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| 「冬の京都 平安遺構と禅院庭園の旅」 (平成18年1月撮影) |
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冬の京都は一人旅が一番です。古都の庭めぐりはもう何十回目か忘れましたが、歴史の風を感じながらの庭めぐりには、何度訪れても新鮮な感動を心に刻むことが出来ます。
一人旅は絶好の思索の旅です。今回の旅で見た中で、印象的な庭園、遺構を紹介します。 |
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■平安遺構 大覚寺大沢池 名古曾滝跡 
「滝の音は 耐えて久しく成りぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ」
拾遺集に読まれた藤原公任の句はあまりにも有名です。
大沢池は平安時代初期の嵯峨天皇が造営した苑池で、この名古曾滝もその頃に組まれたものと考えられ、現存する日本最古の滝組と言われます。
三尊石組を中心にした滝跡、また近年発見された遣水跡が復原整備されました。
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■平安遺構 法金剛院 青女の滝跡 
妙心寺近くにたたずむ人足少ない静かな庭園、それが法金剛院庭園です。
現存する庭園は平安末期に造営された寝殿造り庭園の様相を見せ、青女の滝と呼ばれる巨石を用いた滝遺構は、1133年に完成されたと伝える記録が残っております。
この滝から遣水跡が園池に続きます。近年の発掘調査で全容が明らかになったこの庭園は平安往時の面影を今に伝える貴重な庭園です。 |
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■禅院庭園 南禅院の池泉庭 
亀山上皇ゆかりの地、南禅院は東山山畔の湧水を利用して造営された鎌倉時代の園池が元になった庭園遺構ですが、地割の一部に江戸期の改修の跡が感じられます。
写真は現存の方丈から見た、蓬莱島越しの滝の様子です。
一時期、夢窓国師が在住していたことから夢窓作庭説もありますが、証拠は何もありません。
夢窓の足跡からその自然観に対する伝説が膨らみ、その雰囲気から夢窓を連想させられる部分はあるようです。
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■禅院庭園 金地院方丈南庭
写真は江戸時代初期、小堀遠州設計の名園、金地院方丈南庭、鶴島石組の鶴首石周辺の景です。
全国に小堀遠州作という庭園は数多くありますが、多くは伝承に過ぎない中で、この庭には確かな記録が詳細に残っております。
当時、天下一の石組の名手と称された賢庭による石組は技術的にも大変優れ、全体構成から細部に至るまで大変見ごたえのある枯山水の名園です。 |
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■禅院庭園 円徳院の枯山水庭園
北政所ゆかりの地に、この円徳院庭園があります。北政所の死後、伏見城の庭を移築したと言われるこの庭は、桃山時代特有の力強い石組が圧倒的な迫力で書院に迫ります。
写真中央の豪快な石橋は鶴島の鶴首石を兼ねたもので、金地院庭園の鶴首石によく似た手法を感じます。
石組の迫力や面白さは写真ではなかなか伝えにくく、実際に見ることが最適です。
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■禅院庭園 酬恩庵方丈北庭の蓬莱石
酬恩庵方丈北庭は江戸時代初期の作庭で、写真左、枯滝石組上部にひときわ力強く聳える巨石は、中国神仙思想に登場する蓬莱山を表しています。
空中に際立って高く聳える蓬莱山、そして峻険な山中から流れ出す枯滝の表情。
方丈の周囲庭園においてこの部分に石組の力を集中し、広い南庭には一石も存在しないこの禅院庭園のあり方には、大徳寺大仙院を彷彿とさせます。
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■禅院庭園 智積院の池泉庭
東山山麓に位置する智積院は山畔を利用した池泉庭園で、江戸初期の作庭です。
写真の縁先手水鉢は有名な一文字型手水鉢で、このような手水越しに庭を見る細工も、江戸時代以降に見られる意匠です。
写真右奥の青石橋、枯滝石組や護岸石組みは優れ、変化ある池泉の景を見せておりますが、刈り込みの植栽がうるさく、この庭のよさを減じているように感じます。
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