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2016年6月28日 火曜日

積み重ねる

高田造園スタッフブログをご覧の皆さん、梅雨敷きで天気も不安定の中、晴天時にはいよいよ暑さが夏を意識させる今日、いかがお過ごしでしょうか。社員の石井です。

私たち高田造園の最近はといいますと、出張が多く続いておりました。



こちらは先日竣工となりました、信州は上田の名所「鹿教湯温泉」、その温泉街に立地するお施主様のお庭です。現地の方の協力もあり、二週間足らずで完成となりました。
広大な敷地内にあった枝葉をしがらみとしたり石材を積み上げることで、台地状に造成された地形の法面に対して段を作って植栽スペースや園路を設けたお庭です。




そして、九州は長崎にも赴かせていただきました。写真は有明発のフェリーから見た景色となります。
現地で用意できない資材や道具、車両を運搬するため、車両ごとフェリーに乗り、九州は新門司港まで丸一日と半日かけて向います・・

造園工事としてはまだ樹木も一本も植わっていない状況ですので、写真は続報をお待ち下さいませ。



長崎出張からの帰りは、荷が軽くなったため高速道路での帰路となりましたが、その経由地として空いた時間運良く訪れ見学することができました京都の庭園についてご紹介したいと思います。



京都は嵯峨野、その美しさで有名な竹林を抜け、名園天龍寺を過ぎたあたりに、その庭園はあります。



「大河内山荘」です。
時代劇における当時の名俳優大河内傳次郎(1898-1962)が、百人一首で著名な小倉山の南面に、34歳であった昭和6年から64歳で逝去するまでの三十年の歳月をかけ、「消えることのない美」を求めてこつこつと創りあげた回遊式の借景庭園です。



最初に入館料(1000円)を入り口で支払い、サービスのお抹茶とお菓子をお抹茶席でいただいてから庭園を観賞することができます。
庭園の紹介と平面図が記載されたパンフレットには季節の写真が印刷された絵葉書が付属しており、拝観料を含めてもお得感のある料金体系となっています・・



順路の入り口でもある庭門



蹲もいい風情を出しています



門をくぐり、まず見えてくるのは、「大乗閣」です。
後に登場する建築物群の建てられた後、土地を買い足し構想10年、東の比叡山と西の嵐山との関係に着目した傳次郎が、数寄屋、書院、神殿、民家という日本の全住宅様式を網羅した建造物を数寄屋師・笛吹嘉一郎依頼し、戦争の悲しい時代を迎えつつも着工に踏み出し1941年に完成したものです。



それぞれの間の屋根の葺き方を変えることで様式の違いを表しつつもその様式を厳格に踏襲することはせず、それでいて一つの建物としてまとめ上げるところに、数寄屋師ならではの柔軟な姿勢が見える建築といえるでしょう。ちなみに茶室の間は国宝・如庵の忠実な写しとしています。嘉一郎が如庵の移築に関与していたからこそ可能だった建築といえますね。



大乗閣の濡縁からは嵐山と比叡山、そして古都の風光を感じることができます。
これを機に傳次郎は庭師・広瀬利兵衛とともに山荘の創作に明け暮れました。



視線を遮断、誘導されるかのような混垣や植栽に誘われてその先へ。



景色が広がりを見せたところに姿を現すのが、この敷地に最初に建てられた建造物、持仏堂です。傳次郎はこの小倉山の竹藪の奥に数百坪の土地を求め、関東大震災からの念願であった持仏堂を建てます。(1931年)
撮影の合間にここで念仏、瞑想し、静寂を得たことが、この山荘のすべての始まりだったのです。



その後また園路を歩きます。緩やかな斜面を登りながら絨毯のように美しい苔に導かれると・・



「滴水庵」です。
先述の持仏堂において仏と向き合う中で、(当時はフィルムの長期保存が難しく)映像が見た人に記憶にしか残らない映画芸術に「無常」を感じ始めた傳次郎は、当時親交のあった鹿王院の禅師・独檀和上より滴水禅師ゆかりの茶室を譲り受けます。(1932年)これがきっかけとなり、傳次郎は形に残る庭創りに芸術性を見出し、それにのめり込んでいきました。



