椎名

2016年8月18日 木曜日

お盆休み

  
 ここは千葉県旭市飯岡、九十九里浜からの直線距離およそ700m、海抜7mという海に近いこの地域では震災の影響を免れ今も昔と変わらぬ景色の残る地域がある。
祖父母の代までのこの地での移動手段は馬車ならぬ牛舎、運転手が皆寝てしまっても家まで連れて行ってくれる自動運転や畑仕事の共としても活躍する話等毎度時代を感じさせてくれる地域でもあります。



先祖供養の為に久々に訪れたこの地域ではブロック塀では無く防風の為の混色の生垣が所々点在する地域で、不思議な風習が残る場所でもあります。
住む人の呼び名を名前では無く今もなお屋号で呼ぶ風習がある場所で、この地に移り住んだ先祖が籠屋を営んでいた事が由来する事が解りました。
現在5代目となる父、兄弟は皆サラリーマンであるが今もなお先祖のルーツを語り繋ぐ呼び方がなんとも素敵な街だなと思いました。

 
自分のルーツを知るきっかけでもありましたが、それを今に伝える風習がこの地の歴史性を感じさせてくれるのです。



 もうひとつこの地には歴史を感じさせるものが有ります。
この地で産出される飯岡石による空積みです。セメントは一切使わずに積まれた石積みは補修無く私の父が子供だった以前よりも前(60年以上)から、変わらずにこの形をとどめているらしく、この地がもっと緑豊かだった時代にはこの石の隙間に蛇などが住みついていた話等を聞きました。
石積みの際に植栽された防風林も又この地ならではの機能を持っています。
防風林の機能はもちろんですがこの地の生垣の役割は何も風だけではありません、海に近いこの地域では太平洋の荒波が作りだした砂が飛散してきます。その為葉の大きさの違う混色による生垣がこの地では今も根強く残っているのです。



 今は震災以降の波止め工事が海岸線付近で進み以前砂浜であった九十九里浜も人の歩く所以外は草がはびこる様になりました。
この環境の変化が良いのか悪いのかは別として人の手が加わる事でこうも環境に変化を与えてしまう我々人間の行動には考えさせられる部分があるようでした。
それでいて先人達が今まで築いてきた先ほどの石積み等の工法は、自然の力を借りて時間と共に強度を増していく。
現代土木とは対照的な技術の強さ、美しさに感動を覚えると共に又こういった技術を残して行きたいという思いにもさせてもらいました。




 飯岡石と呼ばれているこの地域特有の石はここ屏風ヶ浦の地層と太平洋の荒波が関係している事が解っています。
ここは旭市永井の刑部岬、太平洋に突き出た銚子の先端から南に下る事10㎞海流の影響でこの地には様々な物が打ち上げられる。
屏風ヶ浦から削り取られた飯岡石は荒波にもまれながらこの屏風ヶ浦の先端である刑部岬から飯岡港にかけて多く産出されていたらしいのですが1960年代の屏風ヶ浦の波止め工事始め、ほんの20年くらい前の飯岡港の工事を最後に現在その姿はすべて消えてしまいました。今は地下3m位の位置で多く産出される事が解っているのですがこの場所では飯岡石を見る事が無くなってしまったのが残念なことです。

屏風ヶ浦の地層は地表部に露出している部分でおよそ300-100万年前に積もった地層というかなり広い幅の層を持っているのですが実際に飯岡石が産出される硬質石灰質泥岩は屏風ヶ浦の下部の方でしか産出されず今では貴重な石となってしまいました。

 久々に訪れたこの地の光景を今までとは違った視点で観察する。私の第二の故郷ともいえるこの地の歴史や風土ルーツなどに触れて先祖の見た光景に目や耳を傾ける事で先祖の大事にしてきたものを守る。
このお盆という時期、皆さまはどうお過ごしになられたでしょうか?

私ごとの多いブログとなってしまいましたがこれを機会に先祖の歴史訪問を楽しでみてはいかがでしょうか?



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