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2018年3月 4日 日曜日

春の気配ただよう今日この頃。

「三寒四温」という言葉そのものに、
日中はあたたかさを感じられつつも、
日が陰るとやはりまだ寒くもある今日この頃。

皆様いかがお過ごしでしょうか。
久しぶりの投稿となってしましました、スタッフの松下です。

高田造園での仕事にも、入社した当初に比べますと
少し慣れてまいりましたが、逆にここ最近は肉体的な疲労感から
筆が少し遠くなっておりました。

さて、千葉でも寒い日が続きますが、徐々に温かく感じる瞬間も
徐々に増えて出し、もうそこまで春はやってきていると同時に、
もう今年に入り3月を迎えてしまったのかという、
時間の速さを感じずにはいられません。



関東では梅の花も見ごろを迎え、町中でも春の気配を感じられます。

上記の写真は先日土気山ダーチャフィールドで行われました醤油絞りの時の
土気山の梅の木です。

醤油は私が入社する前の今からちょうど一年前の時期に
土気山で麹屋さんに来ていただき
様々にレクチャーを受けながら仕込んだ醤油です。



去年仕込んだの醤油の元を絞り布にいれ、絞り器で圧をかけていきますと
このように搾りたての醤油が流れ出します。



搾りたての生醤油を一部ビンに詰めつつも、
残りの生醤油は醤油搾りの先生の指導のもと羽釜で火入れしていきます。



その後また今年も新たに大豆と麹を塩水に投入し、
自分たちの「手」仕込みで新たに醤油を準備しました。



このあと仕込んだ醤油の元はまめに櫂入れを行い、時間の経過とともに
数ヶ月おきというスパンに切り替え微生物による発酵を待ちます。

また来年のこの頃には新たな醤油を味わえることを楽しみに待ちます。

さて、高田造園では先日まで奈良の吉野への出張も兼ねた社員旅行に
吉野・京都へと凱旋しておりました。

その時に伺いました京都の寺院での様子を少し振り返りたいと思います。



ここは京都市北西部・高雄にあります高山寺というお寺です。
高山寺については庭誌前回号に現在連載中の親方の記事にも
記されております。

高山寺というお寺について少し説明させていただきますと、
開創は8世紀末期で、その後1206年に後鳥羽上皇の院宣により
明恵上人が華厳宗の復興の道場として再興されたそうです。

広い境内は国の史跡に指定され、開山堂、金堂などが立ち並びます。
中でも石水院は国宝に指定されており、
中世の戦乱期に他の建物は荒廃しましたが、
この石水院は鎌倉時代初期の唯一の遺構として残っています。

寝殿風住宅建築で、庇を縋破風(すがるはふ・本屋根の軒先から
一方にだけさらに突き出した部分の破風)で処理してあったり、



天井を舟形にくぼませた舟形天井、



柱に梁を継ぐときに1点に荷重を集中させずに、面で分散せるために舟形肘木が用いられる等、



細部意匠などに鎌倉時代の特色が見られます。

自然に調和した建築である石水院は一度足を踏み入れると、
安らぎと落ち着きの感じられる空間で、時間がゆったりと流れます。



石水院で時間を過ごした後は、境内を親方の解説の元
見て回りました。

今まで寺院を見学に伺った際に自分では全く見過ごしていた視点での
環境造作についてレクチャーしてもらいながら見て回らせていただきました。

高山寺は山の谷筋に位置する寺院であり、
境内の間には大きな谷状地形の部分もあります。

谷は山の中ではその高低差から山の地中の水を動かす要となっています。

地下水や地中水というのは私たちの目で確認することはできませんが、
全国各地で湧水が湧き上がるポイントを地図上で見ていると、
だいたいは近くに川(谷)があり、段丘沿いの崖線際であったり、
山地系から平地に切り替わる際の部分であったりします。

等高線で見ても山と山の間の奥まった部分、
つまり谷であることがほとんどのようです。

京都の山寺にも同じく古くから山際で湧水があったようで、
その名残が造作として残る「閼伽井」です。



今となっては水は外見からは澱んでしまい、
清水が湧き上がっているようには見えませんでしたが、
以前はここから清水が湧き上がり、
そういったものに畏敬の念を示し、
仏教では仏様にお供えする水を「閼伽」と呼び大切にしてこられたようです。

