石井

2017年12月 3日 日曜日

いくたびも 雪の深さを 尋ねけり

師走に入りいよいよ寒さが本格的な冬の様相を呈している今日このころ、皆様いかがお過ごしでしょうか。
久々の更新になってしまいました、従業員の石井です。

さて、タイトルにしました冒頭の俳句、文学に精通している方はご存知かもしれませんが、その本歌の解釈とは少々異なった意味で用いらせていただきました。
といいますのも・・



こちらは、磐越道新潟方面途中、福島県の磐梯町にある磐梯山パーキングエリアの様子です。
関東地方在住の身としては考え難い積雪量となっていました・・


そう、高田造園は11月、手入れ行脚前今年度最後の造園工事で、福島県塩川町(会津や喜多方の近くですね)のお宅に訪ねていたのです。


材料を段取る都合で週に一度は千葉に帰るため、11月の後半は、現地の方に電話で積雪量を確認したり天気との闘いになりました。
とはいえ磐梯山のあたりは塩川町に比べ標高が高く現地の人も別世界というほどで、現場の積雪は数センチでしたが・・



さて、11月に入るころはこのような様子でしたが・・



一期工事終了後です。ほぼ同じ角度より。住宅を包み込む、新たな雑木のお庭が誕生しました。



生活同線の合間を縫うように設けられた木立は、施工当初からすでに家屋と馴染むような雰囲気を感じさせます。





主庭全体。既存の松も雑木になじむよう手入れをして、庭に溶け込ませます。

細かい仕上げは来年の春、二期工事で行い、本格的な完成を迎えます。
寒さを気遣っていただき温かいお茶やお茶菓子を出していただいたお施主様、年末の忙しい中ご協力いただいた方々、ありがとうございました。




そして、暮れは手入れ行脚に回ります。写真は施工後十年近くの時間が経過した千葉のお宅の手入れ後の様子です。
やわらかい苔の乗った地表と木々の幹の逞しさ、秋に色づく葉っぱと差し込む日の光がお庭に静謐な空気をもたらしているようです。

手入れのこの時期は、一年に一度か二度しかない、作庭させていただいたお宅に訪ねられる、貴重な時期です。

お施主様のお話や成長した木々の様子を伺えるこの瞬間々々をたいせつにして、残り一か月の今年を過ごしたいと思います。


残り少ない今年の最後に寒さで体調を崩さぬよう、皆様も心身ともに暖かくして毎日をお過ごしください・・
それでは皆さん、よいお年を!

投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | 記事URL

2017年9月10日 日曜日

重陽の節句

朝夕の涼しさが明確に肌で感じられるようになってきたこの季節、皆様いかがお過ごしでしょうか。
ご無沙汰しております、社員の石井です。

さて、タイトルにさせていただきました重陽の節句、これは私がブログを書いている九月九日のことですね。
奇数である「陽」の数字の最大数が「重」なるため、このように呼ばれるようになったそう。

旧暦では一か月ほど先の時期にあるため、「菊の節句」、あるいは「栗の節句」とも。
菊を飾って鑑賞し、菊の花をお酒に浮かべ、魔を祓って長寿を願ったそうです。
五つある節句の一つである七夕などと比較してなんとなくなじみが薄いような気がするのは、新暦の九月九日が菊の開花期とずれてしまっているからでしょうか。

また、二十四節気では、この時期は「白露」。七十二候では「草露白し」というように、朝露が目立ち、朝夕の涼しさが際立つ時期ですね。



前述した旧暦はご存知「月の満ち欠け」をもとにして作られたものであることに対し、12か月の倍つまり15日ほどで切り替わる「二十四節気」とさらに三分割、つまり五日ごとの「七十二候」は、現在の暦と同じ太陽歴をもとにして作られていますから、昔から農耕などの目安に使われていたようです。数字で数えるだけではなく、季節の特徴を熟語や文章で、さらに事細かに感じることで、より季節と親密に生きていたのでしょうね。

