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2016年4月 4日 月曜日

梅に鶯、桜に幕

日中の暑さが春を通り越して初夏をも感じさせるようなこの季節、いかがお過ごしでしょうか。入社して早一年になります、石井です。
関東では桜が見頃を迎えていますね。先日の土日は天気が不安定でしたが、この週しかないとばかりにお花見に行かれた方も多いのではないでしょうか。



私もその一人でした。あまりぱっとしない場所の桜ですが、私が大学生だったころよく通りがかった少し思い入れのある駅前の公園の桜です。こんな地味な公園ですが、桜を見上げにわざわざ立ち寄る人、本格的な機材で花を背景に撮影を行っている人などが見受けられました。ここから多摩川をぶらぶら散歩して、川沿いの公園等に植えられた桜をのんびり堪能しました。

この季節、街路樹であろうと公園樹木であろうと、桜の花を愛でない人はいないでしょう。
しかし、落葉の時期になるとその葉を嫌がる方も多いようです。また、お花見の後のごみ問題が毎年ニュースで報じられています。

有名な法話に、
「花は枝によって支えられ、枝は幹によって支えられている。又、その幹は根によって支えられ、根は土によって支えられている。然し、その根は土にかくれて、何も見えない。咲いた花見て喜ぶならば 咲かせた根元の恩を知れ」
というものがあるそうです。この素晴らしい言葉は、先日の鹿児島出張の際に姶良土地開発の町田社長のご自宅の額縁に飾られておりそこで知ることができました。

ではその根は何を求めているのでしょうか。本来の自然環境において、おそらくそれは、自身が落とした葉っぱ(が分解されたもの)だと思うのです。しかし都市環境においては、それすらもかないません。

こんな環境下でもなお私たちを楽しませてくれるのだから、落葉や根上がりによる道路の破損などだけを見て街路樹を無下に扱うような対処をするのではなく、お互いが心地よい空間を造っていければ、そしてそれに寄与できるような造園家になれればな、と桜の花に想った次第でした。









本日(4月4日)は生憎の雨天。現場には出れないため、倉庫の掃除と、整理を兼ねて竹の穂で手箒を作りました。(そののちこのブログを執筆しています・・)
今週は雨が多いようで、桜も落ちるところは落ちてしまいそうですね。桜が週末まで持ちそうなところは、晴れそうな今週末がお花見日和と言えそうですね。幕引きになる前に、お花見をお楽しみください。


さて、今回も見学に訪れた造園空間の紹介をさせていただきたいと思います。

今回は、私の恩師である東京農業大学造園科学科の粟野隆准教授が、雑誌「庭NIWA」の今月号(no.223夏号)に寄稿しています「国際文化会館庭園」を先生自らが案内して下さる機会があったため、そのご紹介をしたいと思います。



国際文化会館は、日本と世界の方々の文化交流と知的協力を通じて国際相互理解の増進を図るために、1952年にロックフェラー財団をはじめとする様々な個人、企業の支援により設立された公益財団法人です。会員制の宿泊施設でもあり、レストランで食事や結婚式を行うこともできます。



庭園の全景です。(建物に対しては結婚式中のためカメラを向けられませんでした、そのため写真も微妙なアングルになりがちです。公式サイトを参考にしてください・・)

国際文化会館の建つ地は、江戸期には大名藩邸が置かれていましたが、以降所有者の変遷を経た後、三菱財閥四代目社長岩崎小彌太が購入、和館、庭園を造営しました。
小彌太は「外国の賓客を迎えられる日本式の邸宅を」と、建築を日本建築の大家である大江新太郎に、庭園を植治こと七代目小川治兵衛に依頼しています。そして当時植治にいた岩城亘太郎もこの造営に関わったとされています。



空襲により建物は消失してしまいましたが庭園は残り、三菱解体後、ロックフェラー三世と意気投合した国際的日本人ジャーナリストの松本重治が国際交流の場として強く提案、金策を巡らせた甲斐あって、戦後には当時の建築界の巨匠、前川國男、吉村順三、板倉準三の共同設計で様々な交流施設を秩序良く有する会館が新設されました。