高山寺から近い山寺で神護寺というお寺があるのですが、
ここでもやはり「閼伽井」は山地から平地に切り替わる要の部分にありました。

そういう部分を掘り、湧水を湧き上がらせることで、
地中の水と空気を動かし土を育て、木々を息づかせることで
山寺の神聖な雰囲気を守り続けてきたのかもしれません。



そのような本当に心地のよい山寺に残るような澄んだ空気は
先人たちが自然に敬意を持って守り抜いてきた遺構です。

そこには人と自然の共作と言いますか、
どちらか一方ではなく、自然の中で人が生かされ生活する中で
大切に守ってきた自然なのです。

いま現代はどうしても広大な林地や山々は、
その管理に困り、少しでもお金になるのならと木は切られ、
山は崩され瞬く間に開発されていってしまいます。

今年の2月中旬頃に寺田本家という千葉県香取郡にある自然酒の酒蔵の
上部に位置する神崎神社を親方が案内してくれた際に言っておられたことですが、



その森にある樹齢何十年という木々たちも
その木単体で見ると高々樹齢何十年かもしれないが、

それまでには何百年何千年という、
育っては枯れ土に還り、またそこに芽が吹いて
という膨大なサイクルの中で、

枯れた木の根が分解されて空洞になり
そこが新たな空気と水の通り道となって、

そこにまた新たな木々の根が元気に張り、
先代にも増してたくましく成長する。

そういうふうに見ると今生きている樹齢何十年の木々たちは
実は何百年、何千年もの命の上に立っているんだ、
その森自体は千年万年の営みなのだ、というお話でした。

そういう視点で山や里を見ると、今自分たちだけの都合で
山を切り拓いてしまうのは実に安易で浅はかなことなのかと
考えさせられてしまいます。

切るだけならまだしも切って根っこを抜いて造成し直して
しまうということは何千年もの命の土台を一夜にして
ゼロにしてしまうに他なりません。

そういう時代のどうしようもない流れなのかもしれませんが
私たち一人ひとりが山や自然を見るときにそういう視点を持てれば
今ますます侵攻してしまっている山林の開伐に
NOを突きつけられる力となるのかもしれません。

何が本当に大切なのか、残すべきものは何なのか、
よく自分の目を研ぎ澄まし見つめていきたいと思います。


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2018年1月23日 火曜日

小寒、大寒、大寒波!

高田造園ブログをご覧の皆さん、大変遅ればせながら、あけましておめでとうございます。従業員の石井です。
新年を迎えまして早三週間、高田造園も日々造園工事や環境改善に邁進しております、本年もよろしくお願い申し上げます。

さて、まさに二十四節気でいうところの「大寒」の時期にふさわしく、というべきでしょうか・・



このブログを更新することができましたのは、関東全域にも訪れました今冬最大の寒波の仕業にほかなりません。
ここまで積雪してしまった以上、通勤もままならぬため、本日の現場作業は中止となったのでした。

都内の交通利用の多い駅においては入場制限があったとも聞きます、高速道路においては立ち往生も・・
皆様も残雪の影響にお気を付けください。



この積雪でご不便を被った方は雪はもう結構と思われるであろうところ、またも雪つながりで恐縮ですが・・
今回のブログでは、お正月のお休み(「小寒」の時期ですね)に訪れました八ヶ岳は北横岳の紹介をさせていただきます。

八ヶ岳連峰の一つ、北横岳は、正式には横岳といいます。しかしわずか10キロ下の南八ヶ岳に同名の「横岳」があるため、便宜上このように呼ばれることが多いようです。山頂は二峰に分かれていますが北峰の標高が高く2480メートル。

冬山初挑戦の私がこの山を選んだ理由が、この山のお手軽さです。
北横岳にはロープウェイがあり、標高1700メートルほどにある山麓駅から、2200メートルの山頂駅まで10分弱で上がることができ、その後、軽アイゼンのみでも歩ける1時間半ほどのコースタイムのルートを進めば山頂に到達することができます。



名物のキツツキに見送られスタート



頭を出した低木に雪がしがらんで、地形がぽこぽこ。雪原を歩いたり・・



樹林の中に入ったり



少し登るとロープウェイと絶景が!



