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2014年4月24日 木曜日

歓迎会!研修会!

 
 お久しぶりです、岩堀です。
 
 先週、高田造園では、いつもお世話になっている大工の川上さんの息子さんであり、新入社員でもあるトモ君と恐縮ながら私の歓迎会を兼ねた研修会が行われました。

 事務所を7時半に出発。
 目指すは東京都あきる野市にある燈々庵(とうとうあん)。高田さんが金鋼造園での修行時代に作庭に携わったという江戸時代から続く旧家の邸宅敷地内の土蔵(米藏)を改装した食処とギャラリーです。

 高速で車は順調に進み、時間が早すぎるとのことでPAで小休憩。



 ちなみに写真一番右の方は、スタッフブログには初登場の高田造園OB森田さんです。行きの道中を運転してくださいました、ありがとうございました!
 余談ですが、実は当日カメラを忘れてしまいました、、、
古い携帯で撮った写真なので画質が悪く見づらいですがご了承ください!m(_ _)m
燈々庵などのもっとキレイな写真が観たい方は、雑木の庭づくり日記もご覧下さい。

 このあと、まだ時間が早いとのことで、燈々庵の姉妹店である井中居(いちゅうきょ)の庭を見に行くことに。


 入口から竹林の奥に進み・・・



 シダが生えたいい雰囲気の中門をくぐり抜けると・・・



 流れの庭と蔵を改装したお休み処です。心地よい空間が続きます。

 


 ちなみに、蔵は分厚い土壁が、中や外から見える場所だけでなく屋根の上まで覆っていたり、上の写真(右は燈々庵)のように蔵の扉が階段状に作られ火が入り込まないようなっていたり、様々な工夫がなされているすぐれた耐火建築だそうです。
 川上さんに教わりました。庭は高田さん、建築は川上さんがいろいろと解説してくださいました。贅沢です。




 井中居を出ると駐車場に野菜の直売所を発見!
高田造園の農場長(今年高田造園は農場を作り、野菜作りにチャレンジしています。)である梶原さん、そして竹内さんしっかりゲットしてます。無農薬で育った多摩の春野菜「のらぼう菜」です。
 初めて聞いたので少し調べてみると、江戸時代の飢饉のときこの野菜のおかげでこの地域の人が救われたらしく、あきる野市の神社にそれが記された石碑まであるみたいです!なんだかすごい野菜に思えてきました、どんな味がするんでしょうね?^^

 さあ、いよいよ目的地の燈々庵に到着です。



 到着するなり、一斉に撮影会の始まりです。笑
この後、藤倉造園の藤倉さんと根岸くんも合流し、一同中へ進みます。



 左は中に入ってすぐの庭です。こちらは高田さんが修行時代に作庭に携わった庭で、初めての石畳で苦労した思い入れの深い庭だそうです。自然の心地よい雑木林の中のような雰囲気に感動を覚えます。
 右は、3年前に作られた奥庭です。この位置からの眺めは特に手前と奥の明暗が強調されて、本当に深山の中にいるような感覚になります。高田さんがこの庭を見たときやっぱり金綱親方はすごいと思ったと言っていました。
 どちらもすごい庭で感動すると同時に、どうしたらこんな空間を作れるのかという好奇心と作りたいという意欲が湧いてきます。
ただ、知識不足、実力不足でどう作るかイメージすることすら出来ない自分。悔しいですね、もっと頑張らなければ!

 ひととおり庭を見たあと、庵の中に入りみんなで懐石料理をいただきました。


 

 すると、なんと前菜にあの「のらぼう菜」のお浸しが出てきました!左上ですね。
どんな味なのかな?なんて書いてましたが、実はすぐに食べることができました。笑
クセや苦味がなく美味しくいただきました。



 この燈々庵、懐石料理以外にも茶房があり竹林を眺めながらお茶も楽しめます。
もし機会があれば、ぜひ立ち寄ってこの空間を体験してみてください。
 カメラのピントが合わず細かい所の写真は取れませんでしたが、本当にそういった細かいところにまで隅々にこだわりがあり、妥協点がないように感じました。
 あんまりオススメするとなんだか燈々庵の回し者みたいですが、
お庭に興味のある方はもちろん、そうでない方もきっと満足されると思いますよ。