石の寝かせ方、表現にいかにもな植治らしさを感じます。





池周辺。細かく細かく手が入っている樹木のバランスは、かの重森千靑氏の監修によるもの



二階部分の室内から。芝庭と柵の向こう、屋上のぎりぎりのところまで枯山水が・・くだらない心配ですが、砂利はこぼれないのでしょうか・・

式開催中の他、あまりにも人が多かったため、全体を把握できない写真配置で申し訳ありません。素晴らしい写真と解説、図面は前述の庭誌に特集されていますので興味のある方はそちらをご覧ください。



それにしても、庭園巡りなどが趣味の方はお分かりかと思いますが、特に東京都近郊の庭園には岩崎家の名前がそこかしこに出てきます。大名庭園を買い上げて保存したり自邸が文化財になっていたり・・それだけ財閥の力が強かったことを表していますが、僕自身岩崎家と関連する庭園遺産を整理してみたかったのでここに記してみたいと思います。コアなジャンルですが・・庭園巡りがお好きな方はご参考ください。



まずは初代社長の岩崎彌太郎。

写真の桜は駒込にある六義園のものです。桜のライトアップでも話題になるこの庭園は、江戸の五代綱吉の時代に林業政策でも高名な柳沢吉保が造営した池泉回遊式の庭園で、明治には彌太郎の所有となったのち、東京市に寄付され一般に公開されました。

そして同じく都内は江東区の清澄庭園も、江戸期に形作られ、のち荒廃した庭園を彌太郎が買いあげ、全国の石を配した名園「深川親睦園」として社員や貴賓に対して用いられていましたが、関東大震災において図らずも防災的な役目を果たし、その用途を重視した岩崎家が公園用地として東京市に寄付しています。ちなみにですが、初めてコンクリートが用いられた庭園ともいわれています。



二代社長の彌之助は、彌太郎の弟にあたります。箱根の現高級温泉旅館である「吉池旅館」に、その別邸が文化財として保存されています。水力発電発祥の場でもある他、茶室「真光庵」は江戸から受け継がれ、もう一つの茶室「暁亭」は山懸有朋が古希庵(小田原市、作庭岩本勝五郎)に建てたものを移築し館内に保存されており、広大なスケールの庭園は見どころいっぱいです。




彌太郎の息子にあたる三代社長の岩崎久彌は写真の「旧岩崎邸庭園」(台東区)を本邸として造営しました。
和館と洋館を併設するこの庭園は和洋併置式とも呼ばれ、洋館はジョサイア・コンドル、和館は当時の名棟梁大河喜十郎が手掛け、庭園は巨大な手水や燈籠、芝生等近代の初期の庭園の特徴を伺い知れます。



彌之助の息子の四代社長の岩崎小彌太は、上述の国際文化会館のほか、ツツジやシャクナゲが壮観の「山のホテル(箱根の別邸、建築にジョサイア・コンドル)」、「熱海陽和洞(別邸)」、「巨陶庵(京都南禅寺。現流響院。植治とその長男保太郎が作庭)」などに関与しています。


そして三代社長久彌の息子にあたる岩崎彦彌太は、東京は国分寺の殿ヶ谷戸庭園をかつて別邸として買い取っています。



こうしてみると、東京都近郊の文化財庭園における岩崎家の影響の強さがありありとわかります・・岩崎家が関与した庭園にテーマを絞っても面白いかもしれません。

しかし、近代の建築、庭園と言えばコンクリートであり、洋風と和風が混ざった(洋風に移行しかけている)様式である時代です。
石段や石積みを見てもコンクリートありきのもたせ方、積み方になっていたり、数寄屋建築で土壁の雰囲気を出しているのに大壁造であったり等、歴史としてみると面白いですが、気候風土や自然環境と寄り添ったデザインになっているかと言えば、近代あたりから道を違えてしまっている気がするのも事実です。



鹿児島出張の際に見学することができた古道は、雨水の処理や通気性などに有機的な工法で気を配っていました。
私たち造園家も、温故知新、近代土木と古代土木の融合を考えていかねば、自然環境の悪化にさらに拍車をかけてしまうことになりそうです。


早いもので、入社してから一年が経過してしまいました。
自分が漠然と抱いていた造園観を、厳しく正しく導いてくれる師のもとで勤められているのが光栄です。
おそらく現在の自分にとってどの企業よりも一番「よい」会社に入社できたと、胸を張って言えます。

初心を忘れず、見習いだと甘えず、これからも精進していきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。