そしてあっという間に頂上です!見下ろした樹林がまだ雪がまばらで美しいです!



店主の気遣いと料理が素晴らしいとの北横岳ヒュッテ。の横のベンチでお昼



冬山で湯沸かしして食べるカップラーメンと食後のドリップコーヒーは絶品!!




防寒装備や天気には最大限注意したいところですが、冬山が初めての方、お手軽に日帰りなどで雪の山を楽しみたい方にはおすすめの北横岳のご紹介でした。


ふと執筆途中に外を見ると、日なたの雪はすっかりありませんでした。

空気を吸いに家の外を歩いてみると、ひなあられのような蕾をたくさんつけた梅が、雪のヴェールを脱いで、ひなたぼっこ。
その枝先にちらほらと・・



昨日の雪を思わせるような純白の花をつけていました。



今にも開花しそうな真ん丸の蕾から少しのぞいた白い花びらが、たまらなく愛らしいです。

草木の中でいの一番に花をつけるといわれている梅、その移ろうさまは、まさに立春という言葉にふさわしいと感じます。

こうして、三寒四温で暖かい春に向かっていくのでしょう。
皆様も、まだ続く寒さと日中の寒暖差にお気をつけながらお過ごしください。

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2017年12月 3日 日曜日

いくたびも 雪の深さを 尋ねけり

師走に入りいよいよ寒さが本格的な冬の様相を呈している今日このころ、皆様いかがお過ごしでしょうか。
久々の更新になってしまいました、従業員の石井です。

さて、タイトルにしました冒頭の俳句、文学に精通している方はご存知かもしれませんが、その本歌の解釈とは少々異なった意味で用いらせていただきました。
といいますのも・・



こちらは、磐越道新潟方面途中、福島県の磐梯町にある磐梯山パーキングエリアの様子です。
関東地方在住の身としては考え難い積雪量となっていました・・


そう、高田造園は11月、手入れ行脚前今年度最後の造園工事で、福島県塩川町(会津や喜多方の近くですね)のお宅に訪ねていたのです。


材料を段取る都合で週に一度は千葉に帰るため、11月の後半は、現地の方に電話で積雪量を確認したり天気との闘いになりました。
とはいえ磐梯山のあたりは塩川町に比べ標高が高く現地の人も別世界というほどで、現場の積雪は数センチでしたが・・



さて、11月に入るころはこのような様子でしたが・・



一期工事終了後です。ほぼ同じ角度より。住宅を包み込む、新たな雑木のお庭が誕生しました。



生活同線の合間を縫うように設けられた木立は、施工当初からすでに家屋と馴染むような雰囲気を感じさせます。





主庭全体。既存の松も雑木になじむよう手入れをして、庭に溶け込ませます。

細かい仕上げは来年の春、二期工事で行い、本格的な完成を迎えます。
寒さを気遣っていただき温かいお茶やお茶菓子を出していただいたお施主様、年末の忙しい中ご協力いただいた方々、ありがとうございました。




そして、暮れは手入れ行脚に回ります。写真は施工後十年近くの時間が経過した千葉のお宅の手入れ後の様子です。
やわらかい苔の乗った地表と木々の幹の逞しさ、秋に色づく葉っぱと差し込む日の光がお庭に静謐な空気をもたらしているようです。

手入れのこの時期は、一年に一度か二度しかない、作庭させていただいたお宅に訪ねられる、貴重な時期です。

お施主様のお話や成長した木々の様子を伺えるこの瞬間々々をたいせつにして、残り一か月の今年を過ごしたいと思います。


残り少ない今年の最後に寒さで体調を崩さぬよう、皆様も心身ともに暖かくして毎日をお過ごしください・・
それでは皆さん、よいお年を!

