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2017年10月29日 日曜日

千葉のラピュタ、鋸山に登ってきました。

秋もすっかり深まるはずが、十月末の季節はずれの長雨に、
台風に悩まされがちの今日この頃、
皆様はいかがお過ごしでしょうか。

スタッフの松下です。

前回に引き続き、今回は仕事とは別で休日に出かけました
千葉の地のご紹介をさせていただきます。




ここは9月上旬に登ってきました、千葉県房総半島南部、
安房郡鋸南町と富津市の境にある鋸山です。


千葉県は、平野と丘陵が県の大半を占めており、
海抜500m以上の山がない日本で唯一の県です。

そのため急な流れの川や、大きな川が少ないのが特徴で、
県内を流れる利根川などは他県から流れてきています。

千葉県最高峰の山は愛宕山で標高はなんと408mです。

今回登山してきました鋸山も標高329mと低い山ではありますが、
地質が第3紀中新世の頃海底に堆積した火山灰からできた凝灰岩からなる山で、

石材としても質が均一で、霜や雨にも強く火にも変化しない山頂付近の石と、
質が均一でなく火や水にも弱いが加工のしやすい中腹以下の石の2種類が採れ、

江戸時代から房州石と呼ばれ建築・土木材として利用されてきました。



寸単位で様々な大きさに加工され、適所に利用されています。
耐火・耐久性能や、木材との相性もよいことから用途は幅広いです。

江戸時代から行なわれてきた採掘は昭和60年代まで続けられており、
石切り場跡は今も現存しています。

何百年と石切が行われ続けた結果として、稜線付近の露出した岩肌が
遠目から見たときにノコギリの刃に見えることから、
鋸山と呼ばれるようになりました。



こちらは正確に言うと鋸山周辺にある別の山の写真ですが、
鋸山も山頂付近がこのように切り取られたイメージです。

全景は千葉と館山を結ぶ富津館山自動車道を館山方面へ走っていくと、
富津金谷インターと鋸南保田インター間で走行中に視界に飛び込んできます。

以前仕事で鋸南町のお宅にお邪魔した際に鋸山を知り、
また親方にも話を伺い今回登ってみた次第です。



登山口はいくつかあり、今回は「車力道」を選びました。

車力道は鋸山から切り出された房州石を運びおろした道で、
車力とは石を運び下ろした人達のことを言います。

1本80kgの房州石3本をねこ車と呼ばれる荷車に載せ、
ブレーキをかけながら引きづりおろしたそうです。

石を山麓や港で下ろすと石切場まではネコ車を担いで登ったそうです。
車力の仕事はこれを1日3往復だそうで、登山口から石切り場までは
今回の登山で1時間以上有しましたので想像を絶します。

しかもこの車力というのは主に女性の仕事だったというから驚愕です。

私自身も造園という力仕事に従事しておりますが、
いかに昔の方々の方が馬力があったかということに感嘆とさせられます。



ねこ車のタイヤはゴムタイヤではなく、
松の輪切り、車軸はカシというからまた驚きですが、
昔のことを考えると当たり前なのかもしれません。

N字状の縄掛けは安定する独特の縄掛けだそうで、
植木屋としても興味深い要素がたくさんあります。



案内看板に撮された明治期の写真だそうですが、
確かにねこ車を引いているのは女性です。

まさにこの車力道は当時の石切の繁栄と、
それを担った富津金谷の女性たちの息づかいが聞こえてくるようです。



緩やかな林の中を抜けていきます。

随所緩やかなところと急傾斜の繰り返しで、
岩間をくり貫いて道を通した切通しが車力道にもありました。



このような道をしばらく1時間ほど登るとあっさりと石切り場近くまで
行くことができました。

石切り場近くまで登ると山の中腹とは思えないような遺跡のような
大胆な岩の切通しの通路が出てきます。

ひだのあとの残るラインに沿って、
徐々に年数をかけて上部から切り下げてきたとはいえ、
人力で石切りツルを使って切り下げてきたと考えると
やはり昔の人の凄さを思い知らされます。



