石井

2016年8月 7日 日曜日

東司

題にもつけました東司(とうす)、御間中(おまなか)、樋殿(ひどの)、要処(ようじょ)・・・・

御不浄、手水場、雪隠(せっちん)、厠・・・・

お手洗い、WC(water closet)、化粧室、洗面所・・・・



最初は?な方も、雪隠あたりから、これらの用語が意味する共通の施設が頭に浮かんでくるのではないでしょうか。
そうです、これらの単語すべて、日本におけるトイレを意味する言葉なのです。

ちなみに題にもしました東司、これは主に曹洞宗などの寺院におけるお手洗いの呼び方として用いられています。(臨済宗では雪隠というそうですね)
東司は、七堂伽藍(伽藍づくりに欠かせない主要建物郡)のうちの一つに入っており、いかにお手洗いというものが重要ととらえられてきたかがお分かりになると思います。


もし万が一本ブログをご覧になりながらお食事されている方がいましたら申し訳ありません、そしてご挨拶もなしに執筆を始めてしまったことを重ねてお詫びします。
梅雨も明け炎天下の日差しが厳しく、いくら水を飲んでも汗として全て出て行ってしまうようなこの時期、皆様いかがお過ごしでしょうか、従業員の石井です。

冒頭からもご察し頂けますように、今回は、トイレの事について投稿させていただきます。

と、言いますのも・・・・



こちらは、8月6日に行った、NPO虹のかけ橋様の敷地内に作りましたバイオトイレです。

高田造園では、最近、バイオトイレづくりのワークショップが非常に多く、上記のみならず今年度すでに五つ以上のトイレづくりを行っています・・・



私たちの作るトイレは、土中に排泄物を還元させるバイオトイレです。通気浸透性に配慮した素掘りの穴の上に足場を渡し、最低限の風雨が防げる屋根を葺きます。
排泄後は炭や有機物を被せることで悪臭もせずハエもわきません。
土中の微生物の力で大半を分解させます。くみ取り穴を設けてはいますが、よほどの頻度でなければくみ取る必要がない程です。

どの時代でも必要だったトイレ、人間である以上生理的に不可欠な行為を、生活する自然環境に寄与する形で処理する、今回はそのイベント報告をしつつも、トイレについて少し考える回とさせていただきたく思います。
(バイオトイレデザイン事例集となりそうな今回です・・・・)




最近特にトイレづくりのワークショップが多いということでしたが、こちらは日付を少し遡りまして4月に造ったトイレになります。



家づくりの授業等でもお世話になっておりますおなじみ千葉県長生郡の千の葉学園において、感受性豊かな元気いっぱいの子供たちと造りました。
屋根材には竹を半割にしたものを交互にかぶせて、壁材にはシノダケを用いています。写真はその下準備の様子ですね。





そしてこちらは千葉県夷隅において自然農を行われている方々「風の谷ファーム」に施工中のもの。現在第四日曜日に拠点としている古民家周辺の環境改善連続講座を行っており、その一環として作りました。
構造は講座の際に作ったのですが、その後子供たちがつくった看板などがほほえましいです。



水脈環境の整備や皮むき間伐による健全な混交林の育成等も行っています。





そしてこちらは、山梨県北斗市、ダーチャ村推進に取り組んでいます、五風十雨農場にて施工したバイオトイレ作成途中の様子です。
こちらもワークショップとしてたくさんの方々、子どもたちと協力して進めさせていただきました。この施工の他にもダーチャ小屋の焼き杭基礎づくりと同時進行で行っています。
完成写真を撮り忘れてしまって申し訳ないのですが、焼き杭による構造と、板材による屋根葺き、針葉樹の樹皮による棟仕舞としています。



振り返ると山々を展望できる抜群のロケーションに、いよいよダーチャ村づくりが本格的に始動しました。





そしてこちらは冒頭でも紹介しました千葉県は館山、NPO虹のかけ橋様の敷地内にて施工中の様子です。



NPO虹のかけ橋は震災後に発足した団体で、被災地の子どもたちを、豊かな環境で思いっきり遊ばせたい、という思いで設立されました。
年に一度、子どもたちが遊びにやってくるようです。過去にインターナショナルスクールとして活用されていたこともあってか、集まるスタッフの方々もグローバルな方が多く・・・・
施工中や食事中には、英語と日本語が混じって飛び交うという今までにない雰囲気の楽しいイベントとなりました。
ランチにはバンブーをハーフにして、ヌードルをフォロウィングして頂きました。・・・・。



そしてこちらは現在施工中の事務所のバイオトイレです。壁材には建仁寺垣になどに用いる割竹を再利用し、屋根には波板の上に芝棟とする予定です。


様々なバイオトイレを紹介させていただきましたが、上記のバイオトイレは、事務所のものを除いてほとんど周囲の自然環境からとってきたものや、弊社の余りものの木材を用いており、材料費はほとんどかかっていません。

