お知らせ

2021年10月17日 日曜日

ご挨拶

はじめまして、2021年5月より高田造園で働かせていただいています髙嶋伊織と申します。

もうすぐ半年になりますがブログを書かせて頂くことになりました。
高田さんの著書『土中環境』に感銘を受け、実際に高田さんの下で修行させて頂く中で感じたこと等をお伝えさせていただきます。
何から書けばよいのかなかなか筆が進みませんが、今回は施工中の写真が多く残っている川崎市明長寺の雨落ち工事を紹介させていただこうと思います。

私は造園業界に入る以前は建築に携わっておりました。

建物に降ってくる雨水は排水させるという考えが通例となっている中でその考えとは全く逆の、水を捨てるのではなく大地にしみ込ませてその土地を潤わせ、涵養するという仕組みを作らせていただきました。
お寺などで建物に雨樋がなく溝に石を敷き詰めて雨水をはけさせる、という光景は目にしていましたが以前は土中環境の視点がなかったため、その雨水の行先は気にしていませんでした。
今となってはそのお寺の溝の石を剝がしてみて水が排水されているのか、浸透させているのか、がとても気になります(笑)。
そして浸透させていたとしても、その過程は高田造園の自然界への知恵と工夫と愛がつまった方法とはきっと違うのではと思います。

以下、工事の様子を記させていただきます。


まず雨のおちてくるラインに沿って溝を掘ります。





夏の暑い日で、世間ではオリンピックが開催されていました。高田造園では随時、掘リンピックを開催しています。


休みます。





溝の中にさらにダブルスコップで縦穴を掘り、さらにバール等で穴を深くしておきます。






穴に竹炭、もみ殻燻炭を入れそこにぐり石を小端立てに入れて隙間に落ち葉や枝葉を詰めます。







溝の底に竹炭を敷き詰めます。






下地の石として大谷石等を砕いたものを敷き詰め、竹炭、もみ殻燻炭、落ち葉を隙間に詰めます。






仕上げの石として浅間石を敷き詰めます。ここは通路となる予定なので足ざわりを確かめながら並べていきます。





最後の仕上げとして砕石、落ち葉、竹炭、燻炭をさらに撒き、敷き詰めて完成です。






地面を水が通る過程でこの石と落ち葉、炭、燻炭の層の中で微生物や小動物、菌類を育み、それらが生を営む中でその水を浄化します。
水は横にある弁天池に達しその土地で循環し、水と空気の巡りが促され、周りの木々も一体となって健やかな成育をできる気持ちの良い環境だと感じます。





以上、高田造園で行っている造作のほんの一部分ですがとても楽しい工事をさせていただきました。


一見、緑があって豊かな環境だと感じていた場所、あるいは日本という土地はおのずと何かしらの植物が生えてくるので自然が豊かだと自分では思っていました。
しかし、そのように見えていた中にも実際は水と空気の巡りが悪くなっている場所があるということに高田造園で働かせていただく中で気づかせていただきました。


「ただちに影響はありません。」最近時折耳に入るイメージの言葉ですが現代社会の象徴の一つだなあと最近感じています。
現代文明の恩恵を受けて生活している私ですが、一見すると良く見えることでも、あるいは問題がないようにも思えることでも人間にとっては結果と原因を結び付けにくい数年から数十年に渡る長いタイムラグで、
後々に及んでくる影響が取返しのつかないことになりそうなものを私たちは多く抱えているのではないかと思います。
昨今の多発する災害や水害を目にして、その恩恵と引き換えにしたものが、じわりじわりと忍び足で近づいてきている、あるいはすでに地球はこの大地を私たち人間にとってはつらく痛々しい現象で粛々と自らを浄化しはじめているのかとも感じることがあります。

そのような中でも高田造園での日々ではその暴走する社会にブレーキをかけ方向転換をしようとする人々が多く交流し、また自分も実際に現場に立ち、明るい未来につながる今を経験をさせていただき、これからの自分が生きる上での大きな道しるべをいただいております。