上を見上げるとまるで天空の城ラピュタの世界にきたようです。

そんな巨大な切通しの道を抜けてようやくたどり着くのが
石切場跡です。



まさに遺跡です。

こんなものがこんな山の中にあるとは到底下からは想像もつきませんでした。



この長年の石切によってできた断崖は垂直高最大96mにもなるそうです。

下から見上げるとすごい迫力です。



下の方には切り出した石の破片が多数積み上がって残されています。
下部は奥行がそこそこあるように見えました。

鋸山は褶曲構造の向斜になっているそうで、
良質な石材を求めて地層に沿って掘り進めてあるそうです。

また階段状に掘り残された跡は崩落防止のためでもあるそうです。



昭和20年当時の様子です。



機械化されチェーンソーが導入される昭和33年までは
ツルで作業されている様子が伺えます。



私自身造園業に携わっている身でありますが、
石材がどのようなところで、どのように加工されて出てきているのかを
あまり知らないまま来ておりましたので、
今回の登山で少し勉強させていただきました。

今後はより一つ一つの知識にも自分で足を運んで見て、
さらにその背景や歴史を知ることで、
知識一つ一つに奥深さの厚みを増していきたいと思いました。

自分の好奇心の赴くものには躊躇せずに飛び込み
より一つ一つの見聞きが自分の実体験として刻んでいけるよう
今後も1日1日大切に積み重ねて参りたいと思います。


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2017年9月18日 月曜日

夏と秋の交錯する今日この頃。旅の振り返り



9月に入ってからは30度を下回る日が続き、
蝉の鳴き声とともに秋の気配も感じられだした、
台風一過の空が広がる今日この頃。

皆様はどうお過ごしでしょうか。

高田造園設計事務所では、先々週鋸南富山にあります
お宅の工事を竣工させていただき、
先週からは別のお宅の住環境工事に着手させていただいております。

こちらはその敷地を囲う木柵施工の様子です。



土留と柱を立てこみ、見切りに石を据え付けた様子です。

柱には太鼓材を用い、自社で焼いたものを使っています。

太鼓材とは丸太を太鼓落としという、
丸太材の木口の長径を縦軸にし、

左右の丸みの背板を挽き落とし、
木口が太鼓を側面から見たような形状にした材です。

カラマツなどが用いられ、実際に持ってみると重く強度があります。



高田造園で以前からお世話になっている大工さん一行に来ていただき
柱立て込みから2日間という短時間で木柵が完成しました。



一緒に仕事させていただく中でやはり勉強になることが数多くあり、
ホゾを切って木材を合わせる技術、
現場に応じた終端の収め方など、
仕事をしながら色々と学ばせていただきました。

また今週以降、工事が進展していくにつれて現場の雰囲気が変わっていく様子が
楽しみです。


さて、話は少し遡りますが、高田造園では8月にお盆休みをいただき、
その休み期間中に関東近郊を散策してまいりましたので、
その旅行記を少し書かせていただきたいと思います。




ここは鎌倉市内にある切通しの一つ、亀ヶ谷坂(かめがやつざか)です。

鎌倉は一度仕事で赴き、周りの起伏に富んだ地形や山々に
興味が湧きましたので、このお盆休みに行ってきました。

鎌倉という地は、東西北の三方を山々で囲まれ、
南を海に面した土地であり、鎌倉への出入りには険しい峠を越える必要があり、
敵の攻撃を守る軍事的な要害の役割を果たしました。

そのために鎌倉へ出入りするために丘陵を切り開いて設けられたのが
切通しという道でした。

亀ヶ谷坂は建長寺の池の亀が引き返すほどの
勾配であったことに由来するものだそうですが、
現在はまっすぐにかつ緩やかに整備され、
その面影はありませんでした。

しかし、整備されてからも時間が経ち、苔むした感じが何とも言えぬ
雰囲気を醸し出していました。


ここを自転車で下りぬけ海蔵寺へと向かいます。



こちらは海蔵寺への道すがらたまたま見つけた、
畑奥の丘陵に掘ってあったやぐらと呼ばれる岩窟横穴式墳墓跡です。

鎌倉の至るところでこのやぐらと呼ばれる洞穴は確認できます。

やぐらは、鎌倉という平地の少ない土地の人口が当時急激に増加ししたことで、
墓地の場所が都市部に確保できなかったり、
奈良京都からの石工を含んだ職人集団が進出してきたことを背景に、
鎌倉中期から室町中期にかけて作られた納骨兼供養堂です。