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2017年10月29日 日曜日

千葉のラピュタ、鋸山に登ってきました。

秋もすっかり深まるはずが、十月末の季節はずれの長雨に、
台風に悩まされがちの今日この頃、
皆様はいかがお過ごしでしょうか。

スタッフの松下です。

前回に引き続き、今回は仕事とは別で休日に出かけました
千葉の地のご紹介をさせていただきます。




ここは9月上旬に登ってきました、千葉県房総半島南部、
安房郡鋸南町と富津市の境にある鋸山です。


千葉県は、平野と丘陵が県の大半を占めており、
海抜500m以上の山がない日本で唯一の県です。

そのため急な流れの川や、大きな川が少ないのが特徴で、
県内を流れる利根川などは他県から流れてきています。

千葉県最高峰の山は愛宕山で標高はなんと408mです。

今回登山してきました鋸山も標高329mと低い山ではありますが、
地質が第3紀中新世の頃海底に堆積した火山灰からできた凝灰岩からなる山で、

石材としても質が均一で、霜や雨にも強く火にも変化しない山頂付近の石と、
質が均一でなく火や水にも弱いが加工のしやすい中腹以下の石の2種類が採れ、

江戸時代から房州石と呼ばれ建築・土木材として利用されてきました。



寸単位で様々な大きさに加工され、適所に利用されています。
耐火・耐久性能や、木材との相性もよいことから用途は幅広いです。

江戸時代から行なわれてきた採掘は昭和60年代まで続けられており、
石切り場跡は今も現存しています。

何百年と石切が行われ続けた結果として、稜線付近の露出した岩肌が
遠目から見たときにノコギリの刃に見えることから、
鋸山と呼ばれるようになりました。



こちらは正確に言うと鋸山周辺にある別の山の写真ですが、
鋸山も山頂付近がこのように切り取られたイメージです。

全景は千葉と館山を結ぶ富津館山自動車道を館山方面へ走っていくと、
富津金谷インターと鋸南保田インター間で走行中に視界に飛び込んできます。

以前仕事で鋸南町のお宅にお邪魔した際に鋸山を知り、
また親方にも話を伺い今回登ってみた次第です。



登山口はいくつかあり、今回は「車力道」を選びました。

車力道は鋸山から切り出された房州石を運びおろした道で、
車力とは石を運び下ろした人達のことを言います。

1本80kgの房州石3本をねこ車と呼ばれる荷車に載せ、
ブレーキをかけながら引きづりおろしたそうです。

石を山麓や港で下ろすと石切場まではネコ車を担いで登ったそうです。
車力の仕事はこれを1日3往復だそうで、登山口から石切り場までは
今回の登山で1時間以上有しましたので想像を絶します。

しかもこの車力というのは主に女性の仕事だったというから驚愕です。

私自身も造園という力仕事に従事しておりますが、
いかに昔の方々の方が馬力があったかということに感嘆とさせられます。



ねこ車のタイヤはゴムタイヤではなく、
松の輪切り、車軸はカシというからまた驚きですが、
昔のことを考えると当たり前なのかもしれません。

N字状の縄掛けは安定する独特の縄掛けだそうで、
植木屋としても興味深い要素がたくさんあります。



案内看板に撮された明治期の写真だそうですが、
確かにねこ車を引いているのは女性です。

まさにこの車力道は当時の石切の繁栄と、
それを担った富津金谷の女性たちの息づかいが聞こえてくるようです。



緩やかな林の中を抜けていきます。

随所緩やかなところと急傾斜の繰り返しで、
岩間をくり貫いて道を通した切通しが車力道にもありました。



このような道をしばらく1時間ほど登るとあっさりと石切り場近くまで
行くことができました。

石切り場近くまで登ると山の中腹とは思えないような遺跡のような
大胆な岩の切通しの通路が出てきます。

ひだのあとの残るラインに沿って、
徐々に年数をかけて上部から切り下げてきたとはいえ、
人力で石切りツルを使って切り下げてきたと考えると
やはり昔の人の凄さを思い知らされます。