自分は磐座を見ることが趣味の一つで神社、仏閣や山等に出かけたり、調べたりするのですがその中で時折、目にする話で思うことがありました。
空海が杖を一突きすると水が湧いてくる、といったような話は少し誇張はされているかもしれないが実際に風水を読める優れた人がそのような場所を示していたのではないか、また、昔の僧侶が暴れる龍を治めたというような話は僧が、治水工事をして土地を人が住みやすいようにしたということが時の経過と人々の言い伝えのなかで変化したものなのかなと、現場で大穴を掘って池を湧き出させたり、地形を読み取りその土地にとってやるべきことの指示を繰り出す高田さんには、そのような古の僧の姿が生き生きと甦ってくるような感覚をいただいています。



話は少しそれましたが、ありがたい貴重な日々をいただいている高田親方はじめ、お世話になっている関係する方々に改めてこの場を借りて感謝を申し上げさせていただきます。ありがとうございます。
未だ気付かないことや見えていないことが多く、未熟な私ですがこれからも高田造園での一日一日を大事に少しずつでも成長し精進していきたいと思います。よろしくお願いいたします。















投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | 記事URL

2021年4月 1日 木曜日

今までお世話になりました

みなさまこんにちは。

スタッフの松下です。

今回の投稿が、高田造園設計事務所での最後の仕事になります。


私事ですが、この度4年間勤めさせてもらった高田造園設計事務所を退職し、独立しました。

この場を借りて、私ごとを書かせていただける機会をいただけたことを感謝申し上げます。

私は4年前の2017年に入社し、今年まで4年間お世話になりました。

それまではごく一般的なやり方の造園業として8年、別の会社に勤務しました。

その8年の中で私は、「これからの雑木の庭」という雑誌で親方を知り、庭空間の写真を拝見し、その庭の空間構成に惹かれ、自分は将来このような空間を作れる造園家になりたいと思い、弟子入りしました。

親方の空間作りが好きで入らせてもらいましたが、入社してからは環境改善を交えた仕事、そのような現場に身を置いて作業を行い、その作業前後の様子を体感することで、樹木の配置などの空間構成にもまして大切なことに気づかせてもらいました。

私は独立したら、自分が手掛けていく空間は、そこに身を置く人にとって心から気持ちの良い、居心地が良いと感じてもらえる、そんな空間にしていきたいと思っていました。

今までは、それは木の配置であったり、石の配置であったり、陽の当たり方であったり、視覚から感じとれるもの、見た目から感じるものによって、決まっていくものだと思っていました。

ですが、高田造園で日々現場で体感を重ねると、その場に身を置くことで感じられる感覚的な気持ちの良さ、悪さの存在に気付くようになりました。

感覚的な心地良さ・悪さというのは、その場に身を置いていると、私達の視覚・嗅覚・触覚・聴覚・味覚が無意識に感じ取って、判断しているその空間から受ける印象です。

人は、その五感から受ける無意識の印象を総合して、その場を心地よい、悪いと判断しています。

鳥のさえずり、川の流れる音、虫の声、陽の光、葉の揺れる音、草の匂い、土のにおい、花の香り、落ち葉を踏みしめる音、花が舞い散る様。

このような自然からダイレクトに受けるメッセージのほか、

そこにいるとなんか暖かくてほっとする、

風が通り抜けると爽やかで気持ちが良い、

深呼吸すると空気が美味しい、

その場にいるとなんかワクワクする、

はぁと思わず声が漏れそうになる、

その土地がなんかしっとりと感じる。

「そんな時は大地が呼吸していて、植物・樹木・小動物・虫・菌類・微生物たちの生命の躍動を感じる。」

また逆に、

何となくこの場所にいると不快だ。

なんか嫌な感じがする。

なんか蒸し暑い。

ムッとする。

変な汗が出てくる。

乾いた感じがする。

荒れ地の感じがする。

地面がじゅくじゅくしている。

地面が底冷えしている。

など、

「そんな時は大地が詰まっていて、呼吸できないで喘いでいる。

苦しんでいる。

生命の躍動がほとんど感じ取れない。」


いつしか私もその空間に身を置くことで、そんな風に感じるようになりました。

環境改善の仕事を通して、その土地の呼吸を取り戻してやること。

つまり、その土地の、土中の水と空気の流れの滞り・詰まりを取り除いてやること。

様々な生命が育まれ、躍動し始める土台を取り戻してやること。


大地が呼吸し、すべての生命の躍動を感じ取れることが、詰まる所、人が無意識に感じている心地よさの源なので、今後はそれを自分の造園の核として取り組んでいこうと思う次第です。