そんな日本人の細やかな感性があらわされた七十二候、「草露白し」の一つ前の候は「禾物登る(こくものみのる)」。



まさに実った穀物が穂を垂らすその風景に包まれて、また一つ住まいのお庭が竣工しました。



鋸南町の田園風景を見下ろす立地に建てられたこのお住まいには、三世帯のご家族が和やかに暮らしていらっしゃいます。




南側のお庭。存在感のある既存樹木と連なっていくように考慮して、こちらにも木立を点在させます。



古材を用いて施工した物置小屋も景色に溶け込みます。



この小屋の屋根も、トタン屋根の縁に枝を挟み、もみ殻燻炭や炭を入れて軽量化した土壌を重ねチップで保護することで、将来的に土壌にあった草本が生育できるようにしています。



田園へ傾斜するのり面にも、地形に配慮した道を作ることで庭の一部とし、空間に連続性を持たせます。
近所のお子さんたちのいい遊び場にもなっているようです。



お施主さんにもいい意味で驚いていただけました。
田園沿いの舗装道路は車の通りも少ないので遊び場にもなりますし、また住まいの二階などからも目が通せるとあって、子供たちを安心して遊ばせることができるといっていただきました。
お子さんのお友達(まだ二歳で!)もここを精一杯の力で登って遊んでくれているようです。



このお宅は土手の縁に平地を作るように造成されていたため、植栽時には転圧された土壌にハンマドリルで縦穴を開け、土壌をほぐし、改良剤をすきこんでの植栽となりました。



そして、枝葉を用いてしがらみを作り、周囲の地面より一段高い木立を作ることで側面からの通気性、浸透性も寄与します。



植栽、マルチング後の表情。やがては通気性を十分に担保した落ち着いた土手に変化していくことでしょう。



玄関側の駐車場は、瓦チップ、ウッドチップを交互に敷きならすようにして通気、浸透性に配慮し、家側の主要な部分に木立を。


最初にアポイントメントをいただいてからはなんと四年弱の月日が経ってしまったようです...。
これほどお待ちいただきながらも最後には大変喜んでいただき、私たちも三世帯のご家族に喜んでいただけるお庭を携わることができて、とってもうれしかったです。庭師(見習い)冥利に尽きます。

これから、この住まいとお庭に囲まれたご家族がのびのび朗らかな暮らしを送られることを心より願いたく思います。
また、これからお庭のお手入れを通してその一端をサポートさせていただければ嬉しい限りです。
本当に、ありがとうございました。


これからの工事を、年単位でお待ちいただいているお客様、大変お待たせしております、もうしばしお待ちください。
現代に生きるお施主様方に求められる健やかな住環境とは何か、それを会社一同追求し続け、設計段階のプランを凌駕する住環境とライフスタイルをお客様に届けられるよう、日々精進していきたいと思う次第です。

白露、とはいえまだ残暑の激しい日もあります。涼しくなってきたことは喜ばしいですが、寒暖差の激しい季節は体調も変化しやすいということでもあります。
皆様も移り変わる季節に耳を傾けて心身への配慮をご考慮ください。
ありがとうございました。

投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | 記事URL

2017年5月14日 日曜日

立ちあがる夏

三寒四温を感じながら春を待った時期はとうに過ぎ去り、もはや梅雨をも追い越して姿を見せそうな夏の気配を日中の仕事中に感じるこの(千葉の)季節、皆様はいかがお過ごしでしょうか。
入社してから、まさに瞬きと呼べるような速さの二年が経過しました、社員の石井です。大変久しぶりの更新になってしまいました。

今回のブログは、一年ほど前と同様に五月の連休にて経験したことを書き連ねていきたいと思います。



今年のこの連休は、信州は木曽福島を訪ねました。冒頭の写真は御嶽山中腹(ロープウェイ終着所の飯森公園駅)より頂上を仰ぎ見た写真になります。
雪山です...。場所によってはひざ下まで残雪しています。

早くも訪れた猛暑に辟易しているかもしれないブログ読者の方々の視覚にまず訴えることで、体感的に少しでも涼やかになっていただけたらという試みです...。(冷涼な環境下でご覧の皆様すみません。)
また視覚的な試みといえば、私のブログは振り返ってみると毎回文章のボリュームが多すぎるので、今回は写真に対してのキャプション程度に文章を納めていきたいと思います...。




とにもかくにもまずは中央道で現地へ。関東の方は新緑が美しいですが...