 最後は、高田さんの親方であり、今日訪れた燈々庵、井中居の設計・施工されたを金綱親方の事務所を訪問しました。
 事務所を見学させていただくと、目につくのは綺麗に整頓された道具の数々。思わず写真をとってしまいました。
見習わなければいけませんね。




 また、突然の大人数の訪問にも、笑顔で迎えていただき、庭の話、写真の話、今年の大雪の話から今の教育の話など、いろいろと話してくださいました。本当にありがとうございました。

 それにしても、非常に濃い充実した一日で、贅沢な歓迎会&研修会でした。
 このような機会を頂いたこと、また、このような経験できる環境で働かせていただいていることに感謝しながら、日々の仕事に、自己研鑽に励んでいきたいと思います。

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2014年4月20日 日曜日

大活躍!再生土

 こんにちは椎名です。

ブログの更新が送れてしまっている間に桜の季節も終わり新緑の季節がやってきました。

 4月に入って工事が完了した鹿島市現場や市川市現場、以前時期が悪かった為芝張りを残していた茨城県現場でも新芽が出始め、早くも若葉が木陰を作る景色に新しい季節の訪れを感じています。


 工事も着々と完成していく中、高田造園では着工前のお客様の仮設工事周りや苗木畑の整備、山の剪定枝捨て場の整備等、次の工事に使用する材料作りや育成をする為の環境づくりを行っています。


中でも山の剪定枝処分場は単に剪定枝を捨てる場所だけでなく土を再生する場所でもあります。

細かく裁断され、積み上げられた剪定枝は米ぬかを混ぜて約1年半寝かせる事で、微生物による分解と醗酵によって堆肥として生まれ変わります。

 この再生土は山の日陰の中で管理する事で湿潤状態を保ち植物にとって有用な微生物を生かしたまま現場の土壌改良材として利用しています。

  

 再生土をさらった後 : 
新しい剪定枝を置く場所となります。
今回は3tの車約7台分の再生土を運搬しました。 


完熟した再生土 :
 枝が多少残ることによって土の間に空気の層をつくる役割も有ります。
現在行われている高田造園の野菜畑でも使用されました。



もともとの硬く踏みしめられてしまった地盤に再生土を混ぜ、耕す事で土の生成を促しています。
今回はジャガイモの植え付けに使われました。

今後のジャガイモの生育、収穫が楽しみです。






 


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2014年4月16日 水曜日

講演会「かつての日本の暮らし方とロシアのダーチャに学ぶ人と自然のかかわり方」

さる4月11日(金)、高田宏臣による講演「かつての日本の暮らし方とロシアのダーチャに学ぶ人と自然のかかわり方」が、NPOシーエム会主催により月島区民館にて行なわれました。

いきなりですが、私が高田造園を知ったきっかけはそもそも、富山県砺波平野にひろがる散居村とその屋敷林「カイニョ」でした。近くの山の上から、田んぼの中に浮かぶような屋敷林が点々とある風景が忘れられず、ずっと頭にひっかかっていて調べ物を始めたとき、高田さんのブログ記事を見つけたのでした。

屋敷林は、森のないところに森の機能を持たせるためのものだったといいます。それはただの森ではなく、あくまで人々の生活に寄り添い、窓を開ければ触れられる、もっとも身近な自然としての森です。

雑木の庭は、現代の屋敷林ともいえるのではないでしょうか。
今回の講演では、かつての屋敷林、里山、鎮守の森に支えられていた人々の循環型の暮らしについて、さまざまな角度から焦点を当てるとともに、そこからさらに一歩進み、これから求められる自給的な暮らしの好例として、ロシアの菜園付き簡易住宅「ダーチャ」での暮らし方が紹介されました。

なぜ今、ダーチャなのでしょうか?
雑木の庭を求める人が多いのと同様に、「自然とともにある暮らし、自給自足の生活にぼんやりとした憧れはあるけれど、実際にどうすればいいのかわからない」という人は、このところ年齢を問わず多いと思いように感じます。そこで、平日の都市生活がベースとなっている彼らのダーチャ生活を知ることは、その一助になると思いました。何より、子どもも大人も愉しんでやっているのが非常に印象的です。

豪華な別荘とも異なり、無ければDIYで建ててやろう、作ってやろうする人が多いという逞しさ。ダーチャで作られた食糧のおかげで、ソ連末期のハイパーインフレ、食糧難の時代でもひとりの餓死者も出なかったそうです。困難な時代における最後の砦、いわばシェルターでもあったことがうかがえます。

