室「真光庵」は江戸から受け継がれ、もう一つの茶室「暁亭」は山懸有朋が古希庵(小田原市、作庭岩本勝五郎)に建てたものを移築し館内に保存されており、広大なスケールの庭園は見どころいっぱいです。




彌太郎の息子にあたる三代社長の岩崎久彌は写真の「旧岩崎邸庭園」(台東区)を本邸として造営しました。
和館と洋館を併設するこの庭園は和洋併置式とも呼ばれ、洋館はジョサイア・コンドル、和館は当時の名棟梁大河喜十郎が手掛け、庭園は巨大な手水や燈籠、芝生等近代の初期の庭園の特徴を伺い知れます。



彌之助の息子の四代社長の岩崎小彌太は、上述の国際文化会館のほか、ツツジやシャクナゲが壮観の「山のホテル(箱根の別邸、建築にジョサイア・コンドル)」、「熱海陽和洞(別邸)」、「巨陶庵(京都南禅寺。現流響院。植治とその長男保太郎が作庭)」などに関与しています。


そして三代社長久彌の息子にあたる岩崎彦彌太は、東京は国分寺の殿ヶ谷戸庭園をかつて別邸として買い取っています。



こうしてみると、東京都近郊の文化財庭園における岩崎家の影響の強さがありありとわかります・・岩崎家が関与した庭園にテーマを絞っても面白いかもしれません。

しかし、近代の建築、庭園と言えばコンクリートであり、洋風と和風が混ざった(洋風に移行しかけている)様式である時代です。
石段や石積みを見てもコンクリートありきのもたせ方、積み方になっていたり、数寄屋建築で土壁の雰囲気を出しているのに大壁造であったり等、歴史としてみると面白いですが、気候風土や自然環境と寄り添ったデザインになっているかと言えば、近代あたりから道を違えてしまっている気がするのも事実です。



鹿児島出張の際に見学することができた古道は、雨水の処理や通気性などに有機的な工法で気を配っていました。
私たち造園家も、温故知新、近代土木と古代土木の融合を考えていかねば、自然環境の悪化にさらに拍車をかけてしまうことになりそうです。


早いもので、入社してから一年が経過してしまいました。
自分が漠然と抱いていた造園観を、厳しく正しく導いてくれる師のもとで勤められているのが光栄です。
おそらく現在の自分にとってどの企業よりも一番「よい」会社に入社できたと、胸を張って言えます。

初心を忘れず、見習いだと甘えず、これからも精進していきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | 記事URL

2016年3月 4日 金曜日

飯能市ワークショップのお知らせ   主催:こもれびおこし

来週3月13日(日)飯能市にてワークショップが開催されます

主催:こもれびおこし 代表:白須靖之氏
  (飯能市道路美化活動団体認定)
協力:飯能市役所

突然のお知らせとなりますが、たくさんのご参加お待ちしております

『こもれびの土づくり(街路樹土壌改善ワークショップ)』      

街路樹がいきいきと根付くための土づくりを市民参加で行うワークショップです。
将来、この道路が素敵なこもれび空間となるための第一歩を共に踏み出しましょう。

<申し込みはこちらから>
こくちーず
http://www.kokuchpro.com/event/4bb636665ea86a3a43dc51c9a405045b/
正式なお申し込みは、Facebookではなく"こくちーず"からとなります。

●イベント概要
平成28年3月末に完成する道路において、将来「里山の雰囲気を感じる道路」となることを目指して、まずは街路樹がいきいきと息づくための土づくりを市民参加で行います。数年後に樹木を植えるときのために、気脈水脈改善という方法を用いた土づくりを試験的に行います。
気脈水脈改善とは、土の中に空気と水の通り道を作ってあげることで、あとは自然の作用に任せて周辺の土壌が改善されていくというものです。

●イベント詳細
今回のイベントでは、木を植えるスペース(植樹帯)に、透水管を配置しながら土で埋める作業を行います。
木を植えるのは数年後ですが、それまでの間に自然の作用によって周辺の土が軟らかくなっていく効果を期待します。

●日時
平成28年3月13日(日) (予備日:3月20日(日))
受付:8:30
作業:9:00~12:00

●場所
埼玉県飯能市大字岩沢1085付近
(加治東行政センター付近、阿須小久保線道路工事区間)