信州に入り目的地付近のインターチェンジを降りたところ、桜吹雪が散っていました。
まだ満開に近いです。今回は関東で新緑、長野でお花見、御嶽山で雪遊びと時を遡っているような感覚になりました。




そして、木曽福島駅付近に到着。高田造園のワークショップでお世話になっている方のもとを訪ねました。
長野県の南西部に位置する木曽福島は、西に木曽御嶽山、東には中央アルプス・木曽駒ケ岳に挟まれており、街の中央を木曽川が流れています。(上写真の河川)
河川に張り出すような建物は、現地の方が「がけづくり」と呼んでいる作り方のものだそう。




かつて木曽福島は多くの旅人が歩いた中山道の中心部で、耳にしたことがあると思います「木曽路」とはこの近辺の道を指します。
江戸時代には江戸護衛のために設けられた四大関所のひとつがあるため宿場町としても高名です。




御嶽山は、標高3067mの独立峰であり、山岳信仰の山としても知られています。



今回の訪問の目的のひとつでもある、整備予定の古道を見学、案内していただきました。修験道に用いられたルートだそうです。
日が暮れたところで本日の予定は終了、温泉と旅館で季節の食事を頂き、翌日は二日目にして最終日です。



宿泊した宿の近くには御嶽信仰を広めた立役者の一人である覚明行者の霊神碑が在りました。
朝の一礼をし、車で御嶽神社に向かいます。



道すがら、御嶽湖に御嶽山が!くっきり写った姿と青空が絶景です。



本日最初の目的地、御嶽神社へ。写真に写るのは今回木曽福島をご案内していただいた方とその柴犬あっくん。
木曽福島の復興にも努められています。



ヒノキなど荘厳な雰囲気の針葉樹林内に設けられた石段を登ります。
樹木に詳しい方なら耳にしたことのある「木曽五木」という言葉は、江戸の繁栄に伴う過伐採により荒れた木曽の山を保護するため、尾張藩が指定した伐採禁止の五木(最初に指定されたヒノキ、アスナロ、ネズコ、コウヤマキ、サワラ)の事です。
興味深いのは、五木指定後、さらにクリ、マツ、ケヤキ、トチ、カツラ等をも伐採禁止とした事項。生産性が高く重宝された針葉樹のみならず落葉樹も保護することが、森林の多様性・健全性を維持するにあたって重要だと見抜いていたのでしょう。
その後木曽の山は美しさを取り戻し、現在に至っては木曽五木によって製作される木器が特産品となっています。また寒暖差の大きい気候が漆塗りに適していることから、木曽五木で作られた漆器も有名です。



長い石段を登りきり、里宮本殿拝殿に一礼。
本殿の写真は撮れませんでしたが、こちらはその周辺に見えるきりだった地層です。
地下水脈をたどってきたお水は最高においしい!



神社を出た後は、車で少し走り、清滝へ!
御嶽山はその急峻な地形、降雨と豊富な樹林帯が蓄える地下水等の理由から「滝の山」と呼ばれるほど。
この清滝と後述する新滝は御嶽教の行場としても使われていたため、今での滝行ができるように更衣室などが設置されています。



自然散策をしながら一尾根超えて、新滝へ。両方の滝とも、とにかく高い!(iphoneにてパノラマ撮影)



新滝は滝の裏側にも回れます。



このようなところにも霊神碑が。
御嶽山はいたるところに霊神碑があり、その光景はほかの山には見られない異彩さをも感じさせます。



この時期の信州と言えば、そばと山菜でしょう!ということでお蕎麦屋さんで昼食です。
山菜のやさしい苦みがしみて、冬にたまった毒素が抜けていく錯覚を覚えます...



その後は御嶽ロープウェイでパノラマを堪能。山を見上げれば冒頭の写真ですが、振り返れば乗鞍岳や穂高連峰、木曽駒ケ岳が望めます。



そして駆け足で開田高原へ。この急峻な山々の間にある高冷地では、馬に乗ってみたり...