その場にあるものを用いて、しかもそれを用いたことによって環境がよりよくなるように採集し、最低限の機能を果たす構造を満たすように施工し、壊れたらまた補修する。
そのサイクルが、周囲の環境に根ざす、寄与することは考えるまでもないと思います。

私にとっての「庭」というものは、「心身が健全に生きていくために必要な空間」と捉えたい、とかんがえるようになりました。
突き詰めていくとそこには、ケの場であり、行為であり、しかし切り離せないトイレという空間があるかもしれないとも思うのです。
そのトイレが、現在のインフラ任せのものではなく、その場をよくするためのものにしていける、そしてそれに携われるいうことは、私の造園的な価値観にとってはこれほど光栄なこともないと感じています。

仕事もワークショップも、頑張っていきたいと思います。その中で生まれるこれからのご縁を楽しみにしつつ感謝して、今回の投稿を締めさせていただきたく思います。
有難うございました。











投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | 記事URL

2016年6月28日 火曜日

積み重ねる

高田造園スタッフブログをご覧の皆さん、梅雨敷きで天気も不安定の中、晴天時にはいよいよ暑さが夏を意識させる今日、いかがお過ごしでしょうか。社員の石井です。

私たち高田造園の最近はといいますと、出張が多く続いておりました。



こちらは先日竣工となりました、信州は上田の名所「鹿教湯温泉」、その温泉街に立地するお施主様のお庭です。現地の方の協力もあり、二週間足らずで完成となりました。
広大な敷地内にあった枝葉をしがらみとしたり石材を積み上げることで、台地状に造成された地形の法面に対して段を作って植栽スペースや園路を設けたお庭です。




そして、九州は長崎にも赴かせていただきました。写真は有明発のフェリーから見た景色となります。
現地で用意できない資材や道具、車両を運搬するため、車両ごとフェリーに乗り、九州は新門司港まで丸一日と半日かけて向います・・

造園工事としてはまだ樹木も一本も植わっていない状況ですので、写真は続報をお待ち下さいませ。



長崎出張からの帰りは、荷が軽くなったため高速道路での帰路となりましたが、その経由地として空いた時間運良く訪れ見学することができました京都の庭園についてご紹介したいと思います。



京都は嵯峨野、その美しさで有名な竹林を抜け、名園天龍寺を過ぎたあたりに、その庭園はあります。



「大河内山荘」です。
時代劇における当時の名俳優大河内傳次郎(1898-1962)が、百人一首で著名な小倉山の南面に、34歳であった昭和6年から64歳で逝去するまでの三十年の歳月をかけ、「消えることのない美」を求めてこつこつと創りあげた回遊式の借景庭園です。



最初に入館料(1000円)を入り口で支払い、サービスのお抹茶とお菓子をお抹茶席でいただいてから庭園を観賞することができます。
庭園の紹介と平面図が記載されたパンフレットには季節の写真が印刷された絵葉書が付属しており、拝観料を含めてもお得感のある料金体系となっています・・



順路の入り口でもある庭門



蹲もいい風情を出しています



門をくぐり、まず見えてくるのは、「大乗閣」です。
後に登場する建築物群の建てられた後、土地を買い足し構想10年、東の比叡山と西の嵐山との関係に着目した傳次郎が、数寄屋、書院、神殿、民家という日本の全住宅様式を網羅した建造物を数寄屋師・笛吹嘉一郎依頼し、戦争の悲しい時代を迎えつつも着工に踏み出し1941年に完成したものです。



それぞれの間の屋根の葺き方を変えることで様式の違いを表しつつもその様式を厳格に踏襲することはせず、それでいて一つの建物としてまとめ上げるところに、数寄屋師ならではの柔軟な姿勢が見える建築といえるでしょう。ちなみに茶室の間は国宝・如庵の忠実な写しとしています。嘉一郎が如庵の移築に関与していたからこそ可能だった建築といえますね。



大乗閣の濡縁からは嵐山と比叡山、そして古都の風光を感じることができます。
これを機に傳次郎は庭師・広瀬利兵衛とともに山荘の創作に明け暮れました。



視線を遮断、誘導されるかのような混垣や植栽に誘われてその先へ。



景色が広がりを見せたところに姿を現すのが、この敷地に最初に建てられた建造物、持仏堂です。傳次郎はこの小倉山の竹藪の奥に数百坪の土地を求め、関東大震災からの念願であった持仏堂を建てます。(1931年)
撮影の合間にここで念仏、瞑想し、静寂を得たことが、この山荘のすべての始まりだったのです。



その後また園路を歩きます。緩やかな斜面を登りながら絨毯のように美しい苔に導かれると・・



「滴水庵」です。
先述の持仏堂において仏と向き合う中で、(当時はフィルムの長期保存が難しく)映像が見た人に記憶にしか残らない映画芸術に「無常」を感じ始めた傳次郎は、当時親交のあった鹿王院の禅師・独檀和上より滴水禅師ゆかりの茶室を譲り受けます。(1932年)これがきっかけとなり、傳次郎は形に残る庭創りに芸術性を見出し、それにのめり込んでいきました。