精緻な軒内の作り込みが美しいです。



赤松と紅葉だけで作られたこの庭園は、後に建てられる大乗閣の習作となったようです。



そして、閉鎖的な園路を登り続けると・・



あらわれた四阿から、京都の街並みとそれを囲う山々、その盆地の様相が一望できるのです。
視線を隠し続けてのこの演出には、桂離宮に似たものを感じます。



下りの園路も景趣に富んでいて美しいです。



最後は大河内傳次郎の関連品が収められている記念館を拝見して、この庭園を後にしました。


私は一般的なイメージの「日本庭園」というものが高校時代から大好きで、京都の日本庭園も期を見つけては見学に赴いていたのですが、中でもこの大河内山荘と修学院離宮は非常に大好きです。

人それぞれ、庭園の好き嫌いの評価は分かれることと思いますが、私は「その庭園にどれだけ施主の命が入り込んでいるか」一つの評価基準にしています。
当時大スターだった傳次郎の出演に関する収入がほとんどこの庭園に詰め込まれている上、逝去するまで自ら庭づくりに携わり続けたその30年という積み重ねられた歳月が、その熱量を物語っていると思うのです。

お庭という空間は、そこに住まう、かかわるいのちに心を配るものでなくてはならないと思いたいのです。そのためには植木屋見習いたる者、施主の方が望んでいることは勿論、施主自身がわからないほどの、深層心理のような部分で望んでいたことすらも反映できるように精進しなくてはと改めて思い直した次第です。


それを思わせてくれた、この稀代の名園の施主であり作り手である大河内傳次郎の、自身の人柄を表すような、造園のみならずすべての「職」に通ずるといえる言葉でもって、今回のブログを終わらせていただきたいと思います。




「芸の上手いといふも下手といふも、ほんの僅かの差である。
その差は決して技巧の差ではない。
その人の人柄からくる無技巧の差である。」



有難うございました。

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2016年6月13日 月曜日

「不思議なクニの憲法」上映会のお知らせ

高田造園設計事務所スタッフブログをご覧いただいている皆様、いつもありがとうございます。社員の石井です。
今回は、7月3日の日曜日に当社所有の千葉市内ダーチャフィールドにて映画の上映会を行いますので告知させていただきたいと思います。

参院選を間近に控えたこの時期、憲法改正に対して様々な議論が行われていますが、そもそも私たちの暮らしの基盤ともいえる日本国憲法とはどのようなものなのでしょうか。
私たちは、どの程度この憲法の事を理解しているといえるのでしょうか。
今だからこそ、それを改めて学び、考えるいい機会なのではないかと思います。

会場の都合上人数に限りはございますが、多くの方のご来場をお待ちしております。



(クリックで拡大します)



<日時>
7月3日(日)

13:00 受付開始
13:30 上映
15:30 上映終了、休憩
15:40 茶話会
16:30 閉会(お時間に余裕のある方は終了後もごゆっくりお過ごしください。ご希望がございましたらダーチャフィールドの案内をいたします)
*お子様連れ大歓迎(託児はありません)

<参加費>
1000円 *今度が初選挙の人と18歳以下の方は無料になります。

<定員>
30名

<お申し込み・お問い合わせ>
株式会社高田造園設計事務所
TEL:043-228-577
FAX:043-309-7203
mail:info@takadazouen.com

<主催>
よりみちカフェ

<共催>
株式会社高田造園設計事務所、cafeどんぐりの木

<会場>
高田造園ダーチャフィールド内の山小屋にて行います
住所:千葉市緑区高津戸405-6フジガーデン資材置き場向かい

お車でお越しの方:東金有料道路中野ICを降りてすぐの「中野IC前」信号右折、「土気小学校前」信号右折、2km程先の高津戸の森看板を右折、突当を右折しすぐの突当を右折(駐車場ございます)
電車でお越しの方:JR外房線土気駅北口を出て「土気小学校前」信号左へ、1.5km程の緑ヶ丘団地看板を超えた一方通行看板を右へ(20分程。事前に連絡を頂ければ車での送迎をいたします) 