最後に木曽福島に戻ってご挨拶をして、一泊二日の長野旅を終えました。
木曽の豊かな環境を尊敬する友人と考察しながら体験できたことはこれからの仕事に確実に返ってくるであろう収穫です。

ご案内してくれたきっこさん、その柴犬あっくん、有難うございました。

それでは、また次回でお会いしましょう。皆様も、水分補給を欠かさずお体に気を付けてお過ごしください。




投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | 記事URL

2016年8月 7日 日曜日

東司

題にもつけました東司(とうす)、御間中(おまなか)、樋殿(ひどの)、要処(ようじょ)・・・・

御不浄、手水場、雪隠(せっちん)、厠・・・・

お手洗い、WC(water closet)、化粧室、洗面所・・・・



最初は?な方も、雪隠あたりから、これらの用語が意味する共通の施設が頭に浮かんでくるのではないでしょうか。
そうです、これらの単語すべて、日本におけるトイレを意味する言葉なのです。

ちなみに題にもしました東司、これは主に曹洞宗などの寺院におけるお手洗いの呼び方として用いられています。(臨済宗では雪隠というそうですね)
東司は、七堂伽藍(伽藍づくりに欠かせない主要建物郡)のうちの一つに入っており、いかにお手洗いというものが重要ととらえられてきたかがお分かりになると思います。


もし万が一本ブログをご覧になりながらお食事されている方がいましたら申し訳ありません、そしてご挨拶もなしに執筆を始めてしまったことを重ねてお詫びします。
梅雨も明け炎天下の日差しが厳しく、いくら水を飲んでも汗として全て出て行ってしまうようなこの時期、皆様いかがお過ごしでしょうか、従業員の石井です。

冒頭からもご察し頂けますように、今回は、トイレの事について投稿させていただきます。

と、言いますのも・・・・



こちらは、8月6日に行った、NPO虹のかけ橋様の敷地内に作りましたバイオトイレです。

高田造園では、最近、バイオトイレづくりのワークショップが非常に多く、上記のみならず今年度すでに五つ以上のトイレづくりを行っています・・・



私たちの作るトイレは、土中に排泄物を還元させるバイオトイレです。通気浸透性に配慮した素掘りの穴の上に足場を渡し、最低限の風雨が防げる屋根を葺きます。
排泄後は炭や有機物を被せることで悪臭もせずハエもわきません。
土中の微生物の力で大半を分解させます。くみ取り穴を設けてはいますが、よほどの頻度でなければくみ取る必要がない程です。

どの時代でも必要だったトイレ、人間である以上生理的に不可欠な行為を、生活する自然環境に寄与する形で処理する、今回はそのイベント報告をしつつも、トイレについて少し考える回とさせていただきたく思います。
(バイオトイレデザイン事例集となりそうな今回です・・・・)




最近特にトイレづくりのワークショップが多いということでしたが、こちらは日付を少し遡りまして4月に造ったトイレになります。



家づくりの授業等でもお世話になっておりますおなじみ千葉県長生郡の千の葉学園において、感受性豊かな元気いっぱいの子供たちと造りました。
屋根材には竹を半割にしたものを交互にかぶせて、壁材にはシノダケを用いています。写真はその下準備の様子ですね。





そしてこちらは千葉県夷隅において自然農を行われている方々「風の谷ファーム」に施工中のもの。現在第四日曜日に拠点としている古民家周辺の環境改善連続講座を行っており、その一環として作りました。
構造は講座の際に作ったのですが、その後子供たちがつくった看板などがほほえましいです。



水脈環境の整備や皮むき間伐による健全な混交林の育成等も行っています。





そしてこちらは、山梨県北斗市、ダーチャ村推進に取り組んでいます、五風十雨農場にて施工したバイオトイレ作成途中の様子です。
こちらもワークショップとしてたくさんの方々、子どもたちと協力して進めさせていただきました。この施工の他にもダーチャ小屋の焼き杭基礎づくりと同時進行で行っています。
完成写真を撮り忘れてしまって申し訳ないのですが、焼き杭による構造と、板材による屋根葺き、針葉樹の樹皮による棟仕舞としています。