風土工学の提唱者・佐佐木綱氏の景観十年風景百年風土千年―21世紀に遺す という著書のタイトルである、

 「 景観十年、 風景百年、 風土千年 」 という言葉があります。


著書を引用しますと、

〝「景観が損なわれる」という言葉を耳にすることが多いが、景観とは壊されるもので十年間以上は定着しないもの。
そして、壊されずに残るものが風景といえ、さらに、評価が定着すると風土になるという意味である。

どこの地域でも新しい景観を造れば最初を良いなぁと思われるだろうが、その地域の個性というものを把握し、その個性に適した景観でないかぎり、その景観は色褪せてきて風景として後世に残ることは不可能だろう。百年残ってはじめて風景としての独自性を有することになるであろう。
風土が形成されるためには、風景よりも長い千年近くの年月を要するだろう。何世代にもわたる住民たちの祈り、思い入れ、願いといったものが蓄積されなければならない。″

景観は、今現在の私達の暮らしを反映するが、いずれ壊れゆくもの。

風景は、過去から今現在にかけての歳月を経て、その地域の独自性を帯びて、景色として定着したもの。

風土は、その土地の時間軸の中に、そこで生活を営む人々の歴史、文化が蓄積され、その心を読み取れるもの。

私達の日々の生活の営みが、いつしか時を経て、風土となり、そしてその土地に息づくことを考えながら、後世へと「景観」を「風景」として繋ぎ、育んでいかなくてはいけません。

そのためには単なる人間としてではなく、同じ大地の上で生きる全ての生き物の一つとして、生命の躍動に共奏していかなくてはいけません。

この地球に生きる造園家として、大地が息づき、生命のリズムが脈動する環境を作り出せるよう、更にはそれが私たち人間が感じる心地よさに繋がって、風景として残されていきますよう、精進していきたいと思います。

在籍中にお世話になったすべての方々に感謝、御礼申し上げて、これで最後とさせていただきます。

今まで本当にありがとうございました。


松下 智宏

投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | 記事URL

2019年10月 1日 火曜日

木々が護ってくれるもの

いつもスタッフブログをご覧いただいている皆様、お世話になっております。
高田造園の石井です。

皆様もすでにご存じのことと思いますが、先日、千葉県における観測史上最強風速の台風15号が甚大な被害を残しました。



台風が過ぎた翌日に会社に向かっても、いたる道路が電柱や建築物の倒壊、倒木などで交通機関は麻痺し、町は惨憺たる有様でした。
千葉市に構える弊社の資材置き場やダーチャフィールドなども倒木や数日の停電がありましたが、特に千葉南部では被害が甚大で、二週間以上の停電や断水、一万件以上の住居の屋根飛びや破損、ハウスの倒壊など・・農林業の損害は、東日本大震災を超えたと指摘されています。
現在ではほとんどの地域で停電や断水が解消されたようですが、未だ多くの地域で復旧活動が続いています。

中でも特に植木屋という職業柄か、倒木の悲惨さにどうしても目が行ってしまいます。
人工林のスギ林などが軒並み幹折れし、電線に引っかかっていたり道路を塞いでいたりという光景は、信じ難い光景でした。

いまだに、電線に引っかかったままの樹木が処理されていない道路も多々あります。





そのような状態が続いていますが・・高田造園のスタッフとして、強く訴えさせて頂きたいことがあります。


それは、「健全な木々が町に在ることがいかに重要であるか」ということです。



今回の台風における多くの倒木によって、住居や交通網に接する木々の安全性や千葉の人工林の問題点が様々なところで唱えられています。
確かに倒木によって多くの被害が出たことは事実であり、それによって苦しい思いをされた方々には大変恐縮な表現に聞こえてしまうかもしれませんが、これを一概に「木は危険だ」とし、生活圏から樹木を排除する風潮や論説が上がらないか、非常に心配しています。