精緻な軒内の作り込みが美しいです。



赤松と紅葉だけで作られたこの庭園は、後に建てられる大乗閣の習作となったようです。



そして、閉鎖的な園路を登り続けると・・



あらわれた四阿から、京都の街並みとそれを囲う山々、その盆地の様相が一望できるのです。
視線を隠し続けてのこの演出には、桂離宮に似たものを感じます。



下りの園路も景趣に富んでいて美しいです。



最後は大河内傳次郎の関連品が収められている記念館を拝見して、この庭園を後にしました。


私は一般的なイメージの「日本庭園」というものが高校時代から大好きで、京都の日本庭園も期を見つけては見学に赴いていたのですが、中でもこの大河内山荘と修学院離宮は非常に大好きです。

人それぞれ、庭園の好き嫌いの評価は分かれることと思いますが、私は「その庭園にどれだけ施主の命が入り込んでいるか」一つの評価基準にしています。
当時大スターだった傳次郎の出演に関する収入がほとんどこの庭園に詰め込まれている上、逝去するまで自ら庭づくりに携わり続けたその30年という積み重ねられた歳月が、その熱量を物語っていると思うのです。

お庭という空間は、そこに住まう、かかわるいのちに心を配るものでなくてはならないと思いたいのです。そのためには植木屋見習いたる者、施主の方が望んでいることは勿論、施主自身がわからないほどの、深層心理のような部分で望んでいたことすらも反映できるように精進しなくてはと改めて思い直した次第です。


それを思わせてくれた、この稀代の名園の施主であり作り手である大河内傳次郎の、自身の人柄を表すような、造園のみならずすべての「職」に通ずるといえる言葉でもって、今回のブログを終わらせていただきたいと思います。




「芸の上手いといふも下手といふも、ほんの僅かの差である。
その差は決して技巧の差ではない。
その人の人柄からくる無技巧の差である。」



有難うございました。

投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | 記事URL

2016年5月 8日 日曜日

大宮、山登り、琳派

連休もあけて、日中の異様な蒸し暑さがいよいよ外仕事にはうっとうしく感じてくるこの頃、皆さまいかがお過ごしでしょうか。
高田造園の石井です。

作庭のお待ちいただいているお客様方には申し訳なく思いつつ、高田造園も五月の頭には連休をいただき、私も連休期間中は、普段の週末ではできない知識や経験を養う時間あるいは家族と過ごす時間として活用させていただいています。

今回のスタッフブログでは、(といってもやはり毎度同様の形式ですけれども、)連休期間中に訪れた場所を紹介させていただきます。



連休初日の五月一日は掃除や自炊の作りだめ、帰省の準備を行い、その荷物をもって五月二日、日本百名山が一つ大山の山塊のまた一つであり表丹沢最高峰の塔ノ岳と、そこから縦走ルートを経て鍋割山に赴きました。


登山途中、まばゆい程の新緑の雑木林

前回丹沢に赴いたときは大山を伊勢原市側から阿夫利神社経由で登山したため、今回は違うルートを、と思い、塔ノ岳に登山することにしました。
ルートは、大倉より「バカ尾根」と呼ばれるひたすらに長い尾根を登って、塔ノ岳山頂へ、そこから少し戻って金冷シの分岐点で鍋割山山頂へ縦走して、西山林道を経由した高低差の少ないルートで下山、という計画です。
駐車場が営業を開始する八時半を目安に現地へ赴き、いざ丹沢へ。


ビジターセンター付近にいた、人に慣れているツバメちゃん

今回は野鳥観察というのも一つ目的に定め、安物の双眼鏡を購入して、所持していた野鳥図鑑で少し予習して、それに付属していた鳴き声のCDを車でかけながら現地に赴いたのち登山したのですが、恥ずかしながら予習不足のため、大した成果は得られず...


山道入り口付近にあった釜場


開けたところから

丹沢に限った事ではないと思われますが、人工林の杉林を混交林にする働きが最近活発なようです。

晴れていたのですが、雲行き、が、怪しい...


その名の通りな、ヤブレガサ(以前のブログでもアップしたかもしれません)
大学時代にサークル活動で植栽したこともあって少し思い入れがあり、個人的に林床に見られるとうれしい植物のひとつです


ジュウニヒトエかなと思って近づいてみましたら、キランソウでしょうか


柔らかな樹形のハナイカダ。最近よくお客様の庭にも植えさせていただいています


根の下のキノコ型地形と谷

自然は風水の流れが激しい環境を自律的に整えようと谷を掘るようです。
雨から守られたキノコ型地形の下にはうっすら地苔が、なだらかな斜面になった谷の地表の落ち葉が根っこによって捕捉され、実生木がちらほら。


モミジの巨木と、植樹されたモミジのトンネルをくぐって、ひたすらに長い長い階段を振り返ります...まだまだ長いです...