上を見上げるとまるで天空の城ラピュタの世界にきたようです。

そんな巨大な切通しの道を抜けてようやくたどり着くのが
石切場跡です。



まさに遺跡です。

こんなものがこんな山の中にあるとは到底下からは想像もつきませんでした。



この長年の石切によってできた断崖は垂直高最大96mにもなるそうです。

下から見上げるとすごい迫力です。



下の方には切り出した石の破片が多数積み上がって残されています。
下部は奥行がそこそこあるように見えました。

鋸山は褶曲構造の向斜になっているそうで、
良質な石材を求めて地層に沿って掘り進めてあるそうです。

また階段状に掘り残された跡は崩落防止のためでもあるそうです。



昭和20年当時の様子です。



機械化されチェーンソーが導入される昭和33年までは
ツルで作業されている様子が伺えます。



私自身造園業に携わっている身でありますが、
石材がどのようなところで、どのように加工されて出てきているのかを
あまり知らないまま来ておりましたので、
今回の登山で少し勉強させていただきました。

今後はより一つ一つの知識にも自分で足を運んで見て、
さらにその背景や歴史を知ることで、
知識一つ一つに奥深さの厚みを増していきたいと思いました。

自分の好奇心の赴くものには躊躇せずに飛び込み
より一つ一つの見聞きが自分の実体験として刻んでいけるよう
今後も1日1日大切に積み重ねて参りたいと思います。


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2017年9月18日 月曜日

夏と秋の交錯する今日この頃。旅の振り返り



9月に入ってからは30度を下回る日が続き、
蝉の鳴き声とともに秋の気配も感じられだした、
台風一過の空が広がる今日この頃。

皆様はどうお過ごしでしょうか。

高田造園設計事務所では、先々週鋸南富山にあります
お宅の工事を竣工させていただき、
先週からは別のお宅の住環境工事に着手させていただいております。

こちらはその敷地を囲う木柵施工の様子です。



土留と柱を立てこみ、見切りに石を据え付けた様子です。

柱には太鼓材を用い、自社で焼いたものを使っています。

太鼓材とは丸太を太鼓落としという、
丸太材の木口の長径を縦軸にし、

左右の丸みの背板を挽き落とし、
木口が太鼓を側面から見たような形状にした材です。

カラマツなどが用いられ、実際に持ってみると重く強度があります。



高田造園で以前からお世話になっている大工さん一行に来ていただき
柱立て込みから2日間という短時間で木柵が完成しました。



一緒に仕事させていただく中でやはり勉強になることが数多くあり、
ホゾを切って木材を合わせる技術、
現場に応じた終端の収め方など、
仕事をしながら色々と学ばせていただきました。

また今週以降、工事が進展していくにつれて現場の雰囲気が変わっていく様子が
楽しみです。


さて、話は少し遡りますが、高田造園では8月にお盆休みをいただき、
その休み期間中に関東近郊を散策してまいりましたので、
その旅行記を少し書かせていただきたいと思います。




ここは鎌倉市内にある切通しの一つ、亀ヶ谷坂(かめがやつざか)です。

鎌倉は一度仕事で赴き、周りの起伏に富んだ地形や山々に
興味が湧きましたので、このお盆休みに行ってきました。

鎌倉という地は、東西北の三方を山々で囲まれ、
南を海に面した土地であり、鎌倉への出入りには険しい峠を越える必要があり、
敵の攻撃を守る軍事的な要害の役割を果たしました。

そのために鎌倉へ出入りするために丘陵を切り開いて設けられたのが
切通しという道でした。

亀ヶ谷坂は建長寺の池の亀が引き返すほどの
勾配であったことに由来するものだそうですが、
現在はまっすぐにかつ緩やかに整備され、
その面影はありませんでした。

しかし、整備されてからも時間が経ち、苔むした感じが何とも言えぬ
雰囲気を醸し出していました。


ここを自転車で下りぬけ海蔵寺へと向かいます。



こちらは海蔵寺への道すがらたまたま見つけた、
畑奥の丘陵に掘ってあったやぐらと呼ばれる岩窟横穴式墳墓跡です。

鎌倉の至るところでこのやぐらと呼ばれる洞穴は確認できます。

やぐらは、鎌倉という平地の少ない土地の人口が当時急激に増加ししたことで、
墓地の場所が都市部に確保できなかったり、
奈良京都からの石工を含んだ職人集団が進出してきたことを背景に、
鎌倉中期から室町中期にかけて作られた納骨兼供養堂です。