「不思議なクニの憲法」声をあげる私たち

監督 松井久子

~憲法には「私はどう生きるべきか」が書いてある。~


この映画は、憲法論議が政治によって進められるのではなく、主権者である私たち国民の間に広がることを願ってつくられたものです。
国のかたちをきめる憲法に、誰もが当たり前に関心を持ち、正しい知識を得、そして理解を深めるために、歴史的事実を重んじながら「意見」よりも日常に根ざした「人びとの声」に耳を傾けます。
怒りや憎しみから出発する議論は広がっていきません。対立よりも冷静な選択をー。
私たち一人ひとりが個として大切にされる自由な社会を守りたい。

映画にメッセージがあるとすれば、その一点の「希い」のみです。

(公式ホームページより http://fushigina.jp/





●●●よりみちカフェとは●●●

気軽に参加できる学び合いの場です。

目標に向かってまっしぐらもいいけれど、毎日の暮らしは忙しいけれど、

たまのよりみちは日々の暮らしに彩りを添えてくれるはず。

お茶を飲みながらのひととき、自分とはちがう感性・考え方に、

小さな驚きや発見がきっとあります。よろしかったらご一緒しませんか?

●●●よりみちカフェ スタッフ一同●●●



よろしくお願いいたします。

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2016年6月13日 月曜日

鎌倉アルプス

 ブログをお楽しみの皆さんこんにちは、いよいよ関東でも先週の日曜日に梅雨入りした様で、晴れ間は続きますがじめじめした天気が過ごしづらい季節になってしまいました。
しばらく出張続きだったのでいまいち実感はわきませんでしたが今日は久々に朝からまとまった雨が降っていて、梅雨入りしたのをようやく実感する事ができました。
この季節油断しがちなのですが以外にも熱中症になりやすい季節なので皆さんもこまめな水分補給、塩分補給等体調管理にはお気をつけください。

さてこの時期見ごろを迎えるのがアジサイ、最近花が咲いているのをよく見かける様になり街中等でも多く見かける機会もあるのですが、出張も落ち着きせっかくの休みだったので久々に鎌倉に訪れてみました。
鎌倉には以前正月明けのブログでも紹介させて貰いましたが仕事でも良く行くので、たまに落ち着いた時に立ち寄ってみたくなる場所になり、又も鎌倉の内容になってしまいました。

前回は鎌倉山の大仏ハイキングコースを散策したのですが今回は鎌倉アルプスと呼ばれている天園ハイキングコースというのに挑戦してみました。

天園ハイキングコースは北鎌倉から徒歩10分位の建長寺もしくは明月院からスタートするのですが流石にこの時期に明月院は人気が高く、入場行列ができていた為建長寺からスタートする事にしました。



建長寺は関東最大規模の法堂を誇る神奈川県指定重要文化財で講堂(お経を講義する所)にあたる建物が有ります。
仏法を講義する場の法堂には天井に水墨画の龍や法人等を描きそれが法の雨を降らすと考えられて、特にここで拝観できる水墨画の雲竜図は京都にある建仁寺の双龍図の作者小泉敦作画伯によるもので、5本爪の雲竜図を拝観する事ができます。
中国から伝わる過程で3本爪と決められていた日本では、5本爪が見られるのは建仁寺、天龍寺、建長寺と貴重な雲竜図をここ建長寺では拝観する事ができます。



さて建長寺を過ぎるといよいよ鎌倉アルプスの麓に到着です。
到着と同時にしばらく急な階段がつづきますが切り通しの湿った岩盤に岩たばこが自生していて紫色の花がちょうど満開で普段お目にかからない植物を楽しむ事ができました。
ちなみにタバコという名前が付いていますがタバコに葉っぱが似ているのが名前の由来でイワタバコは若葉を食用として利用する事ができ胃もたれ、食欲不振、消化促進等、腎機能が低下しやすいこの時期から夏にかけて有りがたい薬効を持った植物なのです。