一人寂しい登山中ずっと付き合ってくれていたスミレが、白色に

後ろを歩いていた元気なおばちゃん登山グループの先頭の方がおそらくこのスミレをみつけて、
「ちょっとヤダ見てこれ私みたいかわいいい」「白いスミレよお」
一人寂しい登山でしたが、声を出して笑いそうになりました。私もいくつになってもそのような感性(=センス・オブ・ワンダー、なのでしょうか...?)を持ちたいと思います。


長い長い尾根を登り続けると、標高を感じさせる植生、山肌になってきます
く、雲が...


そして、長い長い尾根を経て...

山頂に到達しました!...


山頂の周辺と、そこからの景色です!


雲が...すごい幻想的でした...




天気が良ければ富士山、相模湾が一望できるといわれるこの標高1490mの塔ノ岳の山頂からのこの日の景色は、少し歩かなければ目の前にある大きな山小屋の存在にすら気づけないほどでした...

そして来た道を戻り、鍋割山を目指します。


この縦走ルートは、美しいブナの原生林に囲まれながら山頂間を歩くことができます


頂上付近では、マメザクラでしょうか、スポーツドリンクをお酒代わりに、遅れた花見を楽しめました


そして、鍋割山頂です。例によって頂上からの眺めはご想像通りですので割愛します...


鍋割山頂の山小屋「鍋割山荘」
ここの...

鍋焼きうどんが名物らしいので、それを注文。評判通りのおいしさでした!


頂上のトイレは、微生物を嫌気発酵させるバイオトイレのようです


そして、西山林道経由で下山します。このルートは傾斜が穏やかで車が登れるほどの整備も進んでいるため、あまり山の多様な植生や地形が楽しめるわけではありませんが登りやすく、沢沿いを登っていくため水辺の特有の景色は楽しむことができるようです。


このような場所には、やはりフサザクラが似合いますね


ブラシの先のような可愛い白い花のウワミズザクラ

これよりさらに下っていくと、あとは緩やかにカーブするワンパターンな整備通を下ります。
様々な植物が新緑を広げるこの季節、中腹から山頂付近の雰囲気があまりに気持ちよくて、これ程山から下りたくないと思ったのも初めてでした。
登山は丹沢に始まり丹沢に終わる、という言葉があるそうですが、僕のような素人が楽しむ日帰り登山から、一泊以上の宿泊もできる西の丹沢の奥深さなど、本当にいい山塊だなと感じました。
今度は別の百名山を登るのも面白そうですが、丹沢の深い方にも行ってみたいなと感じました。




そして三日は家族と静岡へ。浜松は弁天島に昔母方のおばあちゃんが住んでおり、お墓参りや親戚の方へのご挨拶のついでに観光をしてきました。
東名高速からの足柄SAの道程などは、子供のころピックアップトラックで走った思い出のルートでもあり、昨年の三ケ日出張の際も通ってきたものでもあり、複雑な気分で浜松へ。


挨拶回りの際に撮影させていただいた、おばちゃん家の玄関先。突然の訪問だったためご挨拶だけしに来ましたという母に対し、
「ひさしぶりだにー寄ってきなさいよお茶位だすわよ、寄ってかないならなんかもってきなさいよこれソラマメと玉ねぎと...
あ!うなぎがあった!(このとき隣の親戚の方が保冷材と野菜を抱えてきてくださいました...)
もー畑まで行けばもっといい玉ねぎもあるでよーお茶位してきなさいよー」
会話までとっても有機的で、心温まります。


そして浜から海を臨んで、浜名湖ガーデンパークへ。ここは、2004年に行われた花博の会場跡地として整備された都市公園で、市民や行政がともに育てていく公園を目指して管理運営が行われていることが特徴です。


右に見えるのは展望台のきらめきタワー


登ってみると、園内や遠景が一望できます。少し終わりかけのネモフィラ花壇にかかれた絵もきれいです。


ただの展望台と侮って登ってみたら、園内の植物や構成を俯瞰して楽しめる高さを持ちながらも、眼下の人たちのしぐさや行動もわかる絶妙な高さに配置されていて、園内で一番感心させられた構造物でした。









国際庭園エリア。ここには、延べ10か国以上の庭園の様式(と思われます)が縮小されて再現されており、とてもユニークな空間になっています。
さすがに構造物に若干のチープさと植生の再現に限界を感じるところはありますが、それぞれのスペースに適度な目隠しを設けて高低差や小休止できるスペースを配することで空間ごとに落ち着けるスペースを造っています。
そしてその庭園同士の間に、周辺の環境ではめったに見られない品種物からありふれた原種系の植物等が科ごと等に固まって植えられたスペースがあり、植物の標本的なコーナーとしています。

連休期間中のイベントの不充実さなど、なかなかこれだけの箱全体の活かし方としては考える余地を残しているような公園でしたが、基本入場料無料でこれだけの植物や開放感のある芝生を楽しめる空間があるというのはそのような利用を主とする人にとってはありがたい場所になっていると感じました。