木々は、目には見えないところで、確実に私たちの生活を穏やかなもの、健やかなものにしてくれています。

倒れている樹木が私達のライフラインを寸断している衝撃があまりにも大きくて、粘り強く根を張り続けた木々には一見目が行きませんが、それらの木がなければ、あの暴風は少しも緩和されず、より多くの住宅被害が出ていたであろうことが容易に想像できます。

もちろん、木が穏やかにしてくれるものは風だけではありません。

その樹冠は木陰を作り、蒸散を行うことによって、夏を涼めてくれます。

都心の激しいビル風やヒートアイランド現象を思い返していただければと思います。いかに建築物のみで構成された環境が、外空間の微気候を心地よくないものにしているでしょう。
まだ残暑が続いていますが、太陽照り付ける街では気づけば街路樹の木陰を求めて歩きますよね。

また、これこそ目には見えませんが、木の根っこは本当に偉大です。

樹木の根茎は、土壌、そしてその中にいる菌を捕まえて成長することで、その大地を強く安定させてゆきます。
地上部が折れたり切られても、樹木によっては最萌芽し、土地を支える根茎はそのままに、環境が再生されていきます。
そして、その樹木が枯れてしまっても、朽ちてゆく過程で、土の中に豊かな微生物環境、通気性が生まれ、次世代の樹木が成長するための最高のゆりかごになります。
これらの働きは、どれほど科学が発達しても、木の根によってしかできないものでしょう。

なればこそ、先人たちは、山を守り、家の周囲や通行路沿いに木を植えたものです。
ですが、それではただ木を増やせばいいかということではありません。
単一な地形や樹種のみによる効率最優先の植林では、今回の台風で多く倒木した人工林のような、強風や病気に弱い不健康な森になってしまいます。

その環境にあった地形を築き、樹種、根の多様性を見て植樹法を工夫することで、様々な生物環境も生まれ、健全な森林を育むことができます。
そのような森林は、膨大な雨水によっても、表土を流亡させることなくその土地で吸収して水を浄化し、清廉な水を河に還します。
健全かつ多様な生物環境を持つ森林が減少してゆけば、河川の洪水や土砂崩れなどの災害は増加する一方でしょう。

その土地に根差した持続性の高い暮らしというものは、その言葉通り、木々との共生なくしてはあり得ないのです。

この台風を機に、木を暮らしから益々遠ざけるのではなく、そこに暮らす人々も木々もお互いが健やかに暮らせるような住環境づくりが重視されてほしいと、強く強く願います。




弊社高田造園及びNPO法人地球守では、台風直後から支援物資の配達や伐採、屋根の応急補修の復興活動を行っています。

NPO法人地球守に復興活動支援活動費や物資を寄付してくださった方々
遠方からご協力頂いた造園の同志の方々
現地で快くご案内してくれたボランティアの方々
現状にご理解頂き造園工事をお待ち頂いているお客様

この場で私からもお礼を言わせていただければと思います。
皆様のお陰で私達も復興支援活動をすることができています。

私たちはこれからも継続的に復興を支援する活動を行っていきたいと思っています。
直接的な復興作業ももちろんですが、長期的な目線で、これから未来のためによりよい復興がなされるよう、
日本の自然環境と人々の暮らしを繋げてきた先人の智慧を発信してゆくような活動も、弊社の重要な役割かと思っています。



皆様の日々が健やかでありますように願って、今回の投稿を終わらせていただきます。








(文中に写真を挟めませんでしたので以下に最近の写真を一部添付します)


苗から育てた会社の木立はこの台風でもびくともせず。
私が入社から4年半で、大きさは三倍ほどになりました。


台風通過から6日後、富浦にて屋根応急補修のボランティアへ。


遠方にもかかわらず、高所作業用ゴンドラ、ブルーシートなどを用意してボランティアに協力してくださった、
福島の創苑代表の新さん、埼玉は中央園芸代表の押田さん。本当にありがとうございました。



富浦で活動から五日後、館山での補修へ。
屋根の上から見渡すとブルーシートのかかっていない屋根が珍しいくらいです。


そんな中、湾岸の方位に屋敷林を残しているこの平屋の古屋は、屋根の損害は見られませんでした。
わずかなスペースでも、この木々がどれだけの風を和らげてくれたのでしょうか。


投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | 記事URL

2019年4月30日 火曜日

気淑く風和ぐ晴天に

スタッフブログをご覧いただいている皆様、ご無沙汰しております。高田造園の石井です!