海蔵寺の駐車場にも巨大なやぐらがありました。


また境内への道すがらにも穴が掘られた跡が確認できます。




海蔵寺の境内にもやぐらが多くあり、中には五輪塔や宝篋印塔などが置かれ、
おそらく遺骨を安置したであろう納骨穴が掘られています。






ただ鎌倉時代から800年という年月を経る中で水が湧き上がったのか、
穴の中は水が溜まっています。



水を導くために掘られたであろう溝もあり、
その後に掘られたのかは定かではありません。



こちらは、海蔵寺境内奥の切通しを抜けた場所にある十六井戸とよばれる
やぐらです。



縦横4×4合計16の地面に掘られた穴があり、
一般的なやぐらと同じであれば納骨穴ですが、
十六という数字は仏教の金剛界の四仏に、
それぞれ近しい仏様を4人ずつ配した十六大菩薩になぞらえたものとも言われ、
正確なことは分からないようです。

奥壁には観音菩薩像と弘法大師像が祀られています。




海蔵寺庭園は公開されていませんでしたが、
やぐら群の際から覗くことはできました。

さて、海蔵寺でやぐら群を堪能した後に、
地図上で見つけ気になったので、
化粧坂(けわいざか)切通しへ向かいました。



化粧坂切通しは、鎌倉時代末期、新田義貞本隊が鎌倉攻略のため
攻め入りましたが突破することができなかったという場所です。

この過酷な道を登り昔の乱世の武士たちがどのような思いで
攻防を繰り広げたのかと思いを馳せます。

マウンテンバイクを押して登ろうかと近くまで寄り付きましたが、
軽登山レベルの山道に泣く泣く引き返します。


そしてそのあとに一路向かったのが鎌倉東側にあります
瑞泉寺というお寺です。



瑞泉寺は嘉暦2年(1327年)、夢窓疎石を開山として創建した寺で、
本堂裏に庭園があり、岩盤を削って作られた禅宗様庭園で、
書院庭園の起源となったといわれています。

参道は良い感じで草、苔に覆われ、木々に抱かれるようにして
本堂へと続きます。

木々の隙間から差す優しい光が、何とも言えない心地よさを
醸し出してくれます。

本堂へと登る階段は途中で二つに分かれます。



作られた時代の異なる二つの階段があり、
左を男坂、右を女坂と呼ばれているようです。

男坂の後に女坂ができたようですが、
時代こそ異なれど、その二つの道が織り成す空間が絶妙で、
思わず足を止めてしまいます。

どちらの階段から登るか迷いましたが、
最終的にはそれぞれの階段を1往復してみました。

やはりどちらの景もそれぞれに良さがありましたので、
どちらがよかったとは言えません。

男坂に劣らぬ雰囲気が女坂にもありました。



女坂の下りです。

入口へ曲がり続いていく景色に杉の大木が
歴史を感じさせます。


そして、いよいよ本堂の方へ。



本道裏にあります、夢窓疎石の作庭による方丈書院の庭園です。






こちらにもやぐらが掘られており、庭の景を構成する一部となっています。
このやぐらでは修行僧が座禅を組んでいたとも言われています。

中の様子は目視でよく確認することはできませんでした。



今でこそ心字池があったりと庭の骨格が姿を現していますが、
この遺構は長らく埋もれていたらしく、
古図面と発掘調査の結果に基づいて、
1970年にほぼ創建当初の地割に従って復原したものなのだそうです。

