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庭園紀行

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「近江・中部地方 古庭園石組みの旅」(平成17年2月)
■飛鳥時代の石組遺構 園城寺閼伽井屋脇 (平成17年2月撮影)
滋賀県大津市に天台寺門宗の総本山園城寺境内に霊泉があり、その覆屋は閼伽井屋(あかいや)と呼ばれ、これも国の重要文化財に指定されています。この霊泉は飛鳥時代、天智・天武・持統天皇の産湯に用いられたと伝えられます。
この石組遺構は閼伽井屋の脇にあり、飛鳥時代の石組として現存する唯一最古の庭園的石組遺構として非常に貴重な遺構です。迫力のある石組で中尊石(ちゅうぞんせき)と思われる立石などに飛鳥時代末期の手法が見られます。
 
■大和絵の世界 摩訶耶寺庭園の石組手法 (平成17年2月撮影)
静岡県引佐郡にある摩訶耶寺(まかやじ)には、知る人ぞ知る素晴らしい名園があります。昨年の夏に初めてこの庭を訪ねたときの感動が忘れられず、今回もまた立ち寄りました。山型の石を多用した柔らかで優美な石組造形は鎌倉時代中期以前の造形を作り出しています。護岸石組みの技法は、三尊石組(さんぞんいしぐみ)の添石(そえいし)を中尊石として更に2石の添石を接続させてゆく三尊石組の連続手法や、護岸石組みの上部に更に石組みして、護岸の奥行きを演出する2重護岸の技法も鎌倉期に始まりました。
作庭年代については平安末期、鎌倉中期、江戸初期と、様々な説がありますが、石組造形の技法から考えると、鎌倉時代までさかのぼっても不自然ではありません。桃山時代の石組が、中国の水墨山水画の影響を感じさせる縦の線を強調した力強い石組が主流であるのに対し、この庭園は穏やかな中に力強さを秘める、大和絵の影響を感じさせる、とても洗練された造形美を見せています。専門家の間では東日本一の名園と評価されるほどの造形ですが、やはり一般的にあまり知られていないことは大変残念に感じます。
 
■室町の名園 旧秀隣寺庭園遺構 (平成17年2月撮影)
秀逸な石組で名高い旧秀隣寺(きゅうしゅうりんじ)は、琵琶湖北西部、朽木村にあります。
一目見ようと早朝に琵琶湖東岸の彦根を出発し、雪の中を2時間程車を飛ばしてたどり着きました。雪の照りで写真の石組はよく見えませんが、鶴島羽石(つるじまはねいし)の奥のほうに、亀島に架けられた石橋が見えます。
この庭園は室町後期、都を追われた将軍足利義晴がこの地に逃れ住んだ際に作庭されたと考えられています。洗練された護岸石組みは慈照寺の池泉庭(ちせんてい)の作風を思わせ、立石と天平石(てんぺいせき)を巧みに組み合わせる、室町時代の洗練された技法が随所に見られます。またこの庭園は、非常に屈曲した地割(じわり)の線が特に優れたもので、写真では表せませんが非常に変化のある構成を創りだしています。ちなみにこの日の雪深は80センチでした。
 
■桃山の枯山水1 松尾神社 (平成17年2月撮影)
滋賀県八日市市に位置する松尾神社は、かつてこの地にあったと伝えられる尊勝寺の鎮守であったと考えられています。書院付属の座観式庭園(ざかんしきていえん)でありなから、庭正面にあるはずの建物はなく、鳥居をくぐって左側にいきなり迫力ある枯山水が目に飛び込みました。作庭年代は庭の様式や時代背景から、桃山時代初期の遺構と推測されます。鶴亀兼用の中島には豪快な石橋が架けられ、写真右奥の山裾にも須弥山(しゅみせん)様式の蓬莱(ほうらい)連山石組が組まれ、桃山時代特有の迫力ある豪快な集団石組みは、バランス的にも大変優れていました。私は桃山時代の石組みに、圧倒されるほどのパワーを感じます。信長上洛に伴う戦火で焼け落ちたとされる書院はその後再建されることもなく、この庭園遺構だけがひっそりと往時の庭園文化を伝えていました。
 