毎日の日差しを浴びて、植物たちが芽を吹かせ、緑を広げるこの時期・・
ぷっくりと膨らんだ冬芽が、待ち侘びた毎日の陽気に著しく成長してのびのびと花や葉を広げていくさまはもはや神々しく、植物に携わる職業の私達にとっては、植物たちから最も元気をもらえる時期といってもよいでしょう!自然と気持ちも高揚します!
そうです、今回は、もっとも生命力に身を輝かせるこの時期の草木たちについて、お話ししたいと思います!



身近な木々たちを改めて眺めたいと思い、休日にカメラを持って事務所へ。誰もいない昼の事務所はなかなかに新鮮です。
ほぼ毎日来てはいるものの、こうしてゆっくりじっくり、近くから遠くから植物たちを観察すると、仕事に追われ心身が忙しない時には気づくことのできない植物の姿を見、想いを馳せることができます。



事務所のお庭へ。庭門を一歩くぐるといきなり雑木林に足を踏み入れたかのよう。
ゆらゆら揺れる木漏れ日に照らされた草木たちが美しいです。



いつもお庭を見守ってくれているお地蔵さんも、心なしかいつもよりほくほくとした表情をしているような。



野点もできるようにと配された四阿。少し背伸びして屋根をみると・・



こんなところにきれいな苔が!この苔にとっては落ち葉降り積もる林床より多孔質の屋根材の上のほうが居心地がよかったのかもしれませんね。



クヌギの花柄や小枝の下から、苔も可愛い新芽を懸命に伸ばしています。



用事もないのに事務所に入って、窓から蹲踞を見ます。一番の特等席ですね。
手入れをほとんどしないためどんどん逞しくなった貫禄のあるクヌギの幹と、縫うように光を求めてさらりと横に流れるモミジの枝ぶりが相まって絶妙の景色。



お庭を出て、駐車場を挟んで向かい、僕が高田造園に来てから二年間住んでいた囲炉裏小屋・・(今は囲炉裏はありませんが・・)
すっかり新緑に抱かれて、吹き抜ける風が心地いいです。



囲炉裏小屋横に置かれたポット苗の、コナラの新芽。私たちが庭づくりで一番使う樹木です。
事務所に根付いている大きな成木のコナラはもう新芽を固まらせつつありますが、ポットに植えたばかりの苗はまだ芽を膨らませるのに必死。
私は、この新芽の出たばかりの時期のコナラの姿が一番愛おしいと感じます!



小さな新芽に広がる銀色のトライコーム(毛)が樹木全体にちりばめられる様相は、神秘的ですらあります。
コナラはほかの落葉樹に比較して若干芽吹きの時期が遅いです。
このふわふわの毛布のような毛に包まれているところから思うに、少し寒がり屋さんなのかもしれませんね。



倉庫横のこの木々たちは、私が入社した四年前は2mから2.5mほどの背丈でした。
サクラ、クヌギ、マテバシイ、シイノキが競い合い守りあい、もう倍以上に伸びている樹木も・・



この時期はコナラ以外でも新芽の観察が面白く、接写ばかりになってしまいますが・・
これは、今にも開きそうなマテバシイの新芽ですね。
若干赤みがかかった逞しいさまは、あれ、どこかで見た食べ物のような・・



こちらもよくお庭造りで使います、マテバシイと同じどんぐりの常緑樹、カシの新芽。
ちっちゃい葉っぱが赤ちゃんのようでほんとにかわいらしいです。
マテバシイやカシ、ベニカナメモチなど、特に常緑樹の新芽は赤いものが多いと感じます。これは、組織が軟弱な新芽を紫外線から守るため、それを吸収するカロチノイドやアントシアンなど赤や黄色、橙を発色する成分が新葉に多く含まれるからなんだそう。
コナラの新芽といい、その場で生きようと生態を適用させてゆく植物たちの進化の過程には、舌を巻きます。