海蔵寺の駐車場にも巨大なやぐらがありました。


また境内への道すがらにも穴が掘られた跡が確認できます。




海蔵寺の境内にもやぐらが多くあり、中には五輪塔や宝篋印塔などが置かれ、
おそらく遺骨を安置したであろう納骨穴が掘られています。






ただ鎌倉時代から800年という年月を経る中で水が湧き上がったのか、
穴の中は水が溜まっています。



水を導くために掘られたであろう溝もあり、
その後に掘られたのかは定かではありません。



こちらは、海蔵寺境内奥の切通しを抜けた場所にある十六井戸とよばれる
やぐらです。



縦横4×4合計16の地面に掘られた穴があり、
一般的なやぐらと同じであれば納骨穴ですが、
十六という数字は仏教の金剛界の四仏に、
それぞれ近しい仏様を4人ずつ配した十六大菩薩になぞらえたものとも言われ、
正確なことは分からないようです。

奥壁には観音菩薩像と弘法大師像が祀られています。




海蔵寺庭園は公開されていませんでしたが、
やぐら群の際から覗くことはできました。

さて、海蔵寺でやぐら群を堪能した後に、
地図上で見つけ気になったので、
化粧坂(けわいざか)切通しへ向かいました。



化粧坂切通しは、鎌倉時代末期、新田義貞本隊が鎌倉攻略のため
攻め入りましたが突破することができなかったという場所です。

この過酷な道を登り昔の乱世の武士たちがどのような思いで
攻防を繰り広げたのかと思いを馳せます。

マウンテンバイクを押して登ろうかと近くまで寄り付きましたが、
軽登山レベルの山道に泣く泣く引き返します。


そしてそのあとに一路向かったのが鎌倉東側にあります
瑞泉寺というお寺です。



瑞泉寺は嘉暦2年(1327年)、夢窓疎石を開山として創建した寺で、
本堂裏に庭園があり、岩盤を削って作られた禅宗様庭園で、
書院庭園の起源となったといわれています。

参道は良い感じで草、苔に覆われ、木々に抱かれるようにして
本堂へと続きます。

木々の隙間から差す優しい光が、何とも言えない心地よさを
醸し出してくれます。

本堂へと登る階段は途中で二つに分かれます。



作られた時代の異なる二つの階段があり、
左を男坂、右を女坂と呼ばれているようです。

男坂の後に女坂ができたようですが、
時代こそ異なれど、その二つの道が織り成す空間が絶妙で、
思わず足を止めてしまいます。

どちらの階段から登るか迷いましたが、
最終的にはそれぞれの階段を1往復してみました。

やはりどちらの景もそれぞれに良さがありましたので、
どちらがよかったとは言えません。

男坂に劣らぬ雰囲気が女坂にもありました。



女坂の下りです。

入口へ曲がり続いていく景色に杉の大木が
歴史を感じさせます。


そして、いよいよ本堂の方へ。



本道裏にあります、夢窓疎石の作庭による方丈書院の庭園です。






こちらにもやぐらが掘られており、庭の景を構成する一部となっています。
このやぐらでは修行僧が座禅を組んでいたとも言われています。

中の様子は目視でよく確認することはできませんでした。



今でこそ心字池があったりと庭の骨格が姿を現していますが、
この遺構は長らく埋もれていたらしく、
古図面と発掘調査の結果に基づいて、
1970年にほぼ創建当初の地割に従って復原したものなのだそうです。

そしてこの庭は、鎌倉に現存する鎌倉時代の唯一の庭園として
国の名勝にも指定されています。


今回鎌倉滞在は1日という行程ではありましたが、
鎌倉の歴史に少し触れることができ、
その土地を少し知ることができました。

また機会がありましたら、今回行くことのできなかった
鎌倉七口と呼ばれる切通しや、やぐら群を散策してみたいと思います。

稚拙な文章ではございますが、今回はこれで筆を置かせていただきたいと
思います。

季節の変わり目、皆様体調を崩されませぬよう、ご自愛くださいませ。




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