●参加対象者
飯能市民に限らず街路樹に興味のある方を対象とします。

●参加費
無料

●定員
50名程度

●注意事項
・汚れても良い服装で、手袋をご持参してお越しください。
・スコップ(先のとがったものを推奨)をなるべくご持参ください。
・車でおこしの場合は、作業箇所南側より臨時駐車場をご利用ください。
・飯能市道路美化活動団体制度により、飯能市役所にて障害保険に加入いたします。
・雨天等により中止の場合は、20日に順延となります。

●主な作業
・縦穴掘り(直径10cm、深さ30cm以上)
・透水管の配管
・管周りへの枝葉の配置
・土の埋め戻し

投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | 記事URL

2016年2月14日 日曜日

根っこの拠りどころ

スタッフブログをご覧いただいている皆様、こんにちは。
またも更新間隔が大変に長く空いてしまい、年末から更新が滞ってしまいました。
ここ数日の、春風を思わせる暖かい空気に新年のあいさつを申し上げるには手遅れな時期とは感じるものの、本年も一年、よろしくお願いいたします。入社してそろそろ一年になります石井です。

今回は、昨月の半ばに参加した母校の見学会の際訪れた見学地のうちのひとつ、静岡は三島市、三島駅眼前の「楽寿園」のご紹介をさせていただきたいと思います。楽寿園は、明治維新の際もご活躍された小松宮彰仁親王が明治23年に別邸として造営されたもので、昭和27年からは市立公園として開園されています。



冒頭の写真は、楽寿園に入園してすぐの樹林帯の一区域を撮影したものです。クロマツやアラカシ、コナラなどが根を絡ませあい、お互いを支え合う様にして逞しく成長しています。カシやコナラなどが微地形上の起伏に支えあっている様子が、親方の植栽を思い起こさせます



楽寿園内の園路の様子です。上記の写真の部分のみならず、樹林帯全体が地表に根っこを逞しく張り巡らし、土壌を捕捉している様子が見て取れます。そして、その地形も、特異な様相の起伏がついています。これは・・



写真内看板の通り、そうです、この公園は、約一万年前の富士山の噴火の際に流出した溶岩、三島溶岩流が主たる地形を造っており、その上に実生あるいは植栽された樹木が160種以上生育しています。



上写真の中心部、円弧を描くような痕跡は、その様子の通り「縄状溶岩」と呼ばれる、溶岩の表面にできる流動しわ。



上写真の溶岩の表面、ブツブツとしている痕跡は「気泡」です。溶岩内の水蒸気やガスが抜けた跡ですね。
溶岩は固体化した様々な状態からその性質を読み解くことができます。この公園は、それらの特徴を知るのにうってつけです。



少し順序が逆になりますが、上の写真は入園口付近にある案内看板です。この園内で一番感心させられたといっても過言ではないこの看板。というのも、自分が立っているその地形がどのようにできたか、そしてそれを現在のどのような要素から読み解くことができるか、プレートの構造図や万年単位の地形の遷移図、平面、鳥瞰における図や周辺観光地との関係などを掲示し非常にわかりやすく説明しているのです。



この伊豆半島ジオパークの「ジオパーク」というものには、地域の地史や地質現象の地質遺産だけでなく、考古学的、生態学的、文化的な価値のあるサイトを含む場所が認定されます。この楽寿園には、上述しました溶岩流末端部のもたらした地形や地質の他にも多数の見どころ=ジオポイントを観測することができます。



崖上の建造物「梅御殿」下部の深池に見られる三島溶岩の石切り場跡もジオポイントと呼べる見どころのひとつ



北伊豆地震の際の傷跡が見える、大理石製の濡れ鷺型燈籠



中島から市の文化財「楽寿館」を望みます。楽寿館は京間風高床式数寄屋造りの建物で、地形に合わせた細かい段差と配慮のあることが特徴的なほか、室内に粋な演出をもって配置された装飾絵画は帝室技芸員(現在で言うところの人間国宝)6人を含む方たちの作品で、それらは県の文化財に指定されています(室内は撮影禁止のため写真がありません・・)



本園の大池「小浜池」は、溶岩間を流れる豊富な地下水を水源としていましたが、昭和30年頃の上流域付近の大開発に伴い地下水が減少。現在ではほとんど満水になることなくなってしまいました。しかし、数年に一度はその機会が来るとされ、最近では平成23年に満水となりました。
また、この視点場付近には二万六千年前に二つあった富士山の一つの頂が地震により崩壊し土石流(御殿場泥流)として流れ着いた玄武岩が用いられているとのこと