■桃山時代の枯山水2 長浜八幡宮
この写真は滋賀県長浜市に位置する長浜八幡宮の境内 放生池(ほうじょういけ)中島にある社殿脇の三尊石組式枯滝の造形です。
社殿は天正年間、秀吉の寄進によるもので、放生池の石組も当時のものと思われます。護岸石組みは2重3重に組まれ、中島には2石の豪快な自然石石橋が架けられています。池泉回遊式の小規模な庭園遺構ですが、随所に桃山時代の石組技法が見られます。これもまた、一般的にはあまり知られていない遺構のようです。

 
■彦根城の枯山水庭園 楽々園 (平成17年2月撮影)
江戸時代の雄藩名家であった彦根藩主、井伊家の居城彦根城には有名な2つの庭園があります。
池泉回遊式の玄宮園と枯山水式の楽々園です。築造は江戸時代初期の延宝年間ですが、庭園を座観するための書院は享保の改革の際に取り壊されました。現在の御殿は江戸後期の文化年間に建てられたものです。よい石組には、作者の生命力や意思が注入されているものです。今回の旅の中で、特に私は楽々園の枯山水に独面して、作者の生命を、強烈に感じました。まるでこの滝を流れ落ちる激流の音が聞こえてきそうです。
人の精神力や意思というものは300年以上の時を越えて、人の心を揺さぶります。写真は枯滝上部の主要部分で、最上部に切り立つ須弥山(しゅみせん)石、滝上には遠山石(えんざんせき)を中心に三尊石組(さんぞんいしぐみ)として、枯滝中段には高く石橋が架けられています。この造形は主に江戸期の水墨山水画式庭園によくみる手法で、ここではさらに石橋の橋添石(はしぞえいし)を極端に高く立てて、峻険な蓬莱連山の枯滝造形を生み出しています。
 
■青岸寺の築山枯山水 (平成17年2月撮影)
国の名勝に指定されているこの庭園のある青岸寺は、琵琶湖東岸の米原にあります。江戸時代初期、3世 興欣笑堂が悟りの世界をイメージしつつ、作庭した経緯を「築園記」という記録に残しています。作庭にあたり、自身が諸経の中から悟り得たという世界を一木一石に込め、非常にユニークな構成でつくりあげています。
大小36石には尊号を付し、写真では石組の最上部にわずかに見える三尊石には久遠実成尊(くおんじつじょうそん)との尊号を付しています。青岸寺の三尊石組の大きな特徴として、中尊石が脇石よりも前に据えられています。これは阿弥陀来迎(阿弥陀如来のお迎え)をイメージした据え方のようで、独特の珍しい意匠と言えます。また、枯山水では通常、流れや海などの水の景をデフォルメし、敷き砂利で表現することが多いのですが、ここでは一面の苔となっております。三尊石組は、写真中央部の苔の道、最奥に位置しており、中尊石、阿弥陀如来が観音、勢至の二菩薩を引き連れてこの苔の道を今にも下り下りてきそうな錯覚を覚えます。石組の造形を写真で説明することは非常に難しいと思いますが、実際の作庭に従事したのは、楽々園の作庭も担当した井伊家の家臣、香取氏で、石組技術的にも傑出しております。
 
■明治初期の石組造形名古屋城二の丸庭園南庭 (平成17年2月撮影)
この写真は名古屋城二の丸庭園の南庭枯山水で、明治時代初期のものです。名古屋城の庭園では、桃山時代に築造された大変豪快な北庭が有名です。しかし、石組の造形的には南庭の方にむしろ、北庭よりはるかに洗練された美を感じる人も多いことと思います。
この石組最奥の峻険な立石は高さ3m余りの遠山石、これを中心にして、1m余りの立石によって三尊を構成しています。滝落ちを表す水落石の上部に石橋が架かり、造形的には高い位置に横のラインを与えています。非常にバランスよく力強い見事な石組でした。名古屋城二の丸南庭以外にも東京都の靖国神社神池など、明治初期の作庭の中には石組造形の優れたものが残存しているようです。
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