しばらく続く階段を登りきると又も起伏のある尾根を登り降りする事になります。



ハイキングコースという事ですが中にはロープを敷設している所もあり中々のコースでしたが時々自生している植物や小動物の声等が森林浴をさらに楽しいものへと変えてくれました。


ヤマユリ


ホタルブクロ


ヤブニッケイ

等の植物等が梅雨のじめじめした季節でも森の中で静かに咲いています。

途中花等に目を奪われながらも中々険しい道を登り下りして約4キロの道のり



ようやく辿りついたのは今回の終着点、瑞泉寺庭園です。





 瑞泉寺庭園は禅の庭を創造した事で有名になった夢想国師の作庭によるものです。


夢想国師は自然を愛好し行く先々で庭園を作っており、瑞泉寺以外でも有名な庭園として天龍寺、西芳寺等が特に代表作で主に鎌倉末から室町時代初期に活躍した人物です。
夢想国師は大自然の景勝地で臨済宗の僧侶として修行し富士山の見える眺望の良い所や渓流、滝等の水の景座禅の場としての洞窟等、ここ鎌倉の瑞泉寺でもその特徴が表れています。



中は非公開の為写真はうまく取れませんでしたが池の西側には2つの橋を渡り18曲がりに園路をたどると山頂に到達するとそこでまた大きな庭と出会います。鶴岡から鎌倉周囲の山並みが重なり遠くには箱根の山がかすみ、右手に霊峰富士が大きく裾を広げる足元には相模湾が自然の池をなした大借景庭園なのです。
現在はこの橋を渡った頂上へはいけませんが、岩盤を彫刻的手法によって庭園となした岩庭とも呼べるこの庭園は書院庭園の先駆けあり、鎌倉に残る唯一の庭園なのです。
天園ハイキングコースでは、山の合間から富士山や相模湖鎌倉の街並みが眺望できるところがあります。




鎌倉に訪れた際は夢想国師の創造した世界を探しにきてみてはいかがでしょうか。














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2016年5月 8日 日曜日

大宮、山登り、琳派

連休もあけて、日中の異様な蒸し暑さがいよいよ外仕事にはうっとうしく感じてくるこの頃、皆さまいかがお過ごしでしょうか。
高田造園の石井です。

作庭のお待ちいただいているお客様方には申し訳なく思いつつ、高田造園も五月の頭には連休をいただき、私も連休期間中は、普段の週末ではできない知識や経験を養う時間あるいは家族と過ごす時間として活用させていただいています。

今回のスタッフブログでは、(といってもやはり毎度同様の形式ですけれども、)連休期間中に訪れた場所を紹介させていただきます。



連休初日の五月一日は掃除や自炊の作りだめ、帰省の準備を行い、その荷物をもって五月二日、日本百名山が一つ大山の山塊のまた一つであり表丹沢最高峰の塔ノ岳と、そこから縦走ルートを経て鍋割山に赴きました。


登山途中、まばゆい程の新緑の雑木林

前回丹沢に赴いたときは大山を伊勢原市側から阿夫利神社経由で登山したため、今回は違うルートを、と思い、塔ノ岳に登山することにしました。
ルートは、大倉より「バカ尾根」と呼ばれるひたすらに長い尾根を登って、塔ノ岳山頂へ、そこから少し戻って金冷シの分岐点で鍋割山山頂へ縦走して、西山林道を経由した高低差の少ないルートで下山、という計画です。
駐車場が営業を開始する八時半を目安に現地へ赴き、いざ丹沢へ。


ビジターセンター付近にいた、人に慣れているツバメちゃん

今回は野鳥観察というのも一つ目的に定め、安物の双眼鏡を購入して、所持していた野鳥図鑑で少し予習して、それに付属していた鳴き声のCDを車でかけながら現地に赴いたのち登山したのですが、恥ずかしながら予習不足のため、大した成果は得られず...