四日は、大宮は盆栽村で盆栽祭りへ。



ここ盆栽村は盆栽の歴史ある会社が多く存在することで有名で、五月の連休中には露店などに実生木や鋏、鉢などが売り出される盆栽祭りが毎年行われ、国内外問わず様々な観光客の方でにぎわいます。特に盆栽は今ドイツなど海外でも人気が高いそうです。

盆栽の、樹木を最小単位で管理するその手法は、鉢の用土の敷き方から水やりに至るまで、地球の営みの縮小系である、ともいわれます。雑木の庭は、庭単位でありいわば人間がその空間の中に入って自然を体感するため、スケール感や雰囲気の出し方に関していえば異なる点が多いですが、同じ樹木を扱う分野として共通する、勉強になる部分も多くあります。
会社の畑のどうせ育たない場所に生えた実生のモミジなどを移植して植えてみたりしてからというもの、盆栽という分野に少し興味が増し、また由緒ある盆栽の会社に大学時代の友人が就職していたため、その友人に挨拶も兼ねて、まつりに赴きました次第です。
一日では見切れないほどの露店やイベントが催されており、大変有意義な時間を過ごせました。有人の勤めているところで購入した鋏等を早く使ってみたいと高揚感が後を引きます。



恥ずかしながら、私の処女作です...。
畑の実生のモミジをポットに移して一年育てたところ、数センチしか育たなかったため、拾った朽木に赤玉土を入れ苔を張って植えなおしたところ、僅か二週間で、昨年の生長を上回る伸長を見せ、葉の状態も驚くほどよくなっています。
昨年度はポットに残土のような排水性の悪い土を詰めてしまったのが良くなかったのでしょう。
今回購入した道具や肥料などで、大切に育てていきたいと思います。
いろいろ教えた頂いた大学時代の友人に感謝です。


四日はそこから表参道に向かい、根津美術館へ。



根津美術館は、東武鉄道の経営でも名をはせた実業家であり、近代数寄屋でもある初代根津喜一郎のコレクションが展示されている美術館です。
元は長谷寺の土地と言われるこの場所の谷地形とそこからの湧水を存分に生かして作られた美術館、茶室や庭がありました。海外への美術品の流出を食い止めようと豪快に集めたコレクションを市民とともに楽しもうとしましたが志半ばで亡くなった初代の思いをついで、二代目が美術館を開館させるも、同年に起こった空襲によりここ近辺一帯は一度で灰に帰しています。(コレクションは疎開により無事)
焼け野原からの美術館及び庭園の再生に関しては、茶室の藤森豊、露地の風間宗丘が深くかかわっており、斑鳩庵などにおいては同じく近代数寄者の益田克徳などが関与しているなど、復興されたものとはいえ近代造園史を語るうえでは外せない庭園と言えるでしょう。また近年建設された展示館の建築は隈研吾が行っています。


庭園内の美術品もコレクション

この時期根津美術館と言えば、尾形光琳の燕子花図屏風が展示されるうえ庭園内にも燕子花が咲き誇ります。
東京出身でありながらこの時期の根津美術館とその庭に行ったことがなく、これまた恥ずかしながら、高田さんの元弟子の方や尊敬する庭師の方々から「琳派」(美術史における一つの流派)の話題が出た際あまりの無知さを露呈してしまったため、琳派の代表者の一人と言える光琳の絵が見れるとあって赴きました。


まずは庭園、メインの燕子花を
改修後の現在も高低差と流れを活かした庭園構成がとられています


流れに浮かぶ小舟(実物は写真で見る以上に小さいです)


井筒から湧水が


静寂な雰囲気に包まれた園内

雰囲気は、場所場所でいい場所もありますが...


かなりの木々に、枝枯れ等の跡が見られました。

表参道という大都会で周囲が開発の波から逃れられない、来客が多いなどの難しさから、木々にとって善い環境を保つことが難しいということは容易に推察されます。
高低差の土留めなども、通気排水に配慮しているとは言い難い方法で改修されていたり、根津喜一郎が好んだこの谷地形の恩恵に育まれた庭の精神性は、現代との兼ね合いの中でどう保ち続けていくのか、大変難しい課題でもあると感じました。


そして、本館へ。美術品は撮影が禁止されていますので端的に説明のみで紹介させていただきます。


前述したようにこの時期展示される国宝燕子花図屏風は尾形光琳の描いた屏風で、伊勢物語の一説、故郷を思う主人公がかきつばたの五文字を句に呼んだ場面に基づくと考えられています。
尾形光琳は、京都の呉服屋に生まれ、当初狩野派を学んだのち、俵谷宗達、本阿弥光悦の作品に出会い、その様式を確立させていきます。
琳派と言えば、前述した創始者として宗達、光悦、そして半世紀後にそれを見出し感銘を受ける尾形光琳、乾山兄弟、そしてさらに半世紀後に頭角を現す酒井抱一の三者が名高く、琳派の作品にみられる特徴としては、やまと絵の技法を基盤に、絵師ごとの解釈で大胆な構図やデフォルメされた植物や動物たちの絵としながらも、けっしてそのらしさは失われないというようなことが言えるのではないかと思います。精神性や背景としての特色を挙げるとすれば、同時代活躍した狩野派とは異なり、血統などに依存しない継承のされ方が特徴と言えるようです。創始者と言える宗達えお光琳が、光琳を抱一が、という様に、その間には半世紀ごとのスパンがありますが、各人が先人を見出し敬意を払うとともに行われる模写も、一つの特徴と言えるようです。三人の各人ごとに微妙に異なるニュアンスで書かれた風神雷神図屏風もあまりにも有名ですね。