そしてこの庭は、鎌倉に現存する鎌倉時代の唯一の庭園として
国の名勝にも指定されています。


今回鎌倉滞在は1日という行程ではありましたが、
鎌倉の歴史に少し触れることができ、
その土地を少し知ることができました。

また機会がありましたら、今回行くことのできなかった
鎌倉七口と呼ばれる切通しや、やぐら群を散策してみたいと思います。

稚拙な文章ではございますが、今回はこれで筆を置かせていただきたいと
思います。

季節の変わり目、皆様体調を崩されませぬよう、ご自愛くださいませ。




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2017年9月10日 日曜日

重陽の節句

朝夕の涼しさが明確に肌で感じられるようになってきたこの季節、皆様いかがお過ごしでしょうか。
ご無沙汰しております、社員の石井です。

さて、タイトルにさせていただきました重陽の節句、これは私がブログを書いている九月九日のことですね。
奇数である「陽」の数字の最大数が「重」なるため、このように呼ばれるようになったそう。

旧暦では一か月ほど先の時期にあるため、「菊の節句」、あるいは「栗の節句」とも。
菊を飾って鑑賞し、菊の花をお酒に浮かべ、魔を祓って長寿を願ったそうです。
五つある節句の一つである七夕などと比較してなんとなくなじみが薄いような気がするのは、新暦の九月九日が菊の開花期とずれてしまっているからでしょうか。

また、二十四節気では、この時期は「白露」。七十二候では「草露白し」というように、朝露が目立ち、朝夕の涼しさが際立つ時期ですね。



前述した旧暦はご存知「月の満ち欠け」をもとにして作られたものであることに対し、12か月の倍つまり15日ほどで切り替わる「二十四節気」とさらに三分割、つまり五日ごとの「七十二候」は、現在の暦と同じ太陽歴をもとにして作られていますから、昔から農耕などの目安に使われていたようです。数字で数えるだけではなく、季節の特徴を熟語や文章で、さらに事細かに感じることで、より季節と親密に生きていたのでしょうね。

そんな日本人の細やかな感性があらわされた七十二候、「草露白し」の一つ前の候は「禾物登る(こくものみのる)」。



まさに実った穀物が穂を垂らすその風景に包まれて、また一つ住まいのお庭が竣工しました。



鋸南町の田園風景を見下ろす立地に建てられたこのお住まいには、三世帯のご家族が和やかに暮らしていらっしゃいます。




南側のお庭。存在感のある既存樹木と連なっていくように考慮して、こちらにも木立を点在させます。



古材を用いて施工した物置小屋も景色に溶け込みます。



この小屋の屋根も、トタン屋根の縁に枝を挟み、もみ殻燻炭や炭を入れて軽量化した土壌を重ねチップで保護することで、将来的に土壌にあった草本が生育できるようにしています。



田園へ傾斜するのり面にも、地形に配慮した道を作ることで庭の一部とし、空間に連続性を持たせます。
近所のお子さんたちのいい遊び場にもなっているようです。



お施主さんにもいい意味で驚いていただけました。
田園沿いの舗装道路は車の通りも少ないので遊び場にもなりますし、また住まいの二階などからも目が通せるとあって、子供たちを安心して遊ばせることができるといっていただきました。
お子さんのお友達(まだ二歳で!)もここを精一杯の力で登って遊んでくれているようです。



このお宅は土手の縁に平地を作るように造成されていたため、植栽時には転圧された土壌にハンマドリルで縦穴を開け、土壌をほぐし、改良剤をすきこんでの植栽となりました。



そして、枝葉を用いてしがらみを作り、周囲の地面より一段高い木立を作ることで側面からの通気性、浸透性も寄与します。



植栽、マルチング後の表情。やがては通気性を十分に担保した落ち着いた土手に変化していくことでしょう。



玄関側の駐車場は、瓦チップ、ウッドチップを交互に敷きならすようにして通気、浸透性に配慮し、家側の主要な部分に木立を。


最初にアポイントメントをいただいてからはなんと四年弱の月日が経ってしまったようです...。
これほどお待ちいただきながらも最後には大変喜んでいただき、私たちも三世帯のご家族に喜んでいただけるお庭を携わることができて、とってもうれしかったです。庭師(見習い)冥利に尽きます。

これから、この住まいとお庭に囲まれたご家族がのびのび朗らかな暮らしを送られることを心より願いたく思います。
また、これからお庭のお手入れを通してその一端をサポートさせていただければ嬉しい限りです。
本当に、ありがとうございました。