山道入り口付近にあった釜場


開けたところから

丹沢に限った事ではないと思われますが、人工林の杉林を混交林にする働きが最近活発なようです。

晴れていたのですが、雲行き、が、怪しい...


その名の通りな、ヤブレガサ(以前のブログでもアップしたかもしれません)
大学時代にサークル活動で植栽したこともあって少し思い入れがあり、個人的に林床に見られるとうれしい植物のひとつです


ジュウニヒトエかなと思って近づいてみましたら、キランソウでしょうか


柔らかな樹形のハナイカダ。最近よくお客様の庭にも植えさせていただいています


根の下のキノコ型地形と谷

自然は風水の流れが激しい環境を自律的に整えようと谷を掘るようです。
雨から守られたキノコ型地形の下にはうっすら地苔が、なだらかな斜面になった谷の地表の落ち葉が根っこによって捕捉され、実生木がちらほら。


モミジの巨木と、植樹されたモミジのトンネルをくぐって、ひたすらに長い長い階段を振り返ります...まだまだ長いです...


一人寂しい登山中ずっと付き合ってくれていたスミレが、白色に

後ろを歩いていた元気なおばちゃん登山グループの先頭の方がおそらくこのスミレをみつけて、
「ちょっとヤダ見てこれ私みたいかわいいい」「白いスミレよお」
一人寂しい登山でしたが、声を出して笑いそうになりました。私もいくつになってもそのような感性(=センス・オブ・ワンダー、なのでしょうか...?)を持ちたいと思います。


長い長い尾根を登り続けると、標高を感じさせる植生、山肌になってきます
く、雲が...


そして、長い長い尾根を経て...

山頂に到達しました!...


山頂の周辺と、そこからの景色です!


雲が...すごい幻想的でした...




天気が良ければ富士山、相模湾が一望できるといわれるこの標高1490mの塔ノ岳の山頂からのこの日の景色は、少し歩かなければ目の前にある大きな山小屋の存在にすら気づけないほどでした...

そして来た道を戻り、鍋割山を目指します。


この縦走ルートは、美しいブナの原生林に囲まれながら山頂間を歩くことができます


頂上付近では、マメザクラでしょうか、スポーツドリンクをお酒代わりに、遅れた花見を楽しめました


そして、鍋割山頂です。例によって頂上からの眺めはご想像通りですので割愛します...


鍋割山頂の山小屋「鍋割山荘」
ここの...

鍋焼きうどんが名物らしいので、それを注文。評判通りのおいしさでした!


頂上のトイレは、微生物を嫌気発酵させるバイオトイレのようです


そして、西山林道経由で下山します。このルートは傾斜が穏やかで車が登れるほどの整備も進んでいるため、あまり山の多様な植生や地形が楽しめるわけではありませんが登りやすく、沢沿いを登っていくため水辺の特有の景色は楽しむことができるようです。


このような場所には、やはりフサザクラが似合いますね


ブラシの先のような可愛い白い花のウワミズザクラ

これよりさらに下っていくと、あとは緩やかにカーブするワンパターンな整備通を下ります。
様々な植物が新緑を広げるこの季節、中腹から山頂付近の雰囲気があまりに気持ちよくて、これ程山から下りたくないと思ったのも初めてでした。
登山は丹沢に始まり丹沢に終わる、という言葉があるそうですが、僕のような素人が楽しむ日帰り登山から、一泊以上の宿泊もできる西の丹沢の奥深さなど、本当にいい山塊だなと感じました。
今度は別の百名山を登るのも面白そうですが、丹沢の深い方にも行ってみたいなと感じました。




そして三日は家族と静岡へ。浜松は弁天島に昔母方のおばあちゃんが住んでおり、お墓参りや親戚の方へのご挨拶のついでに観光をしてきました。
東名高速からの足柄SAの道程などは、子供のころピックアップトラックで走った思い出のルートでもあり、昨年の三ケ日出張の際も通ってきたものでもあり、複雑な気分で浜松へ。