冬芽から新芽が芽吹き、陽気とともに新緑を茂らせるこの時期は、さまざまな植物から生命力を感じられるポジティブな季節です。
田植えやお茶摘みの時期でもあり、農の始まる時期でもありますね。

平成最後の快晴の日に、いつもそばで見守ってくれている樹木たちとゆったり対話する時間を設けられたことは、とてもいいリフレッシュになりました。
皆様がこの投稿をご覧になっているころは、新年号である令和の時代が始まっていることと思います。

植物のみならず、鳥たちや虫たち、春に躍動する生命の息吹を感じながら、一つの節目に気持ちを新たに、また、日々を過ごしていきたいと思います。
それでも日によって寒暖差の激しいこの時期、皆様も令和の最初の連休中に体調を崩さぬようお気を付けください。
それでは。

投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | 記事URL

2019年3月31日 日曜日

土気山での休日時間。

東京では観測地点で桜が早くも満開となり、
近くでは鶯も鳴き始め、春の気配が感じられ出した今日この頃。
皆様はどうお過ごしでしょうか。



先日土気山ダーチャフィールドでは、皆様をお招きして
恒例行事となりました味噌仕込みを行いました。

今年は例年にも増して大豆20キロ分の味噌を仕込み、
すべてを杉樽にて仕込みを行いました。

昨年の仕込みは岩富ダーチャにて、
木桶とプラ樽の2通りで行いましたが、
やはり天然素材である木の通気や、
長年住み着いている菌の作用による違いなのでしょうか、
プラ樽で仕込んだ方は若干の酸っぱさを感じ、
同時期同じ場所で保管していたにも関わらず、
杉樽の方は酸っぱさなどはなく、
出汁なしでも味噌汁が美味しくいただける
お味噌に仕上がっていました。

そこで今回はプラ樽は使用せずすべてを杉樽で行いました。

イベントには多くの方にお集まりいただき、
久しぶりに行われた土気山のイベントも
暖かく和気あいあいとした雰囲気に包まれました。



今回はいつもにも増して多くの大豆を煮込んだり、
お昼のお米を炊き込んだり、
さらには料理の支度にも火が必要なため、
あらゆる場所で竈がフル稼働という状態で
進められていきました。

スタッフとしてご参加いただいた女性の方々にも
ご尽力いただき手際よく準備が進みました。


そして、今回はもう一つ、
長年愛されてきた茅葺きのバイオトイレが
建て替えられるという運びとなり、
使いやすさの面を考慮して
パブリックスペースから少し離れた奥へ
移設されることとなりました。



新設される場所は以前親方が小屋を立てようと
斜面際に石積みを行った場所であり、
石積みにより段差が維持され
高低差が生じた状態で長年維持され、
段丘状になっていることから、
そこの土地の土中環境としては水や空気が動いていて
素掘り穴のトイレの場所としても以前の場所よりも
微生物が活発に働きやすい場所と言えます。




茅が皆様の手によってはらりと剥ぎ取られ、
トイレは骨格だけとなりました。



私はこのトイレが出来た当初はまだおりませんでしたので
改めて見ますとこんな感じになっていたのかと
剪定した枝も使い方次第で活きてくるものだと実感させられます。

このあと解体された茅は畑をマルチングする材料として、
太枝は分解して施工時でもよく行われる枝葉のしがら組へと
使われていきます。

その場で役目を終えても自然材料であれば
造園の仕事においてはいくらでも使い回すことができ、
最後には土に、地球に還っていく。

地球上で私たちが生活の中で使っていくものは
できる限りこのように使い回し利用、循環させていくのが理想で、
先人たちが今までやってこられたことです。

科学技術の発展で便利なものは今の時代に溢れていますが、
プラスチックが世界各国で溢れて汚染されている状況で、
私たちがもう一度見直すべきはこのような自然素材、
地球に還っていくことのできる材料をいかに現代人の生活に
再び浸透させていくかだと感じます。