これからの工事を、年単位でお待ちいただいているお客様、大変お待たせしております、もうしばしお待ちください。
現代に生きるお施主様方に求められる健やかな住環境とは何か、それを会社一同追求し続け、設計段階のプランを凌駕する住環境とライフスタイルをお客様に届けられるよう、日々精進していきたいと思う次第です。

白露、とはいえまだ残暑の激しい日もあります。涼しくなってきたことは喜ばしいですが、寒暖差の激しい季節は体調も変化しやすいということでもあります。
皆様も移り変わる季節に耳を傾けて心身への配慮をご考慮ください。
ありがとうございました。

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2017年7月17日 月曜日

東京都内先日竣工のお庭

梅雨明け宣言もままならぬまま、関東では猛暑と呼べる日が続いております。

日中の日差しでさえもジリジリと焼けるような熱さを感じ、
半袖シャツで出かけると腕はもう真っ赤になるほどの日射です。

千葉で最初の夏を迎え、関西と変わらず日中は暑いと感じつつも、
夜は気温が下がり、風も涼しく、朝起きる時も爽快な涼気に包まれます。



ただ近年各地では雨の降り方も極端で、一昼夜で100ミリを超えたり、
朝は寒く、昼はものすごく暑いという今までの温帯の気候では
考えられないない気象状況に直面しています。

日本も徐々に亜熱帯化してきているとは聞いていましたが、
最近は身をもって実感せざるを得ない状況に感じます。

そんな変化の激しい気候の中、高田造園設計事務所でも
お客様のお宅へ手入れに工事に、順次お巡りしております。


こちらは先日竣工いたしました東京都江戸川区にあるK様邸の
住空間の様子です。



先日竣工したとは思えないほどの木々の木立がやさしく
その空間を包み込みます。

木々の間から差し込んでくる初夏の光も、眩しさを木々が受け止め、
緩やかに土へと運びます。



園路両側には植栽マウンドを配し、雑木林の中の小道を歩いているような
気分にさせてくれます。


庭奥にありますウッドデッキも木々に囲まれ、涼しげです。



こちらは着工日にとった一枚です。




この空間に木々が入れば、あっという間に緑あふれる瑞々しい空間へと
様変わりしていきます。




植栽マウンドにはマウンドごとに廻り縁に横溝を設け、
その地形の谷となる場所には縦穴を掘り、
地中の水の集まる場所を作ることで、
マウンド地下部の水の動きを作り出し、木だけでなく土も含めた全体が
健全に成長できるようにしていきます。




また、竣工時にもかかわらず、高木類にも一切支柱は施さず、
樹木の鉢を寄せあわせて植えることで、通気通水環境の整った条件下の樹木は
ある程度の時間でお互いの鉢の中に根を進出させ絡ませていきますので、
木々どうしがお互いを支えていってくれます。




庭の園路の途中に設けられた立水栓も
なんとも木々の谷間の渓谷のように
涼しげで良い感じです。



こちらも一般的な排水口への排水施工は行わず、
深い穴を掘り、使用した水が地面へと還元される蛇口です。


 

前庭の様子です。

玄関ポーチに至るまでの園路は深岩石を使用し、
落ち着きのある導きとなっています。

その後方にある木材で囲った植栽枡の周りにも縦穴通気通水改善を行っており、
将来は木々の根が土で極めた深岩石のアプローチの下側にまわり込み、
石は根に支えられる構造です。

セメントやモルタルなどの化学素材は
必要なところ以外は極力使用しません。

親方の話を伺っていると元々の日本の土木造作は、
木々や自然と一体化して長年支えられてきており、
昔の日本人はそのことをよく理解し、むやみに力で押さえ込まず
うまく自然の力を受け流しながら利用してきているのだなと
私も最近そのことに興味を抱き始めてきました。