挨拶回りの際に撮影させていただいた、おばちゃん家の玄関先。突然の訪問だったためご挨拶だけしに来ましたという母に対し、
「ひさしぶりだにー寄ってきなさいよお茶位だすわよ、寄ってかないならなんかもってきなさいよこれソラマメと玉ねぎと...
あ!うなぎがあった!(このとき隣の親戚の方が保冷材と野菜を抱えてきてくださいました...)
もー畑まで行けばもっといい玉ねぎもあるでよーお茶位してきなさいよー」
会話までとっても有機的で、心温まります。


そして浜から海を臨んで、浜名湖ガーデンパークへ。ここは、2004年に行われた花博の会場跡地として整備された都市公園で、市民や行政がともに育てていく公園を目指して管理運営が行われていることが特徴です。


右に見えるのは展望台のきらめきタワー


登ってみると、園内や遠景が一望できます。少し終わりかけのネモフィラ花壇にかかれた絵もきれいです。


ただの展望台と侮って登ってみたら、園内の植物や構成を俯瞰して楽しめる高さを持ちながらも、眼下の人たちのしぐさや行動もわかる絶妙な高さに配置されていて、園内で一番感心させられた構造物でした。









国際庭園エリア。ここには、延べ10か国以上の庭園の様式(と思われます)が縮小されて再現されており、とてもユニークな空間になっています。
さすがに構造物に若干のチープさと植生の再現に限界を感じるところはありますが、それぞれのスペースに適度な目隠しを設けて高低差や小休止できるスペースを配することで空間ごとに落ち着けるスペースを造っています。
そしてその庭園同士の間に、周辺の環境ではめったに見られない品種物からありふれた原種系の植物等が科ごと等に固まって植えられたスペースがあり、植物の標本的なコーナーとしています。

連休期間中のイベントの不充実さなど、なかなかこれだけの箱全体の活かし方としては考える余地を残しているような公園でしたが、基本入場料無料でこれだけの植物や開放感のある芝生を楽しめる空間があるというのはそのような利用を主とする人にとってはありがたい場所になっていると感じました。



四日は、大宮は盆栽村で盆栽祭りへ。



ここ盆栽村は盆栽の歴史ある会社が多く存在することで有名で、五月の連休中には露店などに実生木や鋏、鉢などが売り出される盆栽祭りが毎年行われ、国内外問わず様々な観光客の方でにぎわいます。特に盆栽は今ドイツなど海外でも人気が高いそうです。

盆栽の、樹木を最小単位で管理するその手法は、鉢の用土の敷き方から水やりに至るまで、地球の営みの縮小系である、ともいわれます。雑木の庭は、庭単位でありいわば人間がその空間の中に入って自然を体感するため、スケール感や雰囲気の出し方に関していえば異なる点が多いですが、同じ樹木を扱う分野として共通する、勉強になる部分も多くあります。
会社の畑のどうせ育たない場所に生えた実生のモミジなどを移植して植えてみたりしてからというもの、盆栽という分野に少し興味が増し、また由緒ある盆栽の会社に大学時代の友人が就職していたため、その友人に挨拶も兼ねて、まつりに赴きました次第です。
一日では見切れないほどの露店やイベントが催されており、大変有意義な時間を過ごせました。有人の勤めているところで購入した鋏等を早く使ってみたいと高揚感が後を引きます。



恥ずかしながら、私の処女作です...。
畑の実生のモミジをポットに移して一年育てたところ、数センチしか育たなかったため、拾った朽木に赤玉土を入れ苔を張って植えなおしたところ、僅か二週間で、昨年の生長を上回る伸長を見せ、葉の状態も驚くほどよくなっています。
昨年度はポットに残土のような排水性の悪い土を詰めてしまったのが良くなかったのでしょう。
今回購入した道具や肥料などで、大切に育てていきたいと思います。
いろいろ教えた頂いた大学時代の友人に感謝です。