振り返ると山々を展望できる抜群のロケーションに、いよいよダーチャ村づくりが本格的に始動しました。





そしてこちらは冒頭でも紹介しました千葉県は館山、NPO虹のかけ橋様の敷地内にて施工中の様子です。



NPO虹のかけ橋は震災後に発足した団体で、被災地の子どもたちを、豊かな環境で思いっきり遊ばせたい、という思いで設立されました。
年に一度、子どもたちが遊びにやってくるようです。過去にインターナショナルスクールとして活用されていたこともあってか、集まるスタッフの方々もグローバルな方が多く・・・・
施工中や食事中には、英語と日本語が混じって飛び交うという今までにない雰囲気の楽しいイベントとなりました。
ランチにはバンブーをハーフにして、ヌードルをフォロウィングして頂きました。・・・・。



そしてこちらは現在施工中の事務所のバイオトイレです。壁材には建仁寺垣になどに用いる割竹を再利用し、屋根には波板の上に芝棟とする予定です。


様々なバイオトイレを紹介させていただきましたが、上記のバイオトイレは、事務所のものを除いてほとんど周囲の自然環境からとってきたものや、弊社の余りものの木材を用いており、材料費はほとんどかかっていません。

その場にあるものを用いて、しかもそれを用いたことによって環境がよりよくなるように採集し、最低限の機能を果たす構造を満たすように施工し、壊れたらまた補修する。
そのサイクルが、周囲の環境に根ざす、寄与することは考えるまでもないと思います。

私にとっての「庭」というものは、「心身が健全に生きていくために必要な空間」と捉えたい、とかんがえるようになりました。
突き詰めていくとそこには、ケの場であり、行為であり、しかし切り離せないトイレという空間があるかもしれないとも思うのです。
そのトイレが、現在のインフラ任せのものではなく、その場をよくするためのものにしていける、そしてそれに携われるいうことは、私の造園的な価値観にとってはこれほど光栄なこともないと感じています。

仕事もワークショップも、頑張っていきたいと思います。その中で生まれるこれからのご縁を楽しみにしつつ感謝して、今回の投稿を締めさせていただきたく思います。
有難うございました。











投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | 記事URL

2016年6月28日 火曜日

積み重ねる

高田造園スタッフブログをご覧の皆さん、梅雨敷きで天気も不安定の中、晴天時にはいよいよ暑さが夏を意識させる今日、いかがお過ごしでしょうか。社員の石井です。

私たち高田造園の最近はといいますと、出張が多く続いておりました。



こちらは先日竣工となりました、信州は上田の名所「鹿教湯温泉」、その温泉街に立地するお施主様のお庭です。現地の方の協力もあり、二週間足らずで完成となりました。
広大な敷地内にあった枝葉をしがらみとしたり石材を積み上げることで、台地状に造成された地形の法面に対して段を作って植栽スペースや園路を設けたお庭です。




そして、九州は長崎にも赴かせていただきました。写真は有明発のフェリーから見た景色となります。
現地で用意できない資材や道具、車両を運搬するため、車両ごとフェリーに乗り、九州は新門司港まで丸一日と半日かけて向います・・

造園工事としてはまだ樹木も一本も植わっていない状況ですので、写真は続報をお待ち下さいませ。



長崎出張からの帰りは、荷が軽くなったため高速道路での帰路となりましたが、その経由地として空いた時間運良く訪れ見学することができました京都の庭園についてご紹介したいと思います。



京都は嵯峨野、その美しさで有名な竹林を抜け、名園天龍寺を過ぎたあたりに、その庭園はあります。



「大河内山荘」です。
時代劇における当時の名俳優大河内傳次郎(1898-1962)が、百人一首で著名な小倉山の南面に、34歳であった昭和6年から64歳で逝去するまでの三十年の歳月をかけ、「消えることのない美」を求めてこつこつと創りあげた回遊式の借景庭園です。



最初に入館料(1000円)を入り口で支払い、サービスのお抹茶とお菓子をお抹茶席でいただいてから庭園を観賞することができます。
庭園の紹介と平面図が記載されたパンフレットには季節の写真が印刷された絵葉書が付属しており、拝観料を含めてもお得感のある料金体系となっています・・