もっと古人の知恵を学び、今の造園として生かさなければ
昨今の過酷な自然状況には対応できないと感じつつあります。


道路を車で走っていましても、無理に山を削り、
無理やりコンクリート擁壁で抑えられている山をよく見かけます。

高田造園でお世話になりだして、そういう物に対してより関心が向くと、
目撃するたびに何とも言えない気分になってしまいます。

豪雨のニュースで道路が、山諸共に崩れている映像を見るたびに
山は、自然は、今のやり方に警鐘をならしているように見えます。

ただ私たちも、高速道路の利便性などその恩恵に授かっていることは事実で、
この問題の答えは、今はまだ自分では分かりません。

ただひとつ言えることは、今の開発造成は土地や山があれば伐り開き、
人の思うがままにし、古人たちのように自然に畏敬を持ち、
人間も自然の中で生かされているという視点が欠落しているように思います。

先日土気のダーチャフィールドで行われましたイベントに参加されている
無邪気に走り回る子供たちを見ていていても、
肌で風を感じ、素足で土や草の感触を知り、鼻で季節の匂いを感じる。

そういう自然の中での感覚が大人になってからも
心地よさ、気持ちよさの感覚を養ってくれるように思います。

このような自分自身の人と自然への洞察を深めつつ、
人へも自然へも寛大な自分へと成長していけるよう
明日からも精進していきたいと思います。

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2017年6月21日 水曜日

昨年施工の庭空間の今年の現状。

今年は空梅雨かと思っていた矢先、
スコールのような強烈のような雨にも見舞われた今日この頃,,
皆様はどうお過ごしでしょうか。

高田造園設計事務所では、この時期は春の手入れにお伺いしながら
住空間作りにも一軒一軒丁寧に心を込めてお伺いしております。

そんな最近の事務所の現状をご報告したいと思います。



少し前にはなりますが、こちらは都内で昨年竣工しましたI様邸の
今年の様子です。

私は施工時はおりませんでしたので初めて伺いましたが、
植栽の様子や空間の雰囲気や居心地はとてもよく、
順調に庭が育っているような様子でした。



今回は特段お庭の手入れでお伺いしたというわけではなく、
庭の現状確認と、建築資料研究社から刊行されております庭誌の取材で
写真撮影等が行われるということで、
今回は親方に同行させていただきました。

そこは都内武蔵野の住宅街の中でありながら、
中に入るとそんなことを忘れてしまうような空間でした。







こちらは庭の中に設けられた庭の落ち葉を貯めておくストックヤードです。

庭の中ではこちらも周りに木々に溶け込んで景をなしています。



こちらは奥のウッドデッキテラスへと続く、石の園路と木々のトンネルです。
水を打たれた石が気持ちよさそうに木々に馴染んでいます。



木々に囲まれて午後の昼下がりの読書とうたた寝が
とても気持ちよさそうなテラスです。

樹木の下部、植栽マウンドの下草の間からは後から生えてきた草が
目を吹き始めていました。



高田造園では、この私たちが雑草と捉えてしまいがちな草も手入れでは
無闇やたらに抜いたりはしません。

背丈がある程度育って大きくなってきたものは鎌で庭の感じを読み取りながら
刈り取ります。

地際から刈るのではなく、その場に応じた刈高で残してやることで、
草を敵対するのではなく、あくまで庭の構成物の一員として扱います。

適度な高さで何度か刈って管理してやることで、
地下表土付近で細根を生やさせ、地上部の発育も穏やかにしていき、
次第にその草が落ち着く高さでおさめていきます。

草が後から生えてくるというのも、庭や住空間が育っていく過程であって、
そこで人間が草とともに付き合っていくことが大切なのだという考え方は、
高田造園にお世話になってから身に付いた感覚です。

庭の中でも小さな虫や野生の草、木々、目視で確認することのできない微生物が
共存しているのであり、
私たち人間もその一部としてそれらの生き物と向き合っていくべきなのだと
親方のもとで造園をやっていると気づかされます。

そう言った意味では今までの自分の造園や自然との向き合い方が
大きく変わってきています。

そういう感覚が少しずつではありますが、身に染みこんできているのは、
今後自分が造園に従事していく上では必ず役に立っていく感覚であると感じていますので、
日々仕事の中で自分の自然に対する感性を高めていき、
その場の情報を感性で読み取れる造園人になれるよう、
精進してまいりたいと思います。


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