四日はそこから表参道に向かい、根津美術館へ。



根津美術館は、東武鉄道の経営でも名をはせた実業家であり、近代数寄屋でもある初代根津喜一郎のコレクションが展示されている美術館です。
元は長谷寺の土地と言われるこの場所の谷地形とそこからの湧水を存分に生かして作られた美術館、茶室や庭がありました。海外への美術品の流出を食い止めようと豪快に集めたコレクションを市民とともに楽しもうとしましたが志半ばで亡くなった初代の思いをついで、二代目が美術館を開館させるも、同年に起こった空襲によりここ近辺一帯は一度で灰に帰しています。(コレクションは疎開により無事)
焼け野原からの美術館及び庭園の再生に関しては、茶室の藤森豊、露地の風間宗丘が深くかかわっており、斑鳩庵などにおいては同じく近代数寄者の益田克徳などが関与しているなど、復興されたものとはいえ近代造園史を語るうえでは外せない庭園と言えるでしょう。また近年建設された展示館の建築は隈研吾が行っています。


庭園内の美術品もコレクション

この時期根津美術館と言えば、尾形光琳の燕子花図屏風が展示されるうえ庭園内にも燕子花が咲き誇ります。
東京出身でありながらこの時期の根津美術館とその庭に行ったことがなく、これまた恥ずかしながら、高田さんの元弟子の方や尊敬する庭師の方々から「琳派」(美術史における一つの流派)の話題が出た際あまりの無知さを露呈してしまったため、琳派の代表者の一人と言える光琳の絵が見れるとあって赴きました。


まずは庭園、メインの燕子花を
改修後の現在も高低差と流れを活かした庭園構成がとられています


流れに浮かぶ小舟(実物は写真で見る以上に小さいです)


井筒から湧水が


静寂な雰囲気に包まれた園内

雰囲気は、場所場所でいい場所もありますが...


かなりの木々に、枝枯れ等の跡が見られました。

表参道という大都会で周囲が開発の波から逃れられない、来客が多いなどの難しさから、木々にとって善い環境を保つことが難しいということは容易に推察されます。
高低差の土留めなども、通気排水に配慮しているとは言い難い方法で改修されていたり、根津喜一郎が好んだこの谷地形の恩恵に育まれた庭の精神性は、現代との兼ね合いの中でどう保ち続けていくのか、大変難しい課題でもあると感じました。


そして、本館へ。美術品は撮影が禁止されていますので端的に説明のみで紹介させていただきます。


前述したようにこの時期展示される国宝燕子花図屏風は尾形光琳の描いた屏風で、伊勢物語の一説、故郷を思う主人公がかきつばたの五文字を句に呼んだ場面に基づくと考えられています。
尾形光琳は、京都の呉服屋に生まれ、当初狩野派を学んだのち、俵谷宗達、本阿弥光悦の作品に出会い、その様式を確立させていきます。
琳派と言えば、前述した創始者として宗達、光悦、そして半世紀後にそれを見出し感銘を受ける尾形光琳、乾山兄弟、そしてさらに半世紀後に頭角を現す酒井抱一の三者が名高く、琳派の作品にみられる特徴としては、やまと絵の技法を基盤に、絵師ごとの解釈で大胆な構図やデフォルメされた植物や動物たちの絵としながらも、けっしてそのらしさは失われないというようなことが言えるのではないかと思います。精神性や背景としての特色を挙げるとすれば、同時代活躍した狩野派とは異なり、血統などに依存しない継承のされ方が特徴と言えるようです。創始者と言える宗達えお光琳が、光琳を抱一が、という様に、その間には半世紀ごとのスパンがありますが、各人が先人を見出し敬意を払うとともに行われる模写も、一つの特徴と言えるようです。三人の各人ごとに微妙に異なるニュアンスで書かれた風神雷神図屏風もあまりにも有名ですね。




大変に長くなってしまいましたが、連休期間は、様々な場所に訪れることができ、これまでの連休の中でも特に刺激的な連休を過ごすことができました。

盆栽にしろ庭にしろ琳派にしろ、そしてあるいは山登りにしろ、「自然」と「表現」は切っても切れない関係にあるようです。
見るからに自然環境の劣化がすすむ現代において、それはどのように活用されるべきなのか、エゴイズムと表現、必然性など、どこで折り合いをつけるのが良い造園なのか...
悩みは尽きませんが、この連休で得たものを糧にして、また精進していきたいと思います!