大変に長くなってしまいましたが、連休期間は、様々な場所に訪れることができ、これまでの連休の中でも特に刺激的な連休を過ごすことができました。

盆栽にしろ庭にしろ琳派にしろ、そしてあるいは山登りにしろ、「自然」と「表現」は切っても切れない関係にあるようです。
見るからに自然環境の劣化がすすむ現代において、それはどのように活用されるべきなのか、エゴイズムと表現、必然性など、どこで折り合いをつけるのが良い造園なのか...
悩みは尽きませんが、この連休で得たものを糧にして、また精進していきたいと思います!



投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | 記事URL

2016年4月 4日 月曜日

梅に鶯、桜に幕

日中の暑さが春を通り越して初夏をも感じさせるようなこの季節、いかがお過ごしでしょうか。入社して早一年になります、石井です。
関東では桜が見頃を迎えていますね。先日の土日は天気が不安定でしたが、この週しかないとばかりにお花見に行かれた方も多いのではないでしょうか。



私もその一人でした。あまりぱっとしない場所の桜ですが、私が大学生だったころよく通りがかった少し思い入れのある駅前の公園の桜です。こんな地味な公園ですが、桜を見上げにわざわざ立ち寄る人、本格的な機材で花を背景に撮影を行っている人などが見受けられました。ここから多摩川をぶらぶら散歩して、川沿いの公園等に植えられた桜をのんびり堪能しました。

この季節、街路樹であろうと公園樹木であろうと、桜の花を愛でない人はいないでしょう。
しかし、落葉の時期になるとその葉を嫌がる方も多いようです。また、お花見の後のごみ問題が毎年ニュースで報じられています。

有名な法話に、
「花は枝によって支えられ、枝は幹によって支えられている。又、その幹は根によって支えられ、根は土によって支えられている。然し、その根は土にかくれて、何も見えない。咲いた花見て喜ぶならば 咲かせた根元の恩を知れ」
というものがあるそうです。この素晴らしい言葉は、先日の鹿児島出張の際に姶良土地開発の町田社長のご自宅の額縁に飾られておりそこで知ることができました。

ではその根は何を求めているのでしょうか。本来の自然環境において、おそらくそれは、自身が落とした葉っぱ(が分解されたもの)だと思うのです。しかし都市環境においては、それすらもかないません。

こんな環境下でもなお私たちを楽しませてくれるのだから、落葉や根上がりによる道路の破損などだけを見て街路樹を無下に扱うような対処をするのではなく、お互いが心地よい空間を造っていければ、そしてそれに寄与できるような造園家になれればな、と桜の花に想った次第でした。









本日(4月4日)は生憎の雨天。現場には出れないため、倉庫の掃除と、整理を兼ねて竹の穂で手箒を作りました。(そののちこのブログを執筆しています・・)
今週は雨が多いようで、桜も落ちるところは落ちてしまいそうですね。桜が週末まで持ちそうなところは、晴れそうな今週末がお花見日和と言えそうですね。幕引きになる前に、お花見をお楽しみください。


さて、今回も見学に訪れた造園空間の紹介をさせていただきたいと思います。

今回は、私の恩師である東京農業大学造園科学科の粟野隆准教授が、雑誌「庭NIWA」の今月号(no.223夏号)に寄稿しています「国際文化会館庭園」を先生自らが案内して下さる機会があったため、そのご紹介をしたいと思います。



国際文化会館は、日本と世界の方々の文化交流と知的協力を通じて国際相互理解の増進を図るために、1952年にロックフェラー財団をはじめとする様々な個人、企業の支援により設立された公益財団法人です。会員制の宿泊施設でもあり、レストランで食事や結婚式を行うこともできます。



庭園の全景です。(建物に対しては結婚式中のためカメラを向けられませんでした、そのため写真も微妙なアングルになりがちです。公式サイトを参考にしてください・・)

国際文化会館の建つ地は、江戸期には大名藩邸が置かれていましたが、以降所有者の変遷を経た後、三菱財閥四代目社長岩崎小彌太が購入、和館、庭園を造営しました。
小彌太は「外国の賓客を迎えられる日本式の邸宅を」と、建築を日本建築の大家である大江新太郎に、庭園を植治こと七代目小川治兵衛に依頼しています。そして当時植治にいた岩城亘太郎もこの造営に関わったとされています。