順路の入り口でもある庭門



蹲もいい風情を出しています



門をくぐり、まず見えてくるのは、「大乗閣」です。
後に登場する建築物群の建てられた後、土地を買い足し構想10年、東の比叡山と西の嵐山との関係に着目した傳次郎が、数寄屋、書院、神殿、民家という日本の全住宅様式を網羅した建造物を数寄屋師・笛吹嘉一郎依頼し、戦争の悲しい時代を迎えつつも着工に踏み出し1941年に完成したものです。



それぞれの間の屋根の葺き方を変えることで様式の違いを表しつつもその様式を厳格に踏襲することはせず、それでいて一つの建物としてまとめ上げるところに、数寄屋師ならではの柔軟な姿勢が見える建築といえるでしょう。ちなみに茶室の間は国宝・如庵の忠実な写しとしています。嘉一郎が如庵の移築に関与していたからこそ可能だった建築といえますね。



大乗閣の濡縁からは嵐山と比叡山、そして古都の風光を感じることができます。
これを機に傳次郎は庭師・広瀬利兵衛とともに山荘の創作に明け暮れました。



視線を遮断、誘導されるかのような混垣や植栽に誘われてその先へ。



景色が広がりを見せたところに姿を現すのが、この敷地に最初に建てられた建造物、持仏堂です。傳次郎はこの小倉山の竹藪の奥に数百坪の土地を求め、関東大震災からの念願であった持仏堂を建てます。(1931年)
撮影の合間にここで念仏、瞑想し、静寂を得たことが、この山荘のすべての始まりだったのです。



その後また園路を歩きます。緩やかな斜面を登りながら絨毯のように美しい苔に導かれると・・



「滴水庵」です。
先述の持仏堂において仏と向き合う中で、(当時はフィルムの長期保存が難しく)映像が見た人に記憶にしか残らない映画芸術に「無常」を感じ始めた傳次郎は、当時親交のあった鹿王院の禅師・独檀和上より滴水禅師ゆかりの茶室を譲り受けます。(1932年)これがきっかけとなり、傳次郎は形に残る庭創りに芸術性を見出し、それにのめり込んでいきました。



精緻な軒内の作り込みが美しいです。



赤松と紅葉だけで作られたこの庭園は、後に建てられる大乗閣の習作となったようです。



そして、閉鎖的な園路を登り続けると・・



あらわれた四阿から、京都の街並みとそれを囲う山々、その盆地の様相が一望できるのです。
視線を隠し続けてのこの演出には、桂離宮に似たものを感じます。



下りの園路も景趣に富んでいて美しいです。



最後は大河内傳次郎の関連品が収められている記念館を拝見して、この庭園を後にしました。


私は一般的なイメージの「日本庭園」というものが高校時代から大好きで、京都の日本庭園も期を見つけては見学に赴いていたのですが、中でもこの大河内山荘と修学院離宮は非常に大好きです。

人それぞれ、庭園の好き嫌いの評価は分かれることと思いますが、私は「その庭園にどれだけ施主の命が入り込んでいるか」一つの評価基準にしています。
当時大スターだった傳次郎の出演に関する収入がほとんどこの庭園に詰め込まれている上、逝去するまで自ら庭づくりに携わり続けたその30年という積み重ねられた歳月が、その熱量を物語っていると思うのです。

お庭という空間は、そこに住まう、かかわるいのちに心を配るものでなくてはならないと思いたいのです。そのためには植木屋見習いたる者、施主の方が望んでいることは勿論、施主自身がわからないほどの、深層心理のような部分で望んでいたことすらも反映できるように精進しなくてはと改めて思い直した次第です。


それを思わせてくれた、この稀代の名園の施主であり作り手である大河内傳次郎の、自身の人柄を表すような、造園のみならずすべての「職」に通ずるといえる言葉でもって、今回のブログを終わらせていただきたいと思います。




「芸の上手いといふも下手といふも、ほんの僅かの差である。
その差は決して技巧の差ではない。
その人の人柄からくる無技巧の差である。」



有難うございました。

投稿者 株式会社高田造園設計事務所 | 記事URL