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2016年2月29日 月曜日

輪となりて、環となりて、和となる

「土脉潤い起こる」土の中の水が流れ出すこの時期は新たな季節の始まりでもあります
大地に蓄えていたエネルギーが次々に地上へと放出されます

造園を初めて9年目私の手入れでの掃除は植栽した木々の根、下草、実生で生えてきた稚木、雑草、苔、表層にはびこる根、落ち葉、土、虫、鳥、地に這いながらこれらと同化して、会話をすることからはじまります

入ったばかりの頃は舐めるような掃除、落ち葉ひとつ残さず、際にたまった塵を手ぼうきで掃く、緊張感漂う親方のもと、こちらも緊張感のある仕上げを目指していました...
しかし最近は刹那的な清々しさではなく、内からくる心地良さ・安らぎとは何かについて考えながら庭掃除をすることが多くなった気がします

それは自分がまだ人と自然との"あるべきよう"を探しているから、大いなる自然が見せてくれる奇跡やメッセージを今の自分でしか理解することが出来ないもどかしさからくるものです...

久々に手入れに訪れたのは流山市にある保育園
竣工して数年、3.11東日本大震災がおこりました、放射能除去のため表層の土を削るという処理をされ、園内の駐車場は枕木からアスファルトへと改修されました
当時まだ細かった木々は着実に太く・大きくなりつつあります
どんな状況にも適応し、生長する木にただただ感動しつつも、従来の植栽・管理・掃除について思いを巡らせ、今の私たちができるこれからに繋がることをやらせていただきました...

樹木の剪定は、人・車・建物・樹木それぞれの生息・行動スペースに配慮した最低限のものにし、仕上げである表層の掃除は雑草は抜かずに刈り、地表の通気を促します。
落ち葉は残し腐葉土へと遷移をさせ土壌の浅い部分を這う樹木の呼吸層(水・空気とのバランスが良い層:A0層)、たくさんのバクテリア、菌類、微生物、土中小動物の生息域として維持していきます

この表層であるA0層、地圏(大地)と気圏(空気)そして地圏と水圏(水脈)この縦の線と横の線の交わりこそ私たちがまだ考えも及ばない希望が詰まっているはず...
そんなことを考えながら地に這い作業をします

震災時、雨樋や落ち葉は放射線量が高いからと前述のように表層を機械でさらう処理がなされました
しかし、なぜこの落ち葉、土化しかけた腐葉土に集中していたのだろう...
雨や空気中のものが飛来するのは当然なのですが、そもそも重力があって我々は土に足をつける、ありとあらゆる物質は重力がある限り土につき安定する...

1945年長崎・広島原爆投下全てのものが一瞬にして炭化し、多くを失ったあの日
たくさんの放射能、放射性物質が地上に降り注ぎ今もなお多くの傷跡を残します
原子爆弾を開発したアメリカの物理学者の多くは、被爆地は50年~100年は不毛の地となり、植物が一切生えないであろうと推測していました
ところが半年後、被爆した大地には雑草が生え、さらに数か月後には草花が咲き、木の芽が生じ、1年後には人が生活できるまでに放射線量が激減していたのです

これに驚いたアメリカの科学者はすぐさま現地調査、放射線は消えていたのです
このことに対し環境微生物学博士の高嶋康豪博士は「土壌内の微生物、または空中の微生物が放射能を基質として捉え、代と交代、置換と交換を行って放射能を分解消失したのである」と言われました

核実験の行なわれていたネバダ砂漠や、核事故の起きたチェルノブイリでは放射性物質、放射能の顕著な減少は見られません
これは、どちらも土中の菌類、微生物、バクテリアの数や種類が少ないためと考えられます
日本は温暖な気候と風土、なにより土中に絶えず流れる豊富で豊かな水のため、たくさんの好気性バクテリア、菌類、微生物に恵まれていたものと考えられます

さらにはるか大昔にタイムスリップ...地球の始まりについても46億年前地球は濃硫酸の海でした。そこにバクテリアが発生し浄化、今の命あふれる地球になったのです

大地が苦しんでいる時、命が悲鳴を上げている時、小さな小さなバクテリア、菌類、微生物たちは自然の営み、摂理にのっとった大いなる力で浄化、命の繋ぎ手として役を担ってきました

しかし、現代において町のお手入れに入ればご近所の方から落ち葉が...雑草が...などと言われることも少なくありません、落ち葉や雑草は我々の命を守ってくれているのに...

さらに懸念されることは大地がアスファルトやコンクリート、護岸整備、リニア、高速、新幹線...など人間の都合により山には穴が開き、木は切られ、地表は剥がされ、固められ、浄化してくれるはずの木や土の減少です

アスファルト化した町から土が消えることで大気の浄化がされなくなり、汚染されます
コンクリートジャングルの足元で行き場を失った土中の水脈は嫌気状態(呼吸できなくなり)になり、汚染物質を浄化してくれる好気性の菌類が減少、さらにミクロ団粒に閉じ込められていた嫌気性の菌やバクテリアが増大し地上に出てくるとき、未知の病気があちこちで発生しうるのです


最先端の科学、情報、経済、求めてきた道は本当に正しかったのでしょうか
人が自然の一部だということを忘れ走ってきた結果、受け継ぐべき過去の財産が損なわれ、かわって刹那的な快楽や便利さにすり替えられてしまった気がします

3.11からもう少しで5年、私たちは何に気が付けただろう、何を変えることが出来ただろう...