空襲により建物は消失してしまいましたが庭園は残り、三菱解体後、ロックフェラー三世と意気投合した国際的日本人ジャーナリストの松本重治が国際交流の場として強く提案、金策を巡らせた甲斐あって、戦後には当時の建築界の巨匠、前川國男、吉村順三、板倉準三の共同設計で様々な交流施設を秩序良く有する会館が新設されました。



石の寝かせ方、表現にいかにもな植治らしさを感じます。





池周辺。細かく細かく手が入っている樹木のバランスは、かの重森千靑氏の監修によるもの



二階部分の室内から。芝庭と柵の向こう、屋上のぎりぎりのところまで枯山水が・・くだらない心配ですが、砂利はこぼれないのでしょうか・・

式開催中の他、あまりにも人が多かったため、全体を把握できない写真配置で申し訳ありません。素晴らしい写真と解説、図面は前述の庭誌に特集されていますので興味のある方はそちらをご覧ください。



それにしても、庭園巡りなどが趣味の方はお分かりかと思いますが、特に東京都近郊の庭園には岩崎家の名前がそこかしこに出てきます。大名庭園を買い上げて保存したり自邸が文化財になっていたり・・それだけ財閥の力が強かったことを表していますが、僕自身岩崎家と関連する庭園遺産を整理してみたかったのでここに記してみたいと思います。コアなジャンルですが・・庭園巡りがお好きな方はご参考ください。



まずは初代社長の岩崎彌太郎。

写真の桜は駒込にある六義園のものです。桜のライトアップでも話題になるこの庭園は、江戸の五代綱吉の時代に林業政策でも高名な柳沢吉保が造営した池泉回遊式の庭園で、明治には彌太郎の所有となったのち、東京市に寄付され一般に公開されました。

そして同じく都内は江東区の清澄庭園も、江戸期に形作られ、のち荒廃した庭園を彌太郎が買いあげ、全国の石を配した名園「深川親睦園」として社員や貴賓に対して用いられていましたが、関東大震災において図らずも防災的な役目を果たし、その用途を重視した岩崎家が公園用地として東京市に寄付しています。ちなみにですが、初めてコンクリートが用いられた庭園ともいわれています。



二代社長の彌之助は、彌太郎の弟にあたります。箱根の現高級温泉旅館である「吉池旅館」に、その別邸が文化財として保存されています。水力発電発祥の場でもある他、茶室「真光庵」は江戸から受け継がれ、もう一つの茶室「暁亭」は山懸有朋が古希庵(小田原市、作庭岩本勝五郎)に建てたものを移築し館内に保存されており、広大なスケールの庭園は見どころいっぱいです。




彌太郎の息子にあたる三代社長の岩崎久彌は写真の「旧岩崎邸庭園」(台東区)を本邸として造営しました。
和館と洋館を併設するこの庭園は和洋併置式とも呼ばれ、洋館はジョサイア・コンドル、和館は当時の名棟梁大河喜十郎が手掛け、庭園は巨大な手水や燈籠、芝生等近代の初期の庭園の特徴を伺い知れます。



彌之助の息子の四代社長の岩崎小彌太は、上述の国際文化会館のほか、ツツジやシャクナゲが壮観の「山のホテル(箱根の別邸、建築にジョサイア・コンドル)」、「熱海陽和洞(別邸)」、「巨陶庵(京都南禅寺。現流響院。植治とその長男保太郎が作庭)」などに関与しています。


そして三代社長久彌の息子にあたる岩崎彦彌太は、東京は国分寺の殿ヶ谷戸庭園をかつて別邸として買い取っています。



こうしてみると、東京都近郊の文化財庭園における岩崎家の影響の強さがありありとわかります・・岩崎家が関与した庭園にテーマを絞っても面白いかもしれません。

しかし、近代の建築、庭園と言えばコンクリートであり、洋風と和風が混ざった(洋風に移行しかけている)様式である時代です。
石段や石積みを見てもコンクリートありきのもたせ方、積み方になっていたり、数寄屋建築で土壁の雰囲気を出しているのに大壁造であったり等、歴史としてみると面白いですが、気候風土や自然環境と寄り添ったデザインになっているかと言えば、近代あたりから道を違えてしまっている気がするのも事実です。



鹿児島出張の際に見学することができた古道は、雨水の処理や通気性などに有機的な工法で気を配っていました。
私たち造園家も、温故知新、近代土木と古代土木の融合を考えていかねば、自然環境の悪化にさらに拍車をかけてしまうことになりそうです。


早いもので、入社してから一年が経過してしまいました。
自分が漠然と抱いていた造園観を、厳しく正しく導いてくれる師のもとで勤められているのが光栄です。
おそらく現在の自分にとってどの企業よりも一番「よい」会社に入社できたと、胸を張って言えます。

初心を忘れず、見習いだと甘えず、これからも精進していきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | 記事URL

2016年2月14日 日曜日

根っこの拠りどころ

スタッフブログをご覧いただいている皆様、こんにちは。
またも更新間隔が大変に長く空いてしまい、年末から更新が滞ってしまいました。
ここ数日の、春風を思わせる暖かい空気に新年のあいさつを申し上げるには手遅れな時期とは感じるものの、本年も一年、よろしくお願いいたします。入社してそろそろ一年になります石井です。