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2016年5月 5日 木曜日

縄文公園

ブログをお楽しみの皆様こんにちはゴールデンウィークはいかがお過ごしでしたでしょうか。
高田造園でも5月1日から休みが始まり早いもので5日の最終日を迎え早くも3日を経過してしまいました。
今回休日を満喫しながらもブログにあげる内容に迷いつつ今日を迎えてしまいました。
色々旅先の話等もしたいと思ったのですが今回は私の地元の加曾利貝塚公園の紹介をしたいと思います。



私の住む千葉市は縄文の遺跡の多い地域で千葉市を代表する加曾利貝塚公園以外にも荒屋敷貝塚、その他にも荒屋敷貝塚を中心とした貝塚が17遺跡もあります。
写真の赤い所が縄文遺跡の分布している所で特に千葉県の東京湾側に多く分布している事が解ります。



何故そのように千葉市が縄文遺跡の集中する場所であったのか、それは湾奥に位置していた千葉市は海退によって遺跡を移動していた。また当時玉川と利根川(当初現在の江戸川に流れていた)の2大河川から運ばれてきた堆積物が千葉市側に積もり遠浅の海の続くアサリ等の育ちやすい環境を自然に作っていたのだ。

現在ここ加曾利貝塚の側を流れる坂月側も縄文時代海抜が現在よりも10m高かった時代は大河川であり、東京湾からとれた貝等を運ぶ流路となっていた。



中でも私の地元にある加曾利貝塚公園は縄文時代を代表する国の遺跡として指定されており、現在約134.500㎡が保存公開されていて博物館を無料(1部有料)で見学する事が出来ます。
直径130mのドーナツ型に貝が積もった北貝塚と馬のひづめ型の南貝塚が一部で重なり8の字に見える日本で最も大きい貝塚で、北が主に5200年~4000年前、南が4400年~3200年前の縄文中期~後期にかけて栄えた貝塚です。



貝塚断面の保存施設では2m以上積もった貝の層を観察する事ができアサリやハマグリ、魚や動物の骨以外にも使われなくなった陶器等も発掘されています。
中でも興味深かったのは煮炊き用の縄文土器以外にも現在の急須の様な形の土器も発掘されていて主にお酒を楽しむ為の土器と思われるのですがその多岐にわたる土器の形やデザイン性にも驚かされるものがありました。



これはまた特別な時に使われたもので貝塚の中心部の広場で行われる祭り等の時に使われたと思われています。



お酒には主に野葡萄等が使われたと思われています。主に一回口で咀嚼してから発酵させて作ったのではないかと思われていて現在も味噌づくりで良く耳にする微生物による発酵に似ている様な気がしました。
人の手に付いている微生物によって発酵の仕方が変わる為、作る人によって味噌の味が変わる、縄文人のお酒も作る人によって味の違いを楽しんでいたのではないでしょうか。

貝塚の円周付近には多数建築後地が発掘されていて一部貝塚の中に住居跡地が見つかっています。



穴の後は柱が建っていた位置で何度も建て替えられている様子が伺えました。

また加曾利貝塚では縄文時代の縦穴式住居が復元されていて。その施設を無料で見学する事ができます。





穴を掘って柱を建て骨組を作るその上に土、カヤ等の屋根を葺いた建築は植物を利用して、編んだり組んだりするするだけの簡素なもので、我々現代の建築では薄れつつある植物材料の持つ有機的な居心地の良さを感じる事が出来ました。


現在も園内には緑や自然が多く残っています。復元とまではいきませんがクリやクルミ等縄文時代に利用されていたと思われる植物等が園内を潤わせています。千葉市にお立ち寄りの際もしくは千葉市にお住まいの方は当時の暮らしぶりに思いを馳せにきてみてはいかがでしょうか。

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