庭掃除の合間、土に帰ろうとする小鳥が横たわっていました
そっと木の根元に埋めます

土となり、木となり、大気となり、雨となりまた土にかえります
この絶対的な自然の"環"営みなくしては過去も今も未来もないのです



縦の線と横の線の交点を支えに生き物、植物、大地、海とがあり
水となり、命が生まれ、土となり、気となります

私たちはたくさんの輪の中にいて環の中でしか生きられません
それがすべての調和そして平和になるのかもしれません...



















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2016年2月14日 日曜日

根っこの拠りどころ

スタッフブログをご覧いただいている皆様、こんにちは。
またも更新間隔が大変に長く空いてしまい、年末から更新が滞ってしまいました。
ここ数日の、春風を思わせる暖かい空気に新年のあいさつを申し上げるには手遅れな時期とは感じるものの、本年も一年、よろしくお願いいたします。入社してそろそろ一年になります石井です。

今回は、昨月の半ばに参加した母校の見学会の際訪れた見学地のうちのひとつ、静岡は三島市、三島駅眼前の「楽寿園」のご紹介をさせていただきたいと思います。楽寿園は、明治維新の際もご活躍された小松宮彰仁親王が明治23年に別邸として造営されたもので、昭和27年からは市立公園として開園されています。



冒頭の写真は、楽寿園に入園してすぐの樹林帯の一区域を撮影したものです。クロマツやアラカシ、コナラなどが根を絡ませあい、お互いを支え合う様にして逞しく成長しています。カシやコナラなどが微地形上の起伏に支えあっている様子が、親方の植栽を思い起こさせます



楽寿園内の園路の様子です。上記の写真の部分のみならず、樹林帯全体が地表に根っこを逞しく張り巡らし、土壌を捕捉している様子が見て取れます。そして、その地形も、特異な様相の起伏がついています。これは・・



写真内看板の通り、そうです、この公園は、約一万年前の富士山の噴火の際に流出した溶岩、三島溶岩流が主たる地形を造っており、その上に実生あるいは植栽された樹木が160種以上生育しています。



上写真の中心部、円弧を描くような痕跡は、その様子の通り「縄状溶岩」と呼ばれる、溶岩の表面にできる流動しわ。



上写真の溶岩の表面、ブツブツとしている痕跡は「気泡」です。溶岩内の水蒸気やガスが抜けた跡ですね。
溶岩は固体化した様々な状態からその性質を読み解くことができます。この公園は、それらの特徴を知るのにうってつけです。



少し順序が逆になりますが、上の写真は入園口付近にある案内看板です。この園内で一番感心させられたといっても過言ではないこの看板。というのも、自分が立っているその地形がどのようにできたか、そしてそれを現在のどのような要素から読み解くことができるか、プレートの構造図や万年単位の地形の遷移図、平面、鳥瞰における図や周辺観光地との関係などを掲示し非常にわかりやすく説明しているのです。



この伊豆半島ジオパークの「ジオパーク」というものには、地域の地史や地質現象の地質遺産だけでなく、考古学的、生態学的、文化的な価値のあるサイトを含む場所が認定されます。この楽寿園には、上述しました溶岩流末端部のもたらした地形や地質の他にも多数の見どころ=ジオポイントを観測することができます。



崖上の建造物「梅御殿」下部の深池に見られる三島溶岩の石切り場跡もジオポイントと呼べる見どころのひとつ



北伊豆地震の際の傷跡が見える、大理石製の濡れ鷺型燈籠



中島から市の文化財「楽寿館」を望みます。楽寿館は京間風高床式数寄屋造りの建物で、地形に合わせた細かい段差と配慮のあることが特徴的なほか、室内に粋な演出をもって配置された装飾絵画は帝室技芸員(現在で言うところの人間国宝)6人を含む方たちの作品で、それらは県の文化財に指定されています(室内は撮影禁止のため写真がありません・・)



本園の大池「小浜池」は、溶岩間を流れる豊富な地下水を水源としていましたが、昭和30年頃の上流域付近の大開発に伴い地下水が減少。現在ではほとんど満水になることなくなってしまいました。しかし、数年に一度はその機会が来るとされ、最近では平成23年に満水となりました。
また、この視点場付近には二万六千年前に二つあった富士山の一つの頂が地震により崩壊し土石流(御殿場泥流)として流れ着いた玄武岩が用いられているとのこと



池の水のない庭園はあまり見られるものではありませんので、護岸や舟道の跡が見れると思えばこれも見どころの一つと言えそうです。

日本庭園的な部分を主に紹介してしましましたが、この公園内には動物ふれあい広場や資料館、蒸気機関車などが展示されていたり、全年齢のお客様が楽しめるように工夫されています。

しかしながら、木々の根っこの土壌化への影響力をまざまざと見せつけられる樹林帯と溶岩流や、その末端に現れる溶岩特有のデティールを活かした造作、数万年単位の地域性を感じさせる石材の転用など、恐ろしいくらいに土地を活かしていると感じた庭園でした。

デザインと呼ばれるものに求められる根拠、それは何を目的意識に置くかで見方が大きく変わるものではあると思いますが、その土壌を拠りどころにして根づいた植物が一番その土地に適応する様に、その土地の生物環境全体(施主含めて)が求める環境に近づけば近づくほど、造園的によい空間になるのかな、と楽寿園を見学し感じました。人間も他の生物なしでは生きていけないのは間違いなく、また造園という職能は、最も生物に触れる機会が多いと言い得る職能であると思いますので、出来うる限り生物の循環を乱さない様配慮していた方法を、現代より生物に触れあい暮らしていた昔から学んで、それをなんとか現代に生かしていこうと改めて思った次第です。

今年も一年、いい意味で悩んでいきたいと思います。よろしくお願いいたします!

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