風景の美しさは、それ自体があらかじめ美しいのではなくて、そこに共存する人々の営みや歴史を含めて、初めて見出されるのかもしれません。ひとが住まう環境をつくり、風景をつくることに関わる「造園」という立場からできること、すべきことについても考えさせられる講演でした。

以下は、講演で配布されたレジュメに、梶原のメモを加筆したものです(長文ご容赦ください!)。

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「かつての日本の暮らし方とロシアのダーチャに学ぶ人と自然のかかわり方」

I.
今、住まいの庭に求められるもの〜現代の住環境事情と新たな価値感

森林を切り開き、一斉に宅地造成する状況が全国的に進んでいるその一方、新たな価値観として、鑑賞対象としての庭から、住環境を改善するための庭を求める人々が増えている。

[鑑賞の対象から環境つくりの目的へ]
■住まいの環境を改善する
.........微気候を改善して、快適な暮らしの環境を作る
■身近な自然環境を庭に再生し、自然と共にある暮らしを
.........心身の癒し、日々の活力源、子どもの教育環境


II.
かつての日本の住環境つくり〜屋敷林から


かつての住環境の守り方として、日本各地の屋敷林の事例が挙げられる。
沖縄県備瀬集落のフクギ屋敷林による強力な防風効果、また、富山県砺波平野の散居村では「カイニョ」と呼ばれる屋敷林が生活と密接に結びついた役割を持っていたなど、その地方の特殊な気候条件に対応するための住環境つくりが欠かせなかった。

[かつての屋敷林の4つの役割]
1. 住環境を守る.........暴風、寒暖の緩和
2. 生活資材の調達......落葉肥料・燃料・建材・道具材
3. 災害の防止............土地の保全、延焼防止
4. 身近な自然............心身の健康、子どもの遊び場・学び場


III.
里山、鎮守の森の役割と、かつての共存の暮らし方


生活環境の保全、生活資材の調達、肥料・飼料の調達、水・燃料・食糧の採取先として、里山や鎮守の森も機能していた。里山を村落内で共同利用するためには、「入会(いりあい)制度」という利用権を分配するためのルールが設定されていた。鎮守の森には、森や涌水を守るために祠が置かれ祭られている。まさに生活の中心に里山や鎮守の森があり、循環型の暮らしが営まれていたのだった。

[かつての里山の6つの役割]
1. 生活環境保全.........防風、熱環境緩和、土砂災害防止、避難地として
2. 生活資材の調達......建築木材、茅などの屋根材、日用道具材など
3. 肥料・飼料............落ち葉、腐葉土
4. 水........................農業用水、生活用水、水質浄化
5. 燃料.....................暖房、炊事、風呂焚き
6. 食糧.....................キノコ、山菜、果樹、木の実、野生動物

[かつての里山の管理]
■入会制度.........村落共同体による共同利用
■入会制度の意義
・家族、集落単位の危機管理
・森林資源の持続性を維持する
・人としてのモラルを醸成する


IV. 日本の森林の現状から〜暮らしと自然環境を見直す

[里山利用の推移]
■古代〜戦前...............自給的暮らしのための利用の時代
■戦後〜1970年代......単一樹種の木材生産としての利用の時代
■1970年代〜現在......不要となって放置される時代

1950〜60年代の木材需要の増加、それにともなう価格高騰が巻き起こる。さらに1960年代の燃料革命により、主要エネルギーは薪炭から化石燃料にシフトし、かつて暮らしの中心にあった里山は、用材生産のために針葉樹で構成された人工林へ。

いま森林に期待される機能として、しばしばCO2吸収効果がうたわれるが、化石燃料の使用をゼロにしない限りは意味がない。


V. ロシアのダーチャより

■ダーチャとは.........
今も8割以上のロシア人が保有する、都市郊外の家庭菜園と簡易住宅用地。

■ダーチャでの食糧生産.........
ロシア全体の生産量のうち、ジャガイモの8割、野菜の7割、牛乳の5割、肉類の4割がダーチャで生産されている。
(2008年ロシア国家統計局の統計より)

■ダーチャ村の里山利用.........
かつての日本にも似た、持続的な利用がなされている。

■ロシア人にとってダーチャとは.........
・自給自足の場
・安全な食料、おいしい空気
・いざという時のセーフティネット
・自然とともに暮らす豊かさ(日本で雑木の庭が求められる心理と似ている)
・人間性回復の場

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