池の水のない庭園はあまり見られるものではありませんので、護岸や舟道の跡が見れると思えばこれも見どころの一つと言えそうです。

日本庭園的な部分を主に紹介してしましましたが、この公園内には動物ふれあい広場や資料館、蒸気機関車などが展示されていたり、全年齢のお客様が楽しめるように工夫されています。

しかしながら、木々の根っこの土壌化への影響力をまざまざと見せつけられる樹林帯と溶岩流や、その末端に現れる溶岩特有のデティールを活かした造作、数万年単位の地域性を感じさせる石材の転用など、恐ろしいくらいに土地を活かしていると感じた庭園でした。

デザインと呼ばれるものに求められる根拠、それは何を目的意識に置くかで見方が大きく変わるものではあると思いますが、その土壌を拠りどころにして根づいた植物が一番その土地に適応する様に、その土地の生物環境全体(施主含めて)が求める環境に近づけば近づくほど、造園的によい空間になるのかな、と楽寿園を見学し感じました。人間も他の生物なしでは生きていけないのは間違いなく、また造園という職能は、最も生物に触れる機会が多いと言い得る職能であると思いますので、出来うる限り生物の循環を乱さない様配慮していた方法を、現代より生物に触れあい暮らしていた昔から学んで、それをなんとか現代に生かしていこうと改めて思った次第です。

今年も一年、いい意味で悩んでいきたいと思います。よろしくお願いいたします!

投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | 記事URL

2016年1月 8日 金曜日

明けましておめでとうございます。

明けましておめでとうございます。

私、昨年末に入社いたしました上木と申します。
どうぞ宜しくお願いいたします。

私事で申し訳ございませんが、少し自己紹介させて頂こうと思います。

年齢は36歳、妻一人子一人の3人家族でございます。
これまで造園業とは無関係のサラリーマンをしており、かなりのオールドルーキーです。
高田造園の門を叩いた理由は、自然と共にやりがいのある仕事に就きたい!という理由から
年齢、条件的にも厳しいながら社長にお願いし、入社させて頂きました。
ゼロからの出発、これから一生懸命勉強してまいりますので宜しくお願いいたします。

さて2016年も早一週間が過ぎてしまいましたが、皆様はどのような新年を迎えられたでしょうか?

私は、昨年末に千葉県に引っ越してまいりました。
初めての関東での年末年始を経験いたしましたので、その一部をご紹介させて頂きます。


成田山新勝寺

元旦に初詣に行きました。
すごい人で参拝するだけでへとへとになってしまいました。

成田山にある、御本尊不動明王を敬刻開眼されたのは弘法大師という事を聞き
四国出身の私は、親近感を覚えました。
またこのように、多くの参拝者が訪れるのには市川團十郎(歌舞伎)が大きくかかわっているようです。
その為、市川家は歌舞伎中 成田家!と呼ばれております。
その他色々と見たい所はございましたが、あまりの人の多さに断念し帰宅いたしました。


日光東照宮

参拝者の方も少し落ち着いた1月5日に、日光東照宮を訪れました。
平成の大修理真っ最中という事もあり、足場が組まれていたり全景を見る事は出来ませんでしたが
細部の細工の細やかさや、他ではあまり見られない色使い他、数多くの感動を頂きました。


見ざる聞かざる言わざる


宮内唯一の野菜の彫刻(なすび)


眠り猫

この他にも見どころ沢山の東照宮でした。
私が感じた事は、江戸時代は私が思うより自由でユーモアのある
色々な意味で豊かな社会だったのかな、と感じました。

日本史でも稀な、約250年間大きな戦が無い時代が人々に数多くの
文化を生み出させたのではないでしょうか?
今、中東で戦争があり数多くの文化遺産が破壊されていると聞きます
一度破壊してしまうと二度と元には戻りません。
とても残念な事です。

以上にて私のお正月ご紹介を、終わらせて頂きます。

これからも色々な文化や、自然に触れ、私自身の五感を豊かにし
造園活動に活かせていけたらと思います。

これかもどうぞ宜しくお願いいたします。

投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | 記事URL