今回は、昨月の半ばに参加した母校の見学会の際訪れた見学地のうちのひとつ、静岡は三島市、三島駅眼前の「楽寿園」のご紹介をさせていただきたいと思います。楽寿園は、明治維新の際もご活躍された小松宮彰仁親王が明治23年に別邸として造営されたもので、昭和27年からは市立公園として開園されています。



冒頭の写真は、楽寿園に入園してすぐの樹林帯の一区域を撮影したものです。クロマツやアラカシ、コナラなどが根を絡ませあい、お互いを支え合う様にして逞しく成長しています。カシやコナラなどが微地形上の起伏に支えあっている様子が、親方の植栽を思い起こさせます



楽寿園内の園路の様子です。上記の写真の部分のみならず、樹林帯全体が地表に根っこを逞しく張り巡らし、土壌を捕捉している様子が見て取れます。そして、その地形も、特異な様相の起伏がついています。これは・・



写真内看板の通り、そうです、この公園は、約一万年前の富士山の噴火の際に流出した溶岩、三島溶岩流が主たる地形を造っており、その上に実生あるいは植栽された樹木が160種以上生育しています。



上写真の中心部、円弧を描くような痕跡は、その様子の通り「縄状溶岩」と呼ばれる、溶岩の表面にできる流動しわ。



上写真の溶岩の表面、ブツブツとしている痕跡は「気泡」です。溶岩内の水蒸気やガスが抜けた跡ですね。
溶岩は固体化した様々な状態からその性質を読み解くことができます。この公園は、それらの特徴を知るのにうってつけです。



少し順序が逆になりますが、上の写真は入園口付近にある案内看板です。この園内で一番感心させられたといっても過言ではないこの看板。というのも、自分が立っているその地形がどのようにできたか、そしてそれを現在のどのような要素から読み解くことができるか、プレートの構造図や万年単位の地形の遷移図、平面、鳥瞰における図や周辺観光地との関係などを掲示し非常にわかりやすく説明しているのです。



この伊豆半島ジオパークの「ジオパーク」というものには、地域の地史や地質現象の地質遺産だけでなく、考古学的、生態学的、文化的な価値のあるサイトを含む場所が認定されます。この楽寿園には、上述しました溶岩流末端部のもたらした地形や地質の他にも多数の見どころ=ジオポイントを観測することができます。



崖上の建造物「梅御殿」下部の深池に見られる三島溶岩の石切り場跡もジオポイントと呼べる見どころのひとつ



北伊豆地震の際の傷跡が見える、大理石製の濡れ鷺型燈籠



中島から市の文化財「楽寿館」を望みます。楽寿館は京間風高床式数寄屋造りの建物で、地形に合わせた細かい段差と配慮のあることが特徴的なほか、室内に粋な演出をもって配置された装飾絵画は帝室技芸員(現在で言うところの人間国宝)6人を含む方たちの作品で、それらは県の文化財に指定されています(室内は撮影禁止のため写真がありません・・)



本園の大池「小浜池」は、溶岩間を流れる豊富な地下水を水源としていましたが、昭和30年頃の上流域付近の大開発に伴い地下水が減少。現在ではほとんど満水になることなくなってしまいました。しかし、数年に一度はその機会が来るとされ、最近では平成23年に満水となりました。
また、この視点場付近には二万六千年前に二つあった富士山の一つの頂が地震により崩壊し土石流(御殿場泥流)として流れ着いた玄武岩が用いられているとのこと



池の水のない庭園はあまり見られるものではありませんので、護岸や舟道の跡が見れると思えばこれも見どころの一つと言えそうです。

日本庭園的な部分を主に紹介してしましましたが、この公園内には動物ふれあい広場や資料館、蒸気機関車などが展示されていたり、全年齢のお客様が楽しめるように工夫されています。

しかしながら、木々の根っこの土壌化への影響力をまざまざと見せつけられる樹林帯と溶岩流や、その末端に現れる溶岩特有のデティールを活かした造作、数万年単位の地域性を感じさせる石材の転用など、恐ろしいくらいに土地を活かしていると感じた庭園でした。

デザインと呼ばれるものに求められる根拠、それは何を目的意識に置くかで見方が大きく変わるものではあると思いますが、その土壌を拠りどころにして根づいた植物が一番その土地に適応する様に、その土地の生物環境全体(施主含めて)が求める環境に近づけば近づくほど、造園的によい空間になるのかな、と楽寿園を見学し感じました。人間も他の生物なしでは生きていけないのは間違いなく、また造園という職能は、最も生物に触れる機会が多いと言い得る職能であると思いますので、出来うる限り生物の循環を乱さない様配慮していた方法を、現代より生物に触れあい暮らしていた昔から学んで、それをなんとか現代に生かしていこうと改めて思った次第です。

今年も一年、いい意味で悩んでいきたいと思います。よろしくお願いいたします!

投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | 記事URL