そして解体されたあとの骨組みのあとには、
素掘りの穴が出てきます。

踏み板を外し、皆様で中を汲み取りましたが、
全然嫌な臭いがありませんでした。

改めて微生物や炭の力の凄さに感心させられます。



また素掘りの穴の側面には菌糸が付着し白くなっている様子が
見受けられます。

施工時は直角にまっすぐ切り落とされているはずの穴が
今回くみ取りを行った時は下側がえぐれて丸くなっていました。

溜まった炭や有機物により、微生物が作用し
土の側面にも菌糸が張り巡らされ、土が柔らかくなり、
下部がえぐれていったのかもしれません。

そして今回は小さな虫が少なくあまり出てきませんでしたが、
実は一年半前にも仕事の中でこの場所の汲み取りを行っており、

その時も嫌な臭いは全然しなかったのですが、
さらにその時は汲み出した炭の中は、
ダンゴムシや見た目、直感で良さそうな小さな虫の住処となっていて
そこには新たなコロニーが誕生している、
そのような状態でした。

その時はひとりで汲み取りを行っていましたが、
トイレの汲み取りを行いながら一人それをまじまじと眺めながら
感動にも似た感情でその小さな虫たちの生活を見守るという、
傍から見ると少し危ない人(笑)だったと思います。

しかし、それぐらい興味深く惹きつけられる虫たちの住処として
成り立っていたのでした。

それから一年半が経ち、人間と同じく、
その場所の環境も何らかの変化が有り、
前にいた虫たちも引っ越していったのかもしれません。

このような今までには出会うことのなかった些細な自然の変化にも
少しずつですが目が向くようになり、
自分の意識も変化してきているように思います。



そして、作業は着々と進み、新たな場所で木材で骨組みができ、
その下には新たな素掘り穴が掘られ、その穴の中にはさらに
ダブルスコップで掘れる大きさの深さ5.60cmの縦穴を掘り、
竹炭を入れ、いつもながらの竹筒通気口を差し込んだ
枝つめを行いその穴の中でより分解が行われやすいよう
処置を施しました。

さらにその素掘り穴には炭を敷き均しました。

そして今後は用を足すごとに炭やウッドチップ、籾殻などを
撒いて蓄積してもらうことで
今回のように臭いの発生しないトイレとなっていきます。

今回はスタッフとしてなかなか忙しかったので、
トイレの施工の様子や、味噌仕込みの経過の様子を
写真に収めることができず
ご報告がここまでとなり申し訳ありません。



その代わりと言ってはなんですが、
私個人として先日土気のフィールドをお借りして
自分で同じく味噌を仕込んでみましたのでその様子を
少し載せてみたいと思います。

まずは炊事小屋の時計ストーブに羽釜をセットし、
前日から水に浸していた大豆を気長にコトコト4時間半ほど
煮込みました。

ガス火と違い、薪は火の調節が難しく
羽釜の真下に火元があるとすぐに温度が上がってしまい
何度も吹きこぼしました。

昔の人たちはこのような調理にも経験を通して
扱いを心得ておられたのでしょうか。

煮込み終わった大豆は潰す工程へと入っていきますが、
先日のイベントでは木臼と杵で潰しましたが、
今回は量もそれほど多くなかったのでビニール袋に入れて
手で潰していきました。



次に買ってきた生麹をボウルにあけ
塩を入れ混ぜ合わせました。



そこへ潰した大豆をいれ混ぜ合わせます。



途中で大豆の煮汁も混ぜ合わせ
耳たぶの柔らかさになるまで捏ねました。



終盤にもなると最初の色合いとも異なり、
すでに味噌感の漂う感じになってきました。

それを今度は団子状に丸め、樽へと投げつけます。



投げつけるのは隙間に空気が入らないようにするためです。



そして一段ごとに手で隙間を埋め樽に密着させます。



そして最後の団子を押して一体化させ、
上に塩をまぶし、ラップをかけ(和紙が手に入ればよかったのですが)
落し蓋をし、重し石を乗せ、以前仕込んだ皆さんの味噌と
一緒に置かせてもらいました。




そして仕込みが終わったあとはのんびりと
持参したコーヒーを薪で沸かしたお湯で淹れてみました。



普段の賑わいのある土気や
仕事の時の慌ただしく動くときの土気とは違い、
しんみりとした土気の炊事小屋でいただくコーヒーは
何とも言えない落ち着きのあるものでした。

ふと外を眺めると先日完成した新たなトイレが
これからの新たな風を感じさせてくれるのでした。